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もくじ

ー 超高性能マシンを公道に
ー 最初はカプリの開発に
ー 複数の技術的課題を克服
ー 動力性能に合わせたシャシー
ー 繰り返す試行錯誤
ー RSの衝撃的な性能
ー 理想通りのラリーカーに

超高性能マシンを公道に

1960年代のモータースポーツ界は、どこか色あせたイメージがあるが、フォードのトータル・パフォーマンス・イニシアチブが成功へと導いたGT40やNASCAR、そしてレースやラリーの一連のセダンは例外と言っていいだろう。

それから20年後も、フォードは自社のスポーツ性を前面に押し出すべきだという信念を持ち続け、これを特殊車両開発部門(SVE)が担当した。

だが、高性能のシエラは、フォードが切実に必要としていた解決策となったのだろうか? 空想的なコンセプトが現実の生産ラインへと結実するまでにはあらゆる関係者の多大な労力を要したことを考えると、なおさらそう思ってしまう。

「わたしのフォードの開発エンジニアとしてのキャリアは1960年に始まりました」と、SVEの初代部門長、ロッド・マンスフィールドは語る。「余暇にオースティンA35バン、次にフォード・アングリア、コーティナ、さらにエスコートでレースに出走した経験が、1970年に先進車両部門(AVO)に参加した時に活きたんですね。エンジニアリングのスーパーバイザーに任命されました」

最初はカプリの開発に

しかしAVOは1975年に閉鎖され、その数年後に代替組織であるSVEの設置が検討された。「1980年2月1日にゲルハルト・ハートウィグ(ドイツの車両開発部門長)から電話を受けるまで、SVEと呼ばれる部門が新設されることさえ知りませんでしたよ。電話が掛かってきて『SVEを率いてみないか』と言われました。ちなみに当時、フォードの製品レンジの走行性能はかなり過小評価されていました。BMWの方がはるかにスポーティだと考えられていましたからね」

SVEはいくつかの点でAVOとは異なっていた。SVEが全面的にフォードのエンジニアリング組織内に組み込まれていた一方、そのすべての車両が独自の生産ラインで組み立てられていたのだ。

「われわれは最初にカプリの開発に携わりました」と、マンスフィールドは回想する。「当時、カプリは市場で死にかけていましたからね。ドイツのモータースポーツ部門が使っていたカプリのうちの1台が、われわれの元に届き、その仕様がSVE版の原形になったんですね。フォードのプランナーがわれわれの技術力を理解するにつれ、カプリは、すぐにXR2、またXR3iへと代を重ねていきました」

「われわれは既にエスコートRS1600のBDAエンジンをめぐってキース・ダックワースと付き合いがありましたから、シエラ・コスワース用に量産型2ℓエンジンで203ps出してほしいとお願いしました。ですが、キースは、ツインカムターボ仕様だと、その程度の出力に抑えることの方がかえって難しいと言われたんですね」

複数の技術的課題を克服

「他にも困難な技術的課題がありました」とマンスフィールドは回想する。「一例がインタークーラーのパッケージでした。かさばるうえにグリルの開口部から入る空気の流れを乱さないためにはエンジンの前方に取りつけなければなりませんでした」

もうひとつのハードルはターボチャージャーだった。「キースが優れた4-2方式の排気マニホールドを設計してくれたものの、ターボと組み合わせるとかなりの熱を発する巨大な塊だったのです。4000rpm前後で共振も出ていました。複数のフリクションワッシャーとスプリングを組み合わせたマウントを設計することで何とか問題を解決したのですが、当然、熱の影響を受けるため、定期的な交換も必要でしたね」

「その後、サファイア4×4プロジェクトのために排気マニホールドとターボチャージャーユニット全体を再設計しました。こちらは共振の問題がなく、はるかに文明的でしたよ」

乗り心地やハンドリングも大きく改善された。「ミック・ケリーとジョン・ヒッチンスが担当し、車高を下げ、ばね定数を変え、ロールバーを太くしたうえでジオメトリーの設定を変更し、さらにステアリングの感度を下げるためにフロントストラットの角度を変更しました。クルマを評価するために、ベルギーのロンメルにあったフォードのテストコースで徹底的に走らせていましたよ」

動力性能に合わせたシャシー

フォードがヘリテージ・コレクションに入れて保管している傷ひとつないサンプルの周囲を歩きながら、マンスフィールドは、エンジンルームの温度を下げ、高速使用時にブレーキを冷却するためにボディに空けたさまざまな穴を指さす。

「ブレーキをベンチレーテッドディスクに変更し、フロントの径は283mmにしました」と彼は語る。「ABSと組み合わせることで動力性能の向上にも対処できました。当社のサプライヤーであったPevis社も極めて協力的で、われわれの目指すところを理解してくれたのを覚えています」

「アグレッシブな外見を追求していたことはいうまでもありませんね」と、有名なスポイラーの前でにこやかに語る。「ゼリー型のようなボディ形状が理由でリアがリフトするため、対処法が必要であることがわかっていました。必要なダウンフォースを生み出すため、ゴードン・プラウトをMIRA社に派遣し、風洞実験も行いました。

マイナス4ºCの環境で試行し、ドイツ・フォードの空力技師の支援を受けながら、スポイラーの形状を追い込んで行きました。風洞試験の回数はなんと92回にも及びました。最終的には、彼はクルマの上にポップリベット留めされたパーツを持ち帰りました。見栄えは悪いものの、われわれが必要としていたダウンフォースを生み出すものでした」

繰り返す試行錯誤

スポイラーが最大限の効果を発揮するには、できる限り後方に取りつける必要があった。あと15cm後方に取りつけることができていれば理想的だったでしたが、これだと違法です。ですから極めて高価なバンパーを追加する必要があった。

「わたしの親友であるジョン・マイルズは、完成形のスポイラーがあればシルバーストーンのラップタイムを2秒短縮できると予想していました。実際は、なんと2.5秒短縮できましたが」と誇らしげな表情を浮かべる。

ついに完成形のスポイラーを製作するようマンスフィールドが設計チームに依頼する段階に来たとき、「われわれに何が必要かを説明すると、設計チームはやはりこう言いました。『またあなたですか…』とね。あまりのしつこさに煙たがられていたんですね。でも、製作したスポイラーは十分期待に応えるものになりました。サイドスカートにも変更を加えることで、最高のものになりました」

「一方、インテリアは、どこを取っても標準仕様のシエラと変わりません。低出力版との違いは、ターボブーストゲージくらいのものですね」

「インテリアの高級感まで追求していたら、さぞ高いクルマになっていたでしょう。別のトリムを導入していた場合、それぞれ構成部品ごとに何回もの衝突テストを行う必要がありましたからね。レカロ製バケットシートと革縁のステアリングホイールは、われわれが妥当な予算内で取りつけることのできる唯一の装備でしたよ」

RSの衝撃的な性能

「ちなみにフォードの上層部は、当初この外見に少し抵抗があったようでしたが、それでもクルマがレースで次々と優勝したおかげで説得力が増したのです」

「プロトタイプを走らせている間も、性能を驚きとともに実感する瞬間に恵まれました。RSには、それだけのインパクトがありました。わたしのチームのメンバーであるポール・バートンは、イタリアにいる間、開発車に乗ってMagneti Marelli社のチーフエンジニアを昼食に連れ出したことがあります」

「チーフエンジニアがどうしても運転したいというのでハンドルを任せると、途端に警察に止られる羽目になりましたよ。警察官がエンジンベイを覗き、発進加速で自分たちのアルファ・ロメオを上回るシエラの秘密を知りたがっていたのも面白い思い出ですね」

フォードモータースポーツは、その後、500 RSコスワースをRS500に進化させるためにTickford社と契約したのだった。「主な違いは、厚みを増したシリンダーブロック、ギャレット製T04ターボ、そして改良されたインタークーラーでした。再設計された吸気システムと改良されたオイル系統及び冷却系を備えたマルチ燃料噴射装置も備えていましたね。標準仕様のコスワースと見分けるため、スポイラーの塗装とフロントエアダムの形状を変え、RS500のボディデカールを追加しました」

理想通りのラリーカーに

その次に着手したのが4WDシステムだった。「他社と緊密に協力して、4WDのカプリの開発に既に取り組んでいました。SVEがまだコスワースを完成させる前に、ボブ・ルッツは、アウディ・クワトロに対抗するための4WDかつ3ドアのシエラのコンセプトカーを製作したいと考えていたんですね」

プレスカーとしてフランクフルトショーのフォードのブースに展示しなければならなかったのだが、納期の厳しいプロジェクトだった。「プロトタイプであったから、これまでよりもかさばるドライブトレインを設置するために思い切ってボディシェルを切断したりしましたよ。やっつけ仕事ですね」

果たしてRSコスワースは、スチュアート・ターナーの求めていたラリーカーとなった。1987年だけで26の国際ラリーと六つの全国選手権で優勝したのだから、反論の余地はないだろう。

マンスフィールドがRSコスワースに再度取り組むとしたら、何に手を加えるのだろうか?「かつての基本方針を守るならば、やはり多額の費用がかかるような変更はできないと思いますね」と彼は答える。「お客様は、廉価モデルと差別化できるようなインテリアを求めるかもしれませんが、やはり大切なのはコストと時間です。もしお客様の意見をすべて受け入れるならば、少数の限定生産モデルにならざるを得ないでしょうね」

彼は一息つき、もうひとつ付け加えた。「変更したい点がもうひとつありました。強力なイモビライザーを標準装備にするでしょうね。RSコスワースは、あまりに盗まれ易いクルマでしたから」冗談にも余念がない。