承認欲求は、愛の代わりを求める欲求だから/内藤 由貴子
しばらく前から「承認欲求」という四文字熟語が
会話の中にでてくるようになりました。
この言葉の普及とSNSとの関連は切り離せないようです。
また並行し「意識高い系」と言われる人たちも現れました。
意識高い系は、本当に意識が高い人たちのことではなく、
承認されたくて、意識が高そうなことを言ってみるけれど
どこか本質とずれた人に対して揶揄する言葉のようです。
そのように見てみると、「承認欲求」が強いことは、
マイナスの要素として見られがちです。
たとえば、SNSで「どう?すごいでしょ!」アピールの連続で
「いいね!」によって承認を求めるような内容が多いと、
うっとおしいからです。
そもそも承認欲求は、認められたい、評価されたい、
自分という存在を理解してもらいたいという欲求ですから、
どんな人にも存在します。
承認は、関係の中で生まれます。
承認されると人は、うれしいだけでなく、安心もします。
人に受け容れてもらえたという感覚は、自分の居場所確保の
感覚につながるからです。
受け容れてもらえた…は、「嫌われてない」と同じです。
「嫌われてない」は「愛されている」未満でしょうか。
つまり「承認」は「愛」の代用として受け取りたいものなのです。
言い換えれば、人はみんな「愛されたい」と言えます。
ごはんが身体の栄養なら、愛はこころの栄養のようなもの。
ですから、人はこれを切らすわけにはいきません。
飢えるからです。
愛されたい欲求は、乳児の頃の親との関係から始まっています。
乳児の頃、特に母親が自分が安全基地の役割を
していたら、成長して自然に親から自立していくので
ことさらに承認を求めに行かなくても大丈夫なのです。
なぜなら、自分で自分を承認で来ているからです。
アイアムOKですし、ユーアーOKです。
しかし、親から認められるかどうかというのは、
成人してからも大きな要素として人の行動に影響します。
私の前職は百貨店の社員でしたが、この百貨店のオーナーの
兄弟仲の確執は、週刊誌ネタになるほど有名でした。
確執の理由は、父親の企業グループの後継者として、
自分ではなく弟にしたことにあると言われています。
あえてお名前は出しませんが、これだけでもどなたなのかは
お分かりになる人もいるでしょう。
この方、ご自身が作家でもあり、80年代にはこの百貨店によって
洗練され感性豊かな暮らしの文化が提案されていきました。
そんな仕事をされていたのにホテル事業に手を広げたのは、
弟さんへの対抗意識だと言われていました。
承認欲求のテーマで、このことをなぜ書いたかと言えば、
私の心理セラピストとしての私見ですが、
父親からの承認が得られなかった場合、まして他の兄弟に
承認が行った場合、社会での大きな成功による承認がないと
埋め合わせることのできない何かがあったのではないでしょうか。
結果として、ホテル事業の投資は裏目に出ていきました。
男性のこころの課題では、父親が立派だった場合、
超えるための葛藤が少なからずあります。
父以上の何かを成し遂げて、ようやく自分を認められる
というケースがあります。
誰から承認されるべきかと考えた時、
親を含む他者に加え、忘れていけない人がもう一人います
それは、自分自身です。
自分で自分を承認すること、これが難しい人は多いです。
ありのままの自分を愛する、とよく言います。
しかし、ありのままの自分ではダメという疑いが、人の承認を必要とします。
承認は「愛」を求める行為です。
人は、自分を理解してくれた、わかってもらえたと思った時、
愛を感じます。理解は愛に通じます。
では、自分が自分の理解者であろうとする時
それは自分が自分との関係を再構築することになります。
つまり自分が自分にもっと愛を与えられたなら、
ありのままの自分を愛する意味が変わってくるでしょう。
愛は心の栄養だと言いました。
その意味で、愛は自給自足がベターです。
自分が自分へ承認が可能になると、
承認欲求は、自然と満たされて、
他者からの承認も、もっと高い次元へと昇華していくでしょう。
※ 花の写真は、承認欲求から解放され、自分が自分を承認できる
イメージのものを選びました