新卒で入社した会社は、いわゆるブラック企業だった。肺に穴が開くほどのストレスの原因となった女部長の執拗な嫌がらせとは……(筆者撮影)

孤独死やうつ病、リストラなど中年を取り巻く問題はメディアでも毎週のように取り沙汰される。しかし、苦しいのは中年だけじゃない。10代、20代の死因の最たるものが自殺である事実が示すように、「生きづらさ」を抱えているのは若い世代も同じだ。本連載では、ライターの吉川ばんびが、現代の若者を悩ます「生きづらさの正体」について迫る。

「会社で突然苦しくなって、うまく呼吸ができなくて病院に行ったら肺に穴が空いていて。いつのまにか、ストレスで呼吸がずっとおかしくなっていたみたいです」

中原静江さん(仮名・27歳)は喉の奥につっかえているものを吐き出すように、少しずつ、静かに話し始めました。

彼女を苦しめた「女部長の嫌がらせ」

彼女は、子どもの頃から警察官になることが夢だったといいます。大学在学中に警察官になるために試験を受け、筆記試験はクリアしたものの、体力試験で不合格となってしまいました。きゃしゃで色白な、見た目にも印象的な美人で、後から彼女自身も話してくれたように、外見からも体があまり強くないことがうかがえました。

大学卒業後、事務員として商社に入社した彼女を待っていたのは、入社以前に聞いていた労働条件とは異なる劣悪な環境と、会長の娘である40代半ばの総務部長からの執拗な嫌がらせでした。

中原さん以外の同期の女性社員は入社後、総務部長に早々に泣かされた一方で、中原さんは「絶対に泣かない」と決めていて、「今思えば、それが気に食わなくてターゲットにされたのかもしれません」と、苦笑いをしながら当時を振り返ってくれました。

中原さんは毎朝8時前に出社して、30分かけて社員全員の机を拭き、始業までに掃除を終わらせておくように指示を受けていました。「新入社員がやって当然だ」という総務部長や長年勤めている女性主任の主張とは裏腹に、朝イチの出社や雑務を強制されるのは、新入社員の中でも、次第に中原さんだけになっていったと言います。

誰かがやらなければならない仕事を、押し付け合って誰もやらない。そんな状況を無視できなかった彼女の真面目さに付け込んで、徐々に「雑用は全部中原さんがやってくれるから」という雰囲気が社内全体に広がっていきました。営業職の男性社員は、自分が飲んでいた水をこぼしたとき、「中原さん、水。こぼした」と言い、わざわざ中原さんに床を拭かせたといいます。

雑用をすべて押し付けられ、自分の仕事もやらなければならなかった彼女は、何とか定時までに膨大な業務量を終えるため、昼食の時間を削って仕事に当てるようになります。たとえ定時を超えて仕事をしても、残業代は出ません。それであれば、定時までにすべてを終わらせて帰りたい、という中原さんの気持ちは当然だと言えるでしょう。

しかし、仕事を完全に終わらせて定時で帰ろうとした中原さんは、総務部長から「定時に帰って、家で何かすることでもあるの?」としつこく叱責を受けました。

中原さんは一人暮らしのため、買い出しも料理も家事もすべて自分でやる必要があり、終業後、毎晩限られた時間で終わらせています。一方で、総務部長は独身、実家住まい。毎日、会社の真上にある家に帰ると、母親が作った温かい料理が出てくるうえ、家事をやる必要もありません。

労基をあざむく「裏タイムカード」

仕方がないので帰るのをやめてみんなの仕事を手伝おうとするも、中原さんが目にしたのは、残業しているように見せかけてゲームをしたり、スマホを触って暇つぶしをしたりしている社員たちの姿でした。

彼らは仕事が終わらないから帰れないのではなく、意味もなく会社に残り続けていたのです。まさに「残業こそ正義で、定時に上がるのは悪」を地で行くような会社であり、評価基準も「残業をしているか否か」で判断されるのだと言います。

「タイムカード、一応あるんですよ。毎日21時か22時くらいまでは残業していたし、休日出勤もしていたけど、手当は一切出なくて」と言う中原さんに、私は思わず「タイムカードがあるなら、残業代を支払っていない証拠になるのでは?」と聞きました。

すると彼女は「実は、それとは別に『裏タイムカード』というものがあって。労働基準監督署が来たときに提出する用に、社員は全員、勝手に裏でタイムカードを定時に切られています。要は、残業させていることを隠蔽するためのものですね」と答えました。

続けて「残業代は払ってくれないのに、私たちが『タイムカード』を切り忘れると、1回100円の罰金を支払わないといけないんです。それも、総務部長が着服しているんですけどね」と話す中原さんは、ほとんどあきれたように笑っていました。

中原さんはこの会社に、大学のキャリアセンターからの紹介で入社。内定前の面接で、彼女は警察官になる夢を諦められていないこと、また採用試験を受けるつもりでいるため長くは勤められないことを、面接官であった総務部長に正直に話したと言います。会社側は中原さんの申し出に理解を示しつつ「できれば3年は頑張ってほしい」と伝え、内定を出しました。

面接で話したときの総務部長の印象について、中原さんは「優しくていい人そうだなと思った」と振り返ります。しかし入社後すぐに、それはとんでもない誤認だったと気が付きました。

中原さんは、ほんの少しでも気に入らないことがあると、すぐに総務部長や主任の女性から給湯室に呼び出しを受け、毎日のように1時間にもわたって執拗に詰(なじ)られました。怒られる理由は「まだそんなに寒くないのに私より先にカーディガンを着るな」とか、「顔がムカつく」とか、「男性社員に話しかけられていた」とか、理不尽なものばかりです。

ネイルを理由に1時間近く叱責される

しまいには、女性社員たちが会社にネイルをしてくるようになったとき、総務部長はすぐに自分のネイルを落としてきたうえで、唯一ネイルもマニキュアも塗っていなかった中原さんを呼び出し、「その爪なんなの? そんな爪の長さで仕事ができると思ってるの?」と1時間近く激怒したと言います。

「なぜ中原さんを呼び出したんでしょう?」と私が聞くと、中原さんは「多分、いちばん初めにネイルをしていたのは総務部長で、それを見て『あ、この会社ネイルOKなんだ』ってみんながネイルをし始めたんですけど、総務部長はそれが気に食わなかったんだと思います。

でも、自分がネイルをしていた手前『ネイルをしてくるな!』なんて怒りづらいじゃないですか。だから、ネイルを落としてきて、私の爪の長さ、そんなに長くなかったんですけど、それを指摘してきたんだと思います」と答えました。

「でも、それじゃあ肝心のネイルをやめさせることはできないのでは?」と続けて質問すると、「私が呼び出されて給湯室から出てくると、いつもみんなが『何言われてたの?』と聞きにくるんです。だから、総務部長はそれを狙ってたんだと思います。

私が爪の長さで怒られた、となると、『じゃあ、ネイルも怒られるかもしれないよね、落としてこないと』ってみんなが思うように仕向けるために、私を利用したんです」と答えた中原さんの顔には、すでに笑顔はありませんでした。

「今思えば、社会に出たばかりで右も左もわからない私を、みんながストレスのはけ口にしていたんだと思います」

取材後、私は中原さんがつぶやいたこの言葉を何度も何度も反すうしました。会社などの組織においては重かれ軽かれ、こうした「サンドバッグ」的な役目を負わされる人がいます。それは新入社員や若手社員であることもあれば、仕事の覚えが人より遅い人である場合や、何となく言い返してこなさそうな人が選ばれている場合もあります。

私自身、2社で正社員を経験した頃を振り返ると、新入社員の頃に理不尽な嫌がらせに遭ったこともありますし、八つ当たりをされたり、社内で雑用以外の仕事をさせてもらえなくなった人たちを見たこともあります。

サンドバッグにされてしまった人たちの多くは、最終的には会社にいるのがつらくなり、辞めてしまうことがほとんどです。今回取材を受けてくれた中原さんも、そのうちの1人です。

給湯室に呼び出されているときにストレスで肺に穴が開き、完治するまでの数カ月間、ずっと息苦しいままだったといいます。そんな状況に耐えかねて「退職したい」と申し出た彼女は「3年以内に辞めるなら、今まで払った交通費60万円を全額返せ」と会社側から言われました。もちろん、これは支払う必要がないお金です。

しかし疲れ果てていた当時の中原さんにとっては、争う体力すら残っておらず、3年間勤めた後、最後の出勤日に社員全員の前で「そもそも人生設計からして間違ってるよね。警察官になりたいんだったら、ここで3年働く意味もなかったし、大学に通う必要もなかったじゃん。『夢がある』とか、何言ってんの?」と総務部長にののしられながら、会社を追われるように退職をしました。

「同調圧力」という呪い

中原さんのように「あの人は叩いてもいい」と認識された人たちは、誰からも助けてもらえず、心身が壊れるまで虐げられなければいけないのでしょうか。

「新卒で入った会社を辞めるのは不安だったし、どこへ行っても同じようなものかと思っていたんです。でも、あの会社を辞めたことで『辞める』という選択肢があることを学びましたし、自分がいた環境がどれだけひどかったのかを、客観的に捉えられるようになりました。

私の話がもし、今同じような目に遭って苦しんでいる人にとって少しでも希望になれば、うれしいです」

自分のストレスを、社内の「叩いても許される誰か」にぶつけていないか。自分が誰かの「サンドバッグ」にされていないか。同調圧力によって理不尽に傷付けられてしまった彼女の言葉を、私たちは聞き流してはならないはずです。