日本で家事外注が拡がらない理由とは?立命館大学 産業社会学部の筒井淳也教授と語ります(写真:筆者撮影)

東洋経済オンラインでの連載「育休世代VS.専業主婦前提社会」に大幅加筆した書籍、『なぜ共働きも専業もしんどいのか〜主婦がいないと回らない構造』が6月15日に発刊された。これに合わせて、本著の中で書籍や論文の引用をさせてもらった有識者らにインタビューをしに行った。

第一弾は『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』などの著書がある立命館大学 産業社会学部の筒井淳也教授。家事の外注について海外の動向や社会学での知見を聞いた。

住み込みメイドは「悪」か

中野:拙著で、専業主婦が家事育児を担う前提で組み立てられている構造では共働き子育ては成り立ちづらいし、専業主婦自身も稼ぎ主男性もそれぞれにつらいところがあると指摘しています。

筒井先生はご著書の中で、家事の外注について、世界的には北米型の経済格差を利用した移民労働者などに家事を外注する方法と、北欧型で政府が公的にケア・ワーカーを雇用する方法があると指摘し、前者はあまり望ましくないとおっしゃっています。議論のある分野であることは承知していますが、望ましくない理由を今一度解説いただけますか。


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筒井:グローバルケアチェーンの話ですね。先進国のホワイトカラー層の子どものケアをするために、途上国の主に配偶者がいる女性が移民労働力となり、自らの子どものケアは親戚や自国内のさらに貧しい人に任せるという連関構造があります。

ケアワークはサービス労働なので、現地で作って輸入してくるわけにいかない。人をその場に連れてこないといけないわけです。そのときに、経済格差があれば、所得の低いところから高いところに労働力が移動する。多くの場合、家族を置いてくることになる。「家族といる権利」というものがあったとしたら、それを侵害している仕組みについては、諸手を挙げて推奨はできないという意味で望ましくないとしています。

中野:一方で、実際にシンガポールにいて住み込みメイドとして働きに来ているフィリピン人の女性や雇用主と話すと、例えば20代前半の独身でシンガポールでの生活をそれなりに楽しみながら、お金をためて帰ってから家族形成しようとしているような方もいます。

シンガポールや香港のホワイトカラー層が雇わないと言い出したら、自国でもっと条件の悪い仕事につかないといけないかもしれない。住み込みメイドの仕組み自体がなくなるべきだという方向性よりは、頻繁に里帰りができるようにするべきだとか、家族を同伴できるようにすべきという議論になっている?

筒井:大元のところで所得格差に否定的である以上、諸手を挙げて賛成はできないということですね。そのことと、いろいろな工夫とかやり方を提案して問題を軽減するということとは両立するのでは。白か黒かで割り切れる話ではないと思います。

家事外注が日本で広まらない理由

中野:メイド方式は北米では一般的でしょうか。

筒井:住み込みは一部のアッパーミドルだけで、全体から見たら非常に少ないでしょう。ただ、統計があまりないのですが、広い意味でケアワークを外注している人は多いでしょう。かつては女中さんという形で日本にもありましたが、現代的に使いはじめたのが北米で、そこから東アジア地域でみられるようになったと考えられます。ただシンガポールや香港も出生率が低く、出生率向上という意味では成功しているとも言えないですよね。

中野:そこは調査・取材しないといけないと思っているところです。日本でも外国人労働者の受け入れが広がり、家事労働者や介護の担い手も外国人に門戸を開放しつつありますが、日本で家事を外注する動きは広まっていくでしょうか。

筒井:とくに都心では共働きが多くなっているので、ニーズは高まっているのではないかと思います。ただ、日本でシンガポールや香港のように住み込みが広まらなかったのはなぜかという話で、家の敷地の中に他人が入ってくることに警戒感があるのではないかと社会学分野では言われることがあります。

日本はいったん専業主婦社会としてプライベートな空間として「家」ができあがってしまったので、自営業などが最近まで多く残っていた台湾などに比べると、家に他人が入ってくることに対してハードルが高い可能性がある。それがあるとしたら、よほど工夫をしないと、増えてはいかないでしょう。

中野:確かに私の取材でも「他人を家に入れること」への心理的障壁が高い様子がうかがえました。日本では専業主婦化が進み、それによって安定した時期があってから脱主婦化に向かったのに対して、他の東アジア諸国は近代化がより圧縮されて進み、伝統社会で家事労働者を雇っていた記憶がまだ残るうちに脱主婦化が進み一気に外国人家事労働者の受け入れが進んだという話ですね。「圧縮化された近代」と呼ばれるような、近代化のプロセスとスピードがここにも影響しているのは面白いです。

筒井:ただ、工夫の仕方次第では「他人を家に入れることへの警戒感」も解けていくと思うんです。信頼できればそれでいいわけですよね。盗みを働かないとか、そこをクリアできる仕組みやアーキテクチャーができれば今後広がっていく余地はあると思います。

領域は異なりますが、配車サービスのウーバーと似ていると思っています。ウーバーも利用するのは少し不安だという人もいるかもしれないけど、トータルとしては回り始めている。そういう信用の仕組みが作られれば。フロンティアなので、誰かイノベーションを起こせる企業がそこに参入し、国が補助金を出すというのもありえるのではないでしょうか。

中野:実はまさにそれが新刊に書いた内容の1つなのですが、家事代行やベビーシッターでCtoCのプラットフォームができはじめています。私が初期から取材してきたタスカジというサービスでは、まず企業側が家政婦さんをテストセンターで1件目として評価し、その後は利用者が評価し、Amazonのレビューのように閲覧できる仕組みになっています。しかも評価が高いと、時給が上がっていくようになっていて、利用者側も評価が高い人に来てもらいたかったら高く支払うという枠組み。これをITを活用して作っているんです。

筒井:そうすると広まっていきますよね。評価システムが時給にも反映されるんですね。

家事サービスには政府の介入が不可欠

中野:家事が無償労働で、なかなか評価されないという問題の解決策にもなる可能性があると思います。枠組みの作り方によっては、働き手がいい評価を得るためにサービス競争をしはじめてしまう可能性があり、設計に目配りは必要だと思うのですが。さきほどおっしゃった政府が補助をつけるというのはどのようなイメージでしょうか。

筒井:市場に任せっきりだと、低賃金競争が始まってしまう可能性がやはりあると思うんですね。それに、ユーザ側にとって事前に家事サービスのクオリティが完璧にわかるということはないので、情報の非対称性が強い。質がわからないものに高い金は出しにくいので、平均的な価格帯が下がる。結果的に逆淘汰が生じて悪貨は良貨を駆逐してしまう。

それを防ぐために評価システムがあるのだけど、それがうまくいかないと質の悪いものが「安ければいい」ということで生き延びてしまうことがある。なので、それを防ぐために政府が企業に余裕を持たせてあげるという可能性はあるかもしれないと思いました。

企業に対して、悪いことをしたら補助金を取り上げるぞというようなふうにも使えますし。補助金がいちばんいい方法かどうかはわかりません。それがうまくいくとは限らない。けれど、市場原理ばかりだけだと働き手のためにならない可能性がある。

中野:プラットフォームが福利厚生を提供するなどで、プラットフォーム側の競争で解決されていく可能性もあるかと思います。

筒井:家事サービスを提供する人がフリーランスに近づいていったときに、プラットフォーム側がどこまで助けてくれるかですよね。ヨーロッパだと個別契約が多く、働き手に不利なので、最近ドメスティックワーカーの組合ができている。労働者としての権利をきちんと交渉できるように、ということですね。シンガポールでも組合はあるのでしょうか?

中野:外国人家事労働者のUnion(組合)は聞いたことがありません。そもそもシンガポールは最低賃金がないので、外国人家事労働者については送り出し国が最低いくらというのを決めているケースがあります。あとは雇用先で虐待を受けるケースなどがあるので、駆け込み寺的なNPOやAssociationと銘打った支援団体はありますね。

筒井:ヨーロッパは組合社会だというのはありますね。日本でも組合はあまりあてにされていませんし、仕組みとしては有効ではないかもしれませんね。

外注を管理する負担

筒井:家事外注が広がっていくのにもう1つクリアしないといけないと思うのは、マネジメントの負担を減らすことですね。外注しても、何時にこれがきて、次はこれで、支払いがこれで、と指示や管理をすることに時間がかかると、「自分でやったほうが早いわ」となってしまう。

今まで負担がなかったところに負担ができると人は嫌がります。あれ、外注すると楽になるはずだったのに、意外と面倒くさいな、となってしまう。家事を外注するって、自営業者になって指示するような感覚もありますよね。


中野:シンガポールでも、住み込みのメイドさんがいたとしても、例えば宿題を見る、子どもの心のケアをするなど親にしかできない仕事は残りますし、確かにメイドのマネジメントに心身をすり減らすケースも聞きます。いいメイドに出会うのが「宝くじ」のようにも言われます。ここももしかしたらITなどを駆使したイノベーションで越えていけるのかもしれません。

筒井:何事もやってみないとわからないと思うんですね。ただ、そのときに最初からこういうことが起こるかもしれないと念頭に置いておくと、何かが起こったときに理解ができるし、対応が早くなる。いちばんやってはいけないのは、あてが外れたときに「ほらみたことか」と言って、誰も何もやらなくなるということだと思うのです。

(後編に続く)