苦しい時代ながらも挑戦的なモデルが多数登場した

  5月1日から新しい元号「令和」がスタートし、31年の長きに渡って続いた平成の元号が終わった。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。

  激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じ。そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かったほう、悪かったほう含めて振り返ってみたいと思う。平成元年からスタートした本企画も14回目。平成14年誕生のクルマを紹介しよう。

■平成14年ってどんな年?

 この年は日本と韓国の共同開催の形で、アジア初となるサッカーワールドカップが5月から6月にかけて開催されたことが最大の話題だった(日本はベスト16に進出)。自動車業界では排ガス規制の強化により、2代目トヨタ・スープラ、日産シルビア、日産スカイラインGT-R、マツダRX-7が対応を行わず姿を消すという残念な動きがあった年でもあった。

1)トヨタWillサイファ

  異業種とトヨタのコラボレーションの第三弾として登場したコンパクトカー。クルマ自体は初代ヴィッツがベースで、個性的なスタイルが目立つくらいである。

  しかしサイファは通信型カーナビの先駆けであるG-BOOKを搭載し、走行距離に応じ課金するリースプランを用意しており、このことは今になると現代のコネクテッドカーや変化するクルマの持ち方を予見するものであり、サイファは決して小さくない功績を残した。

2)日産フェアレディZ(5代目)

  このころ大ナタを振るう合理化が目立っていた日産だったが、1年半ほどの空白期間の後「日産のシンボル」という役割も含めこの年にフェアレディZを復活させた。5代目モデルとして復活したフェアレディZは前年に登場した11代目スカイラインから採用されたFMプラットホームを使い、日常での扱いやすさやベーシックグレードなら約300万円というリーズナブルな価格など、フェアレディZのDNAを引き継いだモデルであった。

  また5代目フェアレディZは6年間のモデルサイクルで常に進化を続けたことも、スポーツカーらしいところだった。現在フェアレディZは現行型となる6代目モデルにフルモデルチェンジされ、長らく大きな改良を受けていないのは残念だが、それでもマツダロードスターと並びスポーツカーを継続していることは大変立派なことと断言できる。

79万円という破格の1.3リッターコンパクトカーも誕生

3)マツダ・アテンザ(初代)&デミオ(2代目)

  1996年にフォード傘下となって以来本当に苦しい時期が続いていたマツダの復調し始めたのが2002年だった。この年には当時のカペラの後継車となるミドルセダンの初代アテンザと2代目デミオが登場。

  2台ともそれまでのモヤモヤしたものを発奮させたような良好な仕上がりで、マツダの本格的な復活に強い期待を持たせてくれた。

4)スズキ・スイフトSE-Z(初代)

  初代スイフト自体は軽自動車の車体を拡大し、1.3リッターエンジンを搭載した簡素なコンパクトカーである。それだけにもともと価格は安かったのだが、この年の6月に登場したSE-ZグレードはABS以外フル装備にもかかわらず、MT車なら79万円という軽自動車よりも安いビックリ価格に値下げされた。この頃マクドナルドのハンバーガーは59円、吉野家などの牛丼は280円程度の価格で当時のデフレを象徴していたが、スイフトSE-Zもこの時代を思い出す題材の1つと言えるのかもしれない。

5)ダイハツ・コペン(初代)

  1999年と2001年の東京モーターショーへの出展を経て、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノの絶版以来、久々に登場した軽のオープンスポーツカー。初代コペンはFFで、ミッドシップのビートとFRのカプチーノに比べると乗用車的なのは否めなかったが、その代わり初代コペンは前年に登場した4代目ソアラのような電動メタルトップや入念な塗装といった軽自動車とは思えない贅沢なクルマだった。

  その割に価格は約150万円と内容を考えれば激安で、MTに加えATも設定され、安心感ある電動メタルトップや軽自動車の維持費の安さ、風を楽しみながらノンビリ走るプロムナードカー(お散歩クルマ)としての魅力も含め、マツダロードスターとは違った意味で多くの人にオープンカーを提供したことは初代コペンが残した大きな功績だ。