『旅のおわり世界のはじまり』の前田敦子と黒沢清監督/撮影/黒羽政士

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『Seventh Code』(13)、『散歩する侵略者』(17)に続き、前田敦子と黒沢清監督にとって3度目のタッグ作となる『旅のおわり世界のはじまり』(公開中)は、2人が新たなチャレンジをした意欲作だ。ウズベキスタンでオールロケを行った本作には、これまでにない無防備でむき出しの前田敦子が映しだされている。前田と黒沢監督にインタビューし、本作での“旅”を振り返ってもらいつつ、未来を見据えた“はじまり”についても話を聞いた。

【写真を見る】現地の人からキスをされて笑顔を見せる前田敦子/[c]2019「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会/UZBEKKINO

前田が演じたのは、いつか歌を生業にしたいという夢を持つ、テレビ番組のリポーター、葉子役。彼女はバラエティ番組のクルーと共に、巨大な湖に棲む“幻の怪魚”を探すべく、ウズベキスタンでのロケに参加した。見知らぬ土地で、異文化を楽しむ余裕なんて皆無な葉子にとって、唯一心のよりどころは、日本にいる恋人とのスマホのメッセージでのやりとりのみだ。そんな葉子が旅のおわりにたどり着いた境地とは?

本作の撮影後、結婚・出産し、女優としてだけではなくプライベートでも転期を迎えた前田と、客観的な視点を一切省き、ヒロインの主点からのみで物語を綴るというシンプルなアプローチをとった黒沢監督。映画の最後に挿入される『旅のおわり世界のはじまり』というタイトルが、まさに旅を終えた2人にとっての“はじまり”を象徴している。

■ 「ウズベキスタンには、天使や神様がたくさんいた気がしました」(前田)

前田は、黒沢監督からのオファーを毎回快諾するそうだが、今回はオールウズベキスタンロケと聞いて、少し身構えたそうだ。「ウズベキスタンってどこだろう?と思い、まずは地図を見ました。いま思えば、なにも知らなかったからこそ飛び込んでいけたという気もします。黒沢監督作にまた出演できて、本当に幸せでした」。

黒沢監督によると、『Seventh Code』でのウラジオストクロケは、企画を持ち込んだ秋元康からの提案だったそうで、その時に感じた手応えが大きかったからこそ、今回の映画を前田にオファーしたと明かした。

「いろんな文化や風俗が渾然一体となっているウズベキスタンに前田さんが立つと、風景が前田さんを引き立て、また、前田さんも風景を引き立てるんです。決して溶け合わないのに、場所と人間の関係がそれぞれ際立ち、とてもいいんです。『Seventh Code』を撮る前までは、僕自身も前田さんと海外のマッチングについてあまりピンと来てなかったのですが、やってみて『なるほどな』と思いました」。

前田は、ウズベキスタンロケについて「町中を走るシーンや、道路を渡るシーンなどは、ほぼゲリラでした。一応、車は止めてもらっていたようですが」と言うが、黒沢監督によると「いや、実際には止められなかったんです」とのこと。「『いいところを見計らって、行ってください』となりました。ただ、危険はないというか、あまり無謀なドライバーはいなかったので、渡ってもらいました」。

劇中で、ベテランカメラマンの岩尾(加瀬亮)は、与えられた仕事を淡々とこなしていくが、時には現場へ行ってから予定されていたロケ撮影を断られるというハプニングもあり、ディレクターの吉岡(染谷将太)は苛立ちを募らせる。実際に、今回の黒沢組も、ロケ地や撮影内容の変更を余儀なくされたこともあったが、むしろ現地の対応はほとんどが好意的だったと、黒沢監督は言う。

「断られて大変だったということはほとんどなかったです。むしろ、いきなり行っても、わりと寛大に許してくれた。日本では、勝手に道路を渡るところを撮影すると、すぐに警官が来たりするんですが、ウズベキスタンでは、撮影隊をおおらかに受け入れてくれました」。

前田もうなずき「皆さん、本当に穏やかでやさしいんですよ」と、現地の人々の心遣いに感動したそうだ。「ある方のお家に撮影でおじゃましたら『頑張ってね』と言ってくださったし、川に入るシーンでは、目の前のお家の方が『すごく大変な撮影をしているのね。終わったら、家に足を洗いにおいで』と言ってくださったんです。あとでおじゃましたら、敷地の中央にさくらんぼの木があり、そこからさくらんぼを採って『どうぞ』と出してくれました。その時は、ここは天国なの?と思ったりして。天使や神様がたくさんいた気がして、嫌な思いをしたことは一度もなかったです」。

■ 前田敦子は「周りから切り取られている特別な存在」(黒沢監督)

スクリーンでの女優、前田敦子の魅力について、賛辞を惜しまない黒沢監督。「前田さんは、ほかとは一線を引き、きりりと自立している感じがいいんです。日本人の若い女優さんで、パッと見ただけでそういうものが漂う人なんてほとんどいない。ご本人は『違う』とおっしゃいますが、僕からすると、周りから切り取られている特別な存在に見えます。それは強烈な個性ですし、女優としての演技力から来る力だとも思っています」。

黒沢監督はさらに「前田さんは、声がいいんです。それは最大の武器ではないかと」と、よく通る前田の声も絶賛する。「彼女は遠くでしゃべっていてもわかるし、映画で後ろから撮っていても彼女だとわかる。もちろん、演劇でも有利です。たいがいの俳優の場合、顔を見せればそのシーンが成立するのですが、後ろから撮ると個性が突然消えてしまう人もいる。そういう意味で、前田さんの声は、映画にとってもありがたいです」。

前田は、恐縮しながらも「よく、友達からも言われます。遠くにいても、声で私だとすぐにわかると」とはにかむ。

そんな前田の本作最大の見せ場が、夢と現実の世界が交錯するなかで、エディット・ピアフの名曲「愛の讃歌」を熱唱する2つのシーンだ。「ナボイ劇場」での交響楽団の伴奏に合わせた歌唱に加え、クライマックスでは標高 2,443mの山頂で、同曲をアカペラで歌い上げる。元AKB48のアイドルだった前田だが、クランクインの3か月前からボイストレーニングに挑んだ。

「歌い方がまったく違います」と言う前田。「とりあえず自分がやれることを、がむしゃらにやるしかないと思いました。私って、いつもどうにかなるかなと思って生きてきたタイプですが、今回、そう思ってはいけないと自分にムチを打ち、『これがいまの私の精一杯です』というものを出したいと思いました」。

■ 「すごく幸せなのに、そこにどっぷり浸れない自分がいる」(前田)

本作では、葉子が、いま自分のやりたいことができていない状態にあることについて、岩尾にぼやくシーンが印象的だ。そこで岩尾は、「自分も本当はドキュメンタリーが撮りたかったが、バラエティ番組チームに回された」と告げたうえで、彼自身はある意味、葉子のドキュメンタリーを撮れていると、前向きな発言をする。いま、監督として、女優として、第一線で活躍する2人だが、おそらく過去にそういった不満や焦燥感を抱いたことがあるのではないか。まず、黒沢監督に尋ねてみると「僕はずいぶん経歴が長いので、やりたいことができない時期を何度も経験してきました」と穏やかな口調で答えてくれた。

「ただ、思い起こせば『なにもやりたいことができない』とぶつぶつ言っていたことが、いまはちゃんと実現できているんだなとも思います。逆に、その時そう思っていなければ、いまできていないんだなとも考えるわけです。だから、やりたいことができないと悩むことこそ貴重な経験だし、幸せなことだとも思います」。

前田は、「いま、それを聞いて、なるほどなと思いました」と目からウロコといった表情を見せる。黒沢監督が「僕、いいこと言いました?」とおちゃめに笑うと、前田は「名言でした」とうなずく。

「そうやって思えたら人生は楽しくなりますね。いま、まさに、私がそうかもしれない。辛くはないし、幸せなんだけど、これからどうしようという不安が漠然とあります。人ってないものねだりだし、それもしょうがないのかな、と思いながら日々生きています」。

それは、女優業と子育てとの両立についての話だ。「変わるきっかけをどうやって作るのかな?とか、子どもとの関係をどうしていったらいいのかな?と、いろいろと考えてしまいます。男の子なので、きっと彼が大きくなってきてからわかってくることもあると思うので、いまは漠然と、なにかを待っている状態です」。

■ 「前田さんは、今後も女優として、すごいことになっていく」(黒沢監督)

前田は、母となったことで、女優業に対する向き合い方も変わってきたそうだ。「これまではなんでもOKだったのに、いまはそうじゃなくなっている自分がいます。例えば、いままで簡単にできたキスシーンも、今後はどうやればいいんだろう?とか、できればやりたくないなとか思ってしまって。それもしょうがないのかなと思いつつ、これからもこの仕事を続けていくなかで、いろいろと葛藤はあります。自分自身の気持ちが変わっていくことに驚きつつ、環境の変化も考えて、前へ進んでいるはずなのに、どこか立ち止まっているという不思議な感覚です」。

黒沢監督が、そんな前田にやさしく視線を落とし「幸せの真っ只中にいる感じですね。それはそれで、とてもすてきです」と言うと、前田は「よかったです」とほっとしたような笑みを浮かべる。

前田は「悩んでいるわけではなくて、なにか迷っている感じです。もともと先が見えない状況に置かれるのがあまり得意じゃないので。私はせっかちだから、自分のなかでなにかを決めておきたいんだと思います。でも、いまは1人じゃないし、子どももできたし、一緒にいる人のことも考えなきゃいけないから、自分1人では決められない。きっと時間が解決するということだとわかりつつ、考えてしまうのは、人間の心理なのかなと。これまで私は、“幸せ脳”に浸ったことがないのかもしれない。すごく幸せなのに、そこにどっぷり浸れない自分がいる感じです」。

人生の先輩である黒沢監督は「いまはどっぷり幸せに浸っていいんじゃないですか。でも、そのうち、幸せも飽きてきますから(笑)。そうなってくると、そろそろ辛い現場が恋しくなるんじゃないかなと。とはいえ、お子さんもいますし、何年後になるかはわかりませんが」と言うと、前田も「そうですよね」と笑顔を見せる。

黒沢監督は「前田さんは、今後も女優としても、すごいことになっていくんじゃないかな。そして、また、その場に僕が参加できていればうれしいなと思います。ほかの監督にやられるとしゃくなので、そこが難しいところなんですが」と、前田にラブコールを贈ると、前田は「いま、そうやって言ってもらえて安心しました。それだけでも幸せ脳に浸れそうです」と心から喜んだ。

最後に、令和の目標を2人にうかがった。黒沢監督は「いくつになっても、これまでやったことのない新しいものをやっていきたい」と、常に目線は前を向いている。「具体的にはまだここでハッキリと言えるものがないのですが、僕が唯一やったことがないのが時代劇というか、現代ではない過去の時代の物語を1度は撮ってみたいです。『一九〇五』でやるつもりだったけど、叶わなかったので」。

『一九〇五』とは、中国と日本の歴史的関係を扱った、黒沢監督による日本・中国合作映画だったが、社会情勢などを鑑み、製作中止に追い込まれた。「時代ものは、前田さんでかつてやりたいと思ったものの1つですが、いつか実現させたいです」。

前田は「いままでの私とは違う生き方をしたいとは、ずっと思っています。ただ、いまは、自分から道を作っていくというよりは、なにかを待ってる感じです」と答えてくれたが、その表情は、実にすがすがしかった。

きっとこのあと、2人による4度目のコラボレーションが実現するに違いないが、まずは令和1本目となる『旅のおわり世界のはじまり』を楽しんでほしい。(Movie Walker・取材・文/山崎 伸子)