「サイボーグにとってのウェルビーイング:WHO IS WELL-BEING FOR〈2〉」の写真・リンク付きの記事はこちら

人間の所与の条件には限界がある

人間と機械を融合させるサイボーグ技術を研究開発し、人間から機械への入力はもちろん、機械から人間への感覚のフィードバックも視野に入れているぼくにとって、ウェルビーイングという概念に対してまず思うことがあります。

それは、人間の身体や脳といったハードウェア、ソフトウェアは、ウェルビーイングを実現するために最適なものではないのではないか、ということです。

ぼくは常にクリエイティヴィティというものを中心にものを考えるのですが、人間が発揮したいクリエイティヴィティが十全に実現される状態をウェルビーイングと呼ぶとすれば、身体も、そしてそれを取り巻くテクノロジーも、追いついていないのではないでしょうか。

例えば、アウトプットに関して。ぼくは映像制作を趣味にしているのですが、映像をつくるとき、すでに自分の頭のなかで思い描いている映像があります。それをカメラやCGを使うことで、理想的なイメージに近づけようとする。

しかしよく考えれば、これは本末転倒なんです。なぜなら、自分の頭のなかではすでに映像ができているわけですから。なぜ重たいカメラを持って走りまわったり、10本の指を動かして撮った映像を編集したりしなければならないのか。

人間のハードウェア、ソフトウェアがウェルビーイングに対して制約があるというのは、こうした事態を指しています。発揮したいクリエイティヴィティに、ぼくたち自身がついていけていない。そもそも人間の所与の条件だけでは、ウェルビーイングを達成することが難しいのではないか、ということです。

一方のインプットも同様です。人間が自分で触れることができるものは、かなり限られている。「沸騰するお湯で入る露天風呂はどんな気持ちなんだろう」ということはわかりようがないし、宇宙飛行士に「真空状態にいる感覚はどのようなものですか」と尋ねても、宇宙服や宇宙船の中で保護されているので答えようがない。

自己と他者が混ざり合う世界

さまざまな新しい感覚や刺激を体験=インプットすることによって、ぼくたちの知見はどんどん更新されていくし、それによってまた新たなアウトプットもできるようになっていくはずです。しかし、それを体験することすら許されていないということはフラストレーションですし、ウェルビーイングが達成されていない、ということだと考えます。サイボーグなら、そうした制限を取り払うことができる。

いずれはそうした感覚のみならず、思考や感動というレヴェルまで人間が「群」として体験=インプットし、アウトプットしていけるようにしたいとも考えています。自己と他者が部分的に混ざり合っていく、ということですね。

これは何も身体的なことだけでなく、認知などの領域にとっても同じことです。例えば、昨日食べたものがすごくおいしくて、その「感動」を目の前の人に伝えたいとします。言葉を用いると、間接的にしか伝わらない。味覚や嗅覚などの感覚器の情報を使えば味を伝えることは可能となりますが、それでもまだ間接的です。感動や思いを直接的に共有する、というところまでアプローチしたいのです。

10人の人間が互いの思考を並列化させることができれば、ひとりの人間は100年しか生きられずとも、1,000年分の思考や記憶が手に入るし、単なる足し合わせ以上の、かけ合わせとでもいうべき相乗効果が生まれるはず。

ウェルビーイングを超えたその先へ

もちろん、自分の思考が意図せずして他者にハッキングされるような事態、均質化されて個が喪失されるような状況は、それこそその人のウェルビーイングが害されることになりますから、避けなければなりません。サイボーグの主体はあくまで人間なので、サイボーグを巡る倫理についても常に議論しています。その上で、「群」としての体験というものは、人間全体の進化のレイヤーを変える大きなインパクトになりうるし、そうするとウェルビーイングのあり方そのものも変わってくるでしょう。

そして、こうした自己と他者が部分的に共有されるという考え方は、人間同士だけでなく、世界や宇宙まで広がっていきます。『ヱヴァンゲリヲン』に描かれる「サードインパクト」では生命体が溶け合っていきますが、あれを越えて「環境」とも溶け合うことまで考えなければ、人間の知的欲求は満たされないと考えています。

もともとぼくがサイボーグに行き着いたのは、小さいころに興味をもった無限の宇宙というものが、ぼくひとりの限られた人生の時間と脳という限られた思考単位だけでは理解できないと思ったからです。全宇宙と溶け合うことができれば、それは宇宙を理解したことになる。

こうしてテクノロジーが発展してできることが増えていけば、ひと言でウェルビーイングといっても、連想されるものが時代によって変わっていくことでしょう。あるタイミングでウェルビーイングだと思っていたことも、それが実現されると、ウェルビーイングという概念そのものが底上げされる。それは、これまでの人類史を見ても明らかだと思います。

つまり、ウェルビーイングとは相対指標なのではないか、と思うのです。サイボーグが実現する究極の状態というのは、ウェルビーイングではなく、ベストビーイングなのではないか──そう感じています。

粕谷昌宏|MASAHIRO KASUYA
MELTIN MMI代表取締役。人類には創造性の追求において限界があることを幼少期に感じ、中学生のころからサイボーグ技術の実用化を目指し研究を開始する。大学入学と同時に論文を執筆し、数々の賞を受賞する。
2008年にロボットコンテストで全国2位。
11年には日本ロボット学会から表彰される。
13年にサイボーグ技術を実用化するメルティンMMIを創業、16年に博士号を取得。回路設計から機構設計やプログラミング、ネットワークシステム構築まで開発を幅広くカヴァーしている。