■「夫婦で約2000万円の金融資産が必要」という日本

金融庁が「95歳まで生きるには夫婦で約2000万円の金融資産が必要。公的年金だけでは資金不足に陥る」という報告書をまとめたことが話題になっている。政府は年金制度の信頼を損ねるものとして、金融庁に報告書の撤回を求めている。だが、少子高齢化の進む日本で、年金制度の見直しは回避しがたい。

日本の年金は、以前は満60歳から支給されてきたが、現在は65歳まで引き上げられている。財源に限りがある一方で高齢者の増加が続けば、支給開始年齢のさらなる引き上げも検討せざるを得ない。これは日本だけの問題ではなく、少子高齢化が続く先進国一般に共通する課題でもある。すでに米国やドイツは67歳、英国は68歳への引き上げを決めている。

首相就任までフィレンツェ大学教授だったジュゼッペ・コンテ首相(右)と、極右政党「同盟(レーガ)」の党首であるマッテオ・サルヴィーニ副首相(左)=2019年6月11日(写真=時事通信フォト)

そうした流れに真っ向から逆らって年金の支給開始年齢を引き下げた国がイタリアだ。18年6月に成立したコンテ政権は、左派政党の「五つ星運動(M5S)」と右派政党の「同盟(レーガ)」という2つの相反する政党が連立して成立した。両党とも有権者の支持を得るために、分配色が強いバラマキ政策の実施を公約に謳ったことで知られる。

■受給開始を62歳に引き下げたら、公務員が大量退職

その中でも、M5Sの肝いりで今年4月からスタートした政策が、クオータ100と呼ばれる年金受給年齢の引き下げ制度だ。日本と同様に少子高齢化が進むイタリアでは、2011年に実施された年金制度改革(フェルネーロ改革)を受けて、支給開始年齢が21年までに67歳以上へ引き上げられる予定であった。

その方針をコンテ政権は見直し、62歳以上の国民が38年以上の勤続年数があれば直ちに年金が受給できる形に制度を変えてしまった。この措置を受けて、19年3月には駆け込みで退職する労働者が公務員を中心に急増し、実際にクオータ100の適用を申し込んだ国民は11万人以上に上ると言われている。

さらにコンテ政権はイタリア版のベーシックインカム(最低所得制度)も4月から導入した。こうしたバラマキ政策に伴う財政負担は19年から21年の3年間で約1330億ユーロ(約16兆円)にも及ぶが、一方で財源には確たる当てがないのが現状だ。入りは増えず出ばかりが増えれば、年金や財政の破綻は当然早まってしまうことになる。

■「バラマキ政策」によって人手不足が深刻化

欧州の金融市場ではドイツを中心に各国の長期金利の低下が続いているが、財政悪化が懸念されるイタリアの長期金利だけが独歩高となっている。足元のイタリアの長期金利は2%台半ばに達しており、フランスやスペインよりも高いばかりではなく、あのギリシャの水準に迫る状況だ。

金利の上昇はイタリア景気に悪影響を及ぼしている。筆者は5月中旬にミラノを訪問し有識者にヒアリング調査を行ったが、その際イタリアのあるメガバンクのエコノミストは、コンテ政権によるバラマキ政策やそれを嫌気した長期金利の上昇によって企業経営者のマインドが冷え込み、設備投資が停滞していると指摘した。

そのほかにも、クオータ100の導入で早期退職者が急増した結果、人手不足が深刻化しているという指摘があった。若者の失業が深刻なイタリアであるが、彼らに退職者をカバーできるだけのスキルや経験はない。現政権は反移民を掲げているため、移民労働力に頼ることもできず、人手不足は今後慢性化する恐れがある。

また別のメガバンクのアナリストも、設備投資の足踏みや長期金利の上昇で銀行の収益環境が厳しさを増したと苦言を呈していた。イタリアの企業は銀行への依存度が高いため、銀行の経営不安は景気への強いブレーキになる。家計による需要を重視する一方で企業による供給を軽視した結果、景気に悪影響が生じたわけだ。

■EUからのプレッシャーをイタリア政府は無視

バラマキ政策による財政の悪化に歯止めをかけようと、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は、イタリア政府に対して「過剰財政赤字手続き(EDP)」と呼ばれる制裁手続き(事態の改善勧告・警告に従わない場合、制裁金が没収される手続き)の発動をチラつかせ、軌道修正を求めてきた。

しかしイタリア政府は、こうした欧州委員会の要請に応じなかった。そこで欧州委員会は6月5日、EDPの手続きを始めるとイタリア政府に勧告した。これを受けてイタリア政府は10日、コンテ首相とM5S党首であるディマイオ副首相、レーガの党首であるサルビーニ副首相兼内相が会見を開き、EDPを回避するための対策に臨むと発表した。

■EUと対決すれば、有権者へのアピールになる

もっともEDPを回避するため、イタリア政府がバラマキ政策を修正するか、定かではない。コンテ首相自身と腹心のトリア経済財務相はEUとの協調を比較的重視しているが、一方で連立を組む2党、特にM5SはEUに対して強い敵愾心を持っている。EUからの圧力に屈すれば有権者への背信行為にもなるわけだ。

そうであるなら、EDPを受け入れて制裁金を払う方が、いっそ有権者に対するアピールにもなる。結果はどうあれ、EUによる理不尽と対決する姿を見せることができるためだ。5月の欧州議会選で第一党の座をレーガに奪われたM5Sにとって、自らがリードしてきたバラマキ政策の修正は簡単には受け入れられない。

その一方で、国取りを目指すレーガは鼻息が荒い。そもそもM5Sとレーガは、ともに反EUという点ではスタンスが一致していたが、党が目指す方向性としては相いれない関係である。先の欧州議会選で第一党となり躍進が続くレーガにとって、このタイミングはM5Sを政権から追い出す大きなチャンスとなっている。

■ポピュリストたちの政争で、イタリア経済は破綻する

確かに、反EUや反移民といった過激な主張を除けば、同盟の政治的スタンスはかつて二大政党の一翼を担った中道右派政党であるフォルツァ・イタリア(FI)と近い。同盟がFIと連立を組むことができれば、ビジネスフレンドリーな政権が成立したとして産業界の支持を得られる可能性も高い。

今般のEUによるEDPの手続き開始は同盟に有利な形で政界再編を図りたいサルビーニ副首相とって、文字通り「渡りに船」となる可能性がある。M5Sが公約にこだわりコンテ政権とEUとの対立が激化するほど、政権が瓦解に向かい解散総選挙への道が開けるためである。

このようにポピュリストが国取り合戦を繰り広げる限り、イタリアはEUとモメ続ける。モメればモメるほど、金融市場では長期金利が上昇し、景気に対する悪影響も強まる。イタリア経済の再生を謳うポピュリストたちであるが、結局は政争に邁進し、イタリア経済をむしばんでいるにすぎない。

イタリアのケースは、現実を直視せずに甘い言葉をささやくポピュリストたちに国の将来を委ねても、破綻が早まるだけであるという厳しい現実をわれわれに見せつけている。巨額の公的債務を抱えるわが国にとって、イタリアの出来事は決して対岸の火事ではないことを肝に銘じるべきだろう。

(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 土田 陽介 写真=時事通信フォト)