海自艦艇に陸自隊員が常時搭乗し、東シナ海をパトロール。尖閣諸島など島嶼が占領されるような事態になればいち早く奪還作戦を展開する

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海自艦艇に陸自隊員が常時搭乗し、東シナ海をパトロール。尖閣諸島など島嶼が占領されるような事態になればいち早く奪還作戦を展開する

〈政府は、離島防衛の強化のため、海上自衛隊の輸送艦に陸上自衛隊員200〜300人程度を搭乗させ、東シナ海の尖閣諸島(沖縄県)や南西諸島の周辺で航行させる警戒活動の実施について検討を始めた〉

5月4日付読売新聞朝刊1面のスクープ記事が、大きな波紋を呼んでいる。

記事によれば、海自が3隻保有する「おおすみ」型輸送艦に常時搭乗するのは、主に離島奪還作戦を担う陸自の水陸機動団が中心。中国海軍や海警局(日本の海上保安庁にあたる組織)の日本近海における活発な活動を牽制(けんせい)するべく、早ければ来年にも実施を目指すという。

なぜこれが波紋を呼ぶのかといえば、陸自と海自は長年、それぞれ独立した指揮権に基づいた作戦計画で動いており、災害派遣時以外は行動を共にすることがほとんどなかったからだ。

2006年には陸・海・空自衛隊の運用を一元化するための「統合幕僚監部」が防衛省に創設されたものの、スタッフはわずか500人ほど。有事の際、防衛大臣を補佐しながら細かな同時運用作戦を指揮するには規模が小さすぎて、本格的な一元化は実現していなかった。

つまり、もしこの計画が順調に進めば、令和の時代になってようやく歴史的な陸・海の"初コラボ"が誕生することになるのだ。


エアクッション揚陸艇(写真右下)を積載できる「おおすみ」型輸送艦3隻をローテーションで運用する見込み(写真/海上自衛隊)

振り返れば、陸と海の対立は戦前の旧帝国陸海軍時代にまで遡(さかのぼ)る。軍事評論家の毒島刀也(ぶすじま・とうや)氏が解説する。

「開国した日本が諸外国に追いつこうとしていた明治時代、政府の中でも軍の中枢部は陸が長州、海が薩摩出身者で占められ、仲が悪かった。この頃は『陸主海従』といわれ、陸軍が力を持っていました。日清、日露戦争を経て海軍も発言力が増したものの、後の太平洋戦争ではついに人材や発言力、予算配分などをめぐって組織が真っ向から激突。『陸軍としては海軍の提案に反対である』と、ことごとく対立したという話は有名です」

米軍が海軍の配下に海兵隊を置き、陸軍とも密接な関係を築いていたのとは対照的に、日本軍は戦闘機の開発から情報活動まで陸、海それぞれが独自に行ない、技術や情報を互いに公開することもなく、バラバラに戦争をしていたのだ。毒島氏が続ける。

「1944年2月の米軍によるトラック島空襲では、日本海軍の戦艦武蔵などの主力艦艇が、戦局が劣勢と見るや退避(海軍丁事件)。その結果、陸軍の輸送船30隻が撃沈され、陸軍将兵は洋上・船舶で約7000人が死亡。島に残された約1万5000人も補給が途絶え、餓死寸前となりました。この事件で『海軍連合艦隊は戦わず逃げた』と、陸軍側の不信は急激に高まりました。

また同年10月の台湾沖航空戦では、日本海軍がいったん『米機動部隊の空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、艦種不明15隻を撃沈・撃破』と発表。後にこれが誤報だと判明したにもかかわらず、海軍は陸軍にそれを伝えず、陸軍は誤った情報をもとにフィリピン・ルソン島からレイテ島決戦へと方針を切り替えました。そして陸軍の師団は、ほぼ壊滅していたはずの米機動部隊による猛攻撃を受け、レイテ島は"地獄の戦場"と化してしまったのです」

終戦後、旧帝国陸海軍はGHQによって武装解除されたものの、朝鮮戦争の影響もあって連合国軍最高司令官マッカーサーは1950年に警察予備隊の創設を指示(52年に保安隊に改称)。54年には、新設された防衛庁の下に陸自が誕生した。一方、52年には海上保安庁の中に海上警備隊がつくられ、そこから54年に海自が生まれた。

敗戦によって陸海軍の対立は消えたかと思いきや、陸自と海自はそれぞれ創設までの過程も異なり、その後も長らく犬猿の仲。それぞれが独立独歩のまま反目し合い、21世紀に至ったわけだ。

「2000年頃、陸自隊員が『おおすみ』に搭乗した災害派遣訓練を取材したことがありますが、陸自が艦から降りた後、海自隊員は『装甲車をカドにぶつけやがって』『(狭い艦内に対応した)身のこなしが全然なっとらん』などと文句を言っていました。令和の時代は仲良くやってほしいものですが......」(毒島氏)


今年1月から2月にかけて行なわれた陸自・水陸機動団と米海兵隊との合同演習では、米軍の強襲揚陸艦から陸自隊員が上陸作戦を展開

今回の計画で海自艦艇に常時、乗艦する陸自・水陸機動団(長崎県佐世保)は昨年3月に正式に発足した部隊で、"日本版海兵隊"の異名を持つ。現在は約660人だが、将来的には3000人規模になる予定だ。

この水陸機動団は、今年1月7日から2月16日にかけて米海兵隊基地キャンプ・ペンデルトン(カリフォルニア州)などで行なわれた日米共同演習「アイアン・フィスト19」に約550人で参加。米海兵隊の艦艇から島嶼(とうしょ)への上陸訓練を敢行している。今にして思えば、これはある意味で海自との"初コラボ作戦"を念頭に置いた訓練だったのかもしれない。

同演習を取材したカメラマンの笹川英夫氏はこう語る。

「今年、陸自は同演習に初めて水陸両用車AAV−7を10両持っていきました(従来は現地で米海兵隊のものを使用)。水陸機動団隊員を乗せたAAV−7は米軍艦艇から発艦して水上を走り、砂浜に上陸するのみにとどまらず、海岸堡(前進のための拠点)を確保すべく、装甲兵員輸送車として内陸深くまで時速50〜60キロで進撃しました」


米海兵隊との合同演習では島嶼への上陸のみにとどまらず、陸自・水陸機動団が水陸両用車AAV−7で内陸部へ進撃するシーンも

前述したように、陸自と海自の共同作戦に使われる海自艦「おおすみ」型輸送艦は3隻ある。これをローテーションしながら、水陸機動団は南シナ海に約2500ある有人・無人島の警備に当たることになる。

「通常、おおすみ型輸送艦はエアクッション型揚陸艇を2隻積んでいますが、これを1隻に減らし、代わりにAAV−7を最大16両搭載することになるでしょう。1回のミッションの長さは、水陸機動団の隊員たちが陸上での戦闘・機動訓練を行なう必要性を考えれば、おそらく3ヵ月程度。それでも、陸自と海自の隊員が初めて長期間一緒にいることで、文化の違いや使用言語の違いなどを理解し、意思疎通を深めていけることの意義は大きいと思います」(前出・毒島氏)

周辺海域ににらみを利かせ、抑止力とする。そして敵の島嶼部への着上陸の兆しをいち早く発見し、場合によっては奪還作戦を速やかに実行する。それが令和の時代における"陸海自衛隊初コラボ"の任務だ。いつ、どんな形で始まるのだろうか? 続報を待ちたい。

取材・文/世良光弘 写真/笹川英夫