「#デジタルツインへようこそ :雑誌『WIRED』日本版VOL.33の発売に際して、編集長から読者の皆さんへ」の写真・リンク付きの記事はこちら

世界では毎月9,000万人が、超人気ゲーム「マインクラフト」でブロックを積み上げて自分の世界を構築し、日夜冒険を繰り広げている。次に発売されるそのAR(拡張現実)版「マインクラフトアース」なら、あなたはそのブロックを現実の風景のなかに積み上げることになる。ダイニングテーブルの上に街をつくり、学校やオフィスの入り口を壁で封鎖し、東京タワーの隣にもうひとつの東京タワーを建てて、その周りを友達と一緒に巡ることだってできる。

そう、ミラーワールドがついに到来したのだ。

実は今号の企画は「ポストモビリティ」というキーワードから始まった。つまり、いまどきの自律走行車やドローンやスマートシティといったモビリティ社会論の、「その先」を考えようというものだ。というのもいまや官民挙げて日本版MaaS(Mobility as a Service)だITS(Intelligent Transport Systems)だとぶち上げているのだから、ぼくらがそれをなぞったところでまったく面白くはないからだ。

それよりも、モビリティやスマートシティの議論が乗り物やサーヴィスやインフラの面からばかり語られ、前号で特集した「ウェルビーイング」といった文脈が抜け落ちていることが気になっていた。そもそも人が「移動」させたいものとは、自分の身体なのか、それとも心とか存在といったものなのか? そんな問いから始めたかったのだ。

ケヴィン・ケリーが構想するミラーワールドは、まさにポストモビリティを鏡の反対側から眺めた世界だ(そういえば昨夏に彼が、「いま、大きなテーマでひとつ書いてる」と言っていたっけ)。未来のポストモビリティ社会とは一方で、クルマやロボットに搭載されたカメラやセンサーによって現実がリアルタイムでスキャンされ、デジタル記述され、アルゴリズムに回収されるプロセスでもあるのだ。

つまりミラーワールドとは、現実の都市や社会やわたしたち自身といった物理世界の情報がすべてデジタル化された、〈デジタルツイン〉で構成される鏡像世界のことだ。デジタルツインについてはドイツの「インダストリー4.0」といったスマート製造業の文脈でご存じかもしれないが、ここで双子になるのは、〈世界〉そのものだ。

このデジタルツインの世界では、デジタル記述されていない物体は、いわばダークマターでしかない。あるいは伝説のSFアニメ「電脳コイル」において、それは単純に「バグ」と呼ばれる。12年前のこの作品で監督の磯光雄は、子どもたちが没入する拡張現実の空間を描き出した(マインクラフトアースをみなさんもいま思い浮かべたはずだ)。その空間とリアルとのズレが「電脳コイル」と呼ばれるわけだけれど、ぼくらはまさにこれから、ふたつが重なり合う世界を生きることになるだろう。

情報建築学のフィールドを牽引する建築家の豊田啓介さんは、今号の特集でそれを「コモングラウンド」と定義している(ぼくたちはネットで繰り広げてきたコモンズの悲喜劇をまた繰り返すことになるのだ)。重なり合った世界は時に電脳コイルを生み出しながらも、やがて人々にとっての新たな「自然」となるだろう。今回紹介するマシンランドスケープやマシンインターネットとは、人類にとっての新たな「風景の発見」であり、つまりは新たな「内面」の獲得にほかならない。だからこの特集は必然的に、アイデンティティの問題にまで行き着くことになったのだ。

東京の街を自律走行車やドローンタクシーが行き交うようになるもっとずっと前に、ミラーワールドは訪れるだろう。それを予言していたかのように、1991年にオックスフォード大学出版局からその名も『Mirror Worlds』を刊行したコンピューター科学者のデイヴィッド・ガランターは、同書でぼくたちにこう告げている。

「ほとんどの人にとって、テクノロジーは晴れた涼しい春の日の海のようなものだ。遠くからは輝いて見えるけれど、水は息をのむほど冷たい。でも中に飛び込めば爽快だ。だから物怖じしている場合じゃない。冷たくて美しい海は、もう目の前に来ている。ミラーワールドの到来は、海面が再び一気に上昇するようなものだ。そこに飛び込まないなんて、ほかに何をしようっていうんだ? 試してみようじゃないか。大きく息を吸って。さぁ飛び込もう」