18歳でマンCのトップチームにデビューしたM・ジョンソン。トントン拍子で成長していたのだが……。 (C)Getty Images

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 2013年1月、ある一枚の写真が英国で話題になった。そこに映っているのは、まるまると太った一人の男性。わずかに笑みを浮かべている。場所は、マンチェスター市内にあるテイクアウト専門の中華料理店。頬は丸みを帯び、体型が不摂生な生活を物語る。
 
 その男性が、「イングランドの宝」と謳われたマイケル・ジョンソンだったことに世間は驚いた。このとき24歳。わずか18歳でマンチェスター・シティのファーストチームにデビューを果たし、行く行くはイングランドを背負って立つ存在になっていく――。そう期待されていた逸材の変わり果てた姿に、イングランドのサッカーファンは思わずため息を漏らした。
 
 しかも、写真が撮影される1か月前に、マンチェスター・Cを解雇されていた事実が後に明らかになる。クラブからの正式な退団発表はなく、ツイッターの写真が話題になって初めて、ジョンソンの放出と現役引退が世に知らされたのだった。
 
 10代の頃は順風満帆だった。リーズの下部組織でサッカー人生を歩み出し、04年、16歳でマンチェスター・Cのユース部門に移る。2年後にプロ契約を結び、06年10月に1軍デビュー。トントン拍子でステップアップしていった。
 
 チームメイトだった元ドイツ代表MFのディトマール・ハマンは、「若かりし頃のミヒャエル・バラックを彷彿とさせた」と振り返り、こう続けた。「広い視野を持った優れたパサーであり、ゴール嗅覚も鋭い。おまけに、ゲームを読む力も抜群だった。あれほどの才能を持った若手は、これまで見たことがなかった」
 
 ハイライトは07-08シーズンのプレミアリーグ第2節、ダービー戦の決勝弾だろう。43分、ハーフウェーラインやや右寄りの位置からドリブルで持ち上がり、一人を抜き去った後に味方とのワンツーでさらに敵陣深くに進入。最後はペナルティーアークから右足アウトサイドのシュートでGKの頭上を抜いた。18歳で決めたプロ初ゴールだった。
 
 そんな若手有望株の行く手を阻んだのは、度重なる怪我だ。08-09シーズンには腹部から骨盤、鼠径部にかけて痛みを抱え、公式戦出場はわずか8試合に終わる。復活を期して臨んだ翌シーズンは、09年12月の練習中に前十字靭帯損傷の大怪我を負い離脱。ここから1年半に渡ってリハビリ生活を強いられた。つまり、3シーズンを怪我でほぼ棒に振ったことになる。
 
 復帰後の11-12シーズンは再起を誓い、当時FLC(2部) だったレスターにレンタル移籍した。しかし、オーバーウェイトで調子はまったく上がらず、年明けの1月に再び故障。結局、9試合に出場しただけでレンタル期限前にシティに舞い戻った。
 
 ピッチ外でトラブルが続出したのは、ちょうどこの頃だ。こともあろうに、12年2月に飲酒運転で逮捕されたのだ。しかも反省するどころか、4か月後にふたたび飲酒運転で交通事故を起こし、再逮捕された。

 ハマンは「誘惑に勝てないところがあった」と明かすが、地元紙『マンチェスター・イブニング・ニュース』のインタビューのなかで、精神疾患やアルコール依存症、ギャンブル依存症を専門とするクリニックに通院していたことを、ジョンソン本人が明らかにしている。
 
 そして事件から6か月後、マンチェスター・Cを放出され、24歳の若さで現役生活に幕を引いた。当時、指揮官を務めていたロベルト・マンチーニ監督は、「マイケルは特大のポテンシャルを秘めていた。退団は、ただただ悲しい」と嘆いたものだった。
 
 引退から2年後の15年、ジョンソンは生まれ故郷であるマンチェスター郊外のアームストンで、不動産業に転身。知人と共同で会社を立ち上げた。しかし現在、ジョンソンの名は共同経営者の欄から外されている。
 
「僕のキャリアについては、誰よりも自分自身がいちばん落胆した。今は、世間の目にさらされることなく、ひっそりと生きていけたら嬉しい」
 
 若くしてフットボーラーとしてのキャリアに終止符を打った逸材は、こうして表舞台から姿を消した。
 
文●田嶋コウスケ
 
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年5月16日号より転載