『わたし、定時で帰ります。』(TBS系、火曜午後10時〜)では、吉高由里子(左)や向井理が現代の企業で奮闘する姿を描いている(ⒸTBS)

“毎日定時帰り、有給休暇はすべて消化”をモットーに、Web制作会社で働くヒロイン。ブラック上司や前時代的な働き方を良しとする同僚やクライアントに翻弄されつつも、奮闘する姿を描いた『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)。TBS系でドラマ化もされ(火曜午後10時〜)、主役の東山結衣を女優の吉高由里子さん、東山の上司で元彼でもある種田晃太郎を俳優の向井理さんが演じている。

世の中で「働き方改革」が叫ばれる中、社会問題を提起した作品でもあり、それに共感する読者や視聴者も多い。特に長時間労働は、昭和の高度成長期の成功体験を懐かしむ、”おっさん”世代を象徴する問題だ。お仕事小説の名手である原作者の朱野帰子(あけの かえるこ)氏に、このテーマが生まれたきっかけや長時間労働問題に対する考えを聞いた。

実は私自身が“長時間労働派”だった

――これまでの朱野さんの作風とはちょっと変わった感じがします。どうして働き方改革にフォーカスを当てたんですか。


『わたし、定時で帰ります。』というタイトルを見て、長時間労働派の人はイラッとしている、みたいな話を聞かされるんですよ。ただね、私自身はおそらくそういった人たちより、もっとやばい“長時間労働派”という自負があって、チキンレースをしても負けないくらい、長時間労働をやっていた時期があります。

会社員を辞めてフリーランスの作家になってからは、とくに不規則な時間に書き続け、子どもを産んでも休まない。産休も取ったか取らないかという程度。出産前後も休まず、普通の人より多い仕事量を妊娠出産しながらこなしていた、という状況でした。

フリーランスになると、誰も労務管理をする人がいないわけです。御社の『会社四季報 業界地図』(東洋経済新報社)にも出ていますが、出版業界は10年ほど前から“絶賛不況の真っただ中”。出版点数がどんどん増えていく中、短期間で成果を出さなきゃいけない。結果を出さなければ消えていくだけ、という焦りもある。

大学を卒業したのが就職氷河期だったことに加え、1社目に就職した零細企業が裁量労働制を採っており、時間無制限で働くという習性が身に付いてしまったんです。もともと働くのが好きなうえ、好きな仕事に就いたことで暴走していく私を止める人もいない……。

――その働き方は、種田晃太郎(※1)と同じじゃないですか!?

そうですね、晃太郎そのもの。しかも三谷佳菜子(※2)と同じで、自己肯定感も低いんです(笑)。

※1 種田晃太郎は『わたし、定時〜』に登場する準主役で主人公・東山結衣の元彼。野球部出身で「人は寝なくとも死なん」がモットー。仕事に集中すると周りが見えなくなり、不眠不休でぶっ倒れるまで突っ走るタイプ。※2 三谷佳菜子は主人公の職場の同僚。就職氷河期に就活し、数十社から”お祈りメール”(企業からの「お祈り申し上げます」という不採用通知のメール)をもらったこともあり、自分に対する評価が低い。有休を取ることすら恐怖となっている。

ただ、今から考えると、明らかにキャパオーバーでしたね。自分が過労なんだという自覚がない。ちょっとランナーズハイに陥っていたんだと思います。

『わたし、定時〜』の執筆依頼を受けたときも、プロット(物語)を夜中の2時に送って、朝の5時には起き出して出産のため病院に行きました。出産後も病室ですぐ起き上がって勉強したり、退院後も2週間は休んだんですが、そこからすぐ確定申告と連載をこなすという状態だったんです。

ちょうどそのころ、“ゆとり世代”の編集者さんと話をしていたとき、その編集者さんから「氷河期世代より上の人たちの働き方はおかしい」と言われまして。

――『わたし、定時〜』に出てきそうなセリフですが、実際にそういう話が出たんですか?


朱野帰子(あけの かえるこ)/東京都生まれ。2009年『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2013年『駅物語』がヒット。2015年『海に降る』が連続ドラマ化される。シリーズ第1弾となる『わたし、定時で帰ります。』は、労働問題が社会的な関心を集める世相を巧みに反映し、そのエンターテインメント性も相まって大きな話題となる。2019年4月に続編である『わたし、定時で帰ります。ハイパー』とあわせてドラマ化。近刊に『対岸の家事』『会社を綴る人』『くらやみガールズトーク』などがある(撮影:尾形文繁)

打ち合わせをしているときに、編集者さんに「なぜそんな働き方をするんですか。そういう働き方をする人たちに巻き込まれたくはありません」と、ハッキリ言われました。そのときは自分の人生を全否定されるくらいの衝撃でしたね。

と同時に、たぶん、自分もそのとき限界を迎えていて、このままいくと疲れているという自覚がないまま、突然、うつ病とか適応障害とかになってしまうんじゃないかと感じていたんです。もうギリギリだったんだと思います。心の中で「誰かに止めてほしい」と感じていたとき、その言葉を投げかけられて……。

そこで定時退社する人たちと、そうでない人たちとの葛藤というか、対立軸をテーマにしてみようかと考えつきました。労務管理のしっかりしていない会社の人たちが、働き方改革にどのように向き合っていくかを、コメディータッチで書きたいと思ったわけです。

もともとビジネス誌やビジネス書が大好き

作家になったばかりの頃は、作家に対する憧れが強すぎました。作家たるもの、高尚なものを読まなきゃいけない、文学の世界にもっと深く耽溺しなければならないと思い込んでいたんです。「外国文学を読んでいます」「本格ミステリーが好きです」というのが、作家のあるべき姿だと思っていて……。

実はもともとビジネス誌やビジネス書が大好きなんです。『日経トレンディ』や『日刊工業新聞』『日本農業新聞』を読むのも大好きでした。『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』などで、ある企業が看板商品や製品を作り上げるまでといった記事が載っていると、それを読むだけで涙ぐんだり。ほかにも、試行錯誤がすさまじいなと感じる企業や変な研修を取り入れている企業があったりと、人間ドラマが詰まっている感じがすごく好きなんです。

だけど、文芸畑の編集者の方や作家さんにビジネス誌の話題を出しても、話がかみ合わないんですよ。だから、作家さんの集まりでも、なるべく企業の話はしないようにと心がけていました。本にしても、「今は直木賞を受賞した○○を読んでいます」とか、格好つけてましたね(笑)。

それが『わたし、定時〜』を書いてから、「元会社員なんです」と胸を張って言えるようになったんです。カミングアウトというと大げさですが、本来の自分に戻ってきたと思える。いま読んでる本も、『the four GAFA』(東洋経済新報社)であったり『デス・バイ・アマゾン』(日本経済新聞出版社)といった、Amazonが躍進する陰で追い込まれる企業の話などが大好きで、こういう本が大っぴらに読めるようになった。

つい最近、書いた短編の舞台はコンサルティング業界なんですが、業界の背景や全体像を把握するのに、御社の『業界地図』を使いました(笑)。あとビジネス誌の特集記事も参考にしています。

実は『業界地図』も久しぶりに買って(笑)。ようやくTwitterにも「この本読んでます」と言えるようになってきたところなんですよ。別に誰かに「読むな」と言われたわけじゃないんですけど。

――自分の中のイメージで自主規制をかけておられたんですか。

なんかやっぱり、憧れの作家を演じよう、としていたんだと思います。お金のことばかり考える、ガツガツした人ではいけないと……。

――必ずしも企業の話がお金にガツガツしたイメージになるわけではないと思いますが。

でも、一般企業においては、お金を儲けることが最大の善じゃないですか。それ以外の目的ってないですよね。

本の世界には売れていなくともすばらしい作品がいっぱいあります。私もどちらかといえば、そっちの世界の作家になりたいという夢がありました。死後に評価される、憧れちゃうんですよね(笑)。今、文芸の世界でも、売れる本、売れない本みたいな論争になっていますが、売れる本がどんどん出て業界にお金が回れば、お金にならないけど後世に残るような本を育てることもできると思うんです。

私はどちらかといえば、これまで憧れてきた芸術を創る人間ではなく、もともとあるサラリーマンマインドで、より多くの人に喜んでもらえる作品を作っていこうと。書店さんも出版社さんも潤って、これからの作家さんが育つ環境に貢献できるようになれればいいな、と思っているんです。これを言うと、自分にすごいプレッシャーがかかるんですけど(笑)。

やっとこう、自分の中にある、売れないけどすごい作家になりたい、という憧れを捨てることができた。自分が本来、向いていると思えるほうに行けたな、と思っています。売れ筋とわかっていても、ガツンと攻めることへの、ウケるネタを書くことへの抵抗がすごくあったんです。誰も書いていないようなテーマに挑戦すべきと思い込んでいた。

若い人がついてこなかったらおしまい

今回の『わたし、定時〜』は、今の世の中はこんなことが問題になっているから、こういう設定にしてこんな読者に届けたい、と初めて意識して書きました。書き上げたとき、私のイメージが明確だったせいか、編集さんも装丁に力を入れてくださったし、営業の方や宣伝の方も、サラリーマンに届くように売り込んでくださった。そのおかげもあってビジネス書の近くに置かれることが多いんです。私自身、最初からそうなるといいなと思っていたんですが、そのもくろみが当たった感じです。


実際、この本が世に出てみたら、文芸関係の取材より、新聞記者や経済誌のほうからの引き合いが強く。これまでも、働き方改革の記事はいくつも書いてきたけど、そろそろネタ切れだと。柔らかいネタで、新たな切り口で何かないかと探しているときに、この本が出たので取り上げてくださっているようです。

――『わたし、定時〜』の中には、主人公の「定時で帰るは勇気のしるし」という言葉が出てきますね。

仕事は長い時間を与えられたほうが圧倒的に楽なんです。いかに時間内に仕事を終わらせるか考えなくて済みますし。集中もしなくていい。

私は今、保育園のお迎えがあるので午後6時には仕事を切り上げていますが、自分の働き方を変えたのは、過労で本当につらい思いをしたことがいちばん大きい。当時の苦しさと死ぬのと、どっちを選ぶと言われたら、もう1回、同じ目に遭うのなら死ぬほうを選ぶというくらい、つらかった。本当に心が壊れた1〜2年間は、生物にとって最も恐ろしい“死”が楽に思えるくらい、つらかった。

今の若い人は長時間労働を嫌いますよね。若い人がついてこなかったら、会社はおしまいじゃないですか。そこはみんなで知恵を出し合わないと。頭を使わないといけない時代になってきたんだと思います。

私自身は“絶賛長時間労働派”なので、自らに鎖をかけて仕事をしています。『わたし、定時で帰ります。ハイパー』(続編、新潮社)で、主人公が働く会社の人事の女性に「定時というのは経営者を縛る鎖だ」と言わせたのですが、社員が長時間労働をいとわなくなると、上層部は頭を使わなくなる。上の人たちを鍛えるためだと思って、社長のためだと思って、定時に帰るのがいいんじゃないでしょうか。