エルサルバドル戦でA代表デビューを飾った久保。スタンドを魅了するプレーも披露した。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 予想通りの日本代表デビュー戦だった。
 
 久保建英は、バルセロナのカンテラ時代から、最適の状況判断を最良で表現する選手だった。そのスタンスは変わっていないので、チャンスの初期段階から仕上げまで相手の嫌がるプレーを高い精度で続けた。交代直後に大迫勇也のパスを受けて縦に抜け出したシーンでは、フォローする味方がいなかったので、マークするDFに続きカバーリングが来るのを待ち、2人の間を割って入る定石からシュートに持ち込んだ。一方でトップ下としては、ワンタッチで攻撃を加速させ、セットプレーで相手の集中が途切れかかっていると見れば、即座に動き出して小林祐希の素早いパスを呼び込んだ。

 特にこうした緩い国内の親善試合なら、久保にとって日本代表戦は、通常のJ1リーグ戦よりはるかに長所を発揮しやすい。FC東京のポゼッションは40%台で、ディエゴ・オリベイラとのコンビで攻撃を完結させなければならないことも少なくない。それに対し日本代表は逆の立場になるので、ボールに触れる機会もプレーの選択肢も増える。久保自身の登場直前に、FC東京で同僚の永井謙佑が故障で退いてしまったが、逆にボールを収める能力に長けた大迫との連動で、久保の判断速度とタッチの精度が活きていた。
 
 半世紀以上前の東京五輪で、日本代表スタッフが一番頭を悩ませたのは、当時19歳の釜本邦茂氏をいつ合流させるか、だった。
 
「プレーを読む力もヘディングでゴールを決め切る力もあり大器なのは判っていた。だから抜擢するタイミングが遅れてはいけない。しかし潰してもいけないので、あくまで慎重に」(当時日本代表コーチ・故岡野俊一郎氏)と、連日何時間も議論をしたという。結局釜本氏は20歳で東京五輪を迎え、4年後のメキシコ五輪では得点王を獲得。33歳まで日本代表のエースストライカーとして君臨する。まだマイナーな時代のサッカー界に奇跡的に生まれた天才だった。
 
 もちろん久保は、釜本氏と時代背景も役割も異なるが、おそらくアクシデントがなければ、この先10年間前後は代表の中軸としてプレーする器だ。釜本氏は20歳を過ぎてからドイツへの短期留学を経て急変貌を遂げたそうだが、久保は9歳からバルセロナで過ごして来た。ただしその圧倒的な利点を踏まえても、天才少年が日本へ戻って来てからも順調に成長したことには重要な意味がある。
 
 FC東京とJFA(日本協会)は、久保に相応のハードルを課すために侃々諤々の議論を繰り返したに違いない。U-23に合流してからも、時には同年代のチームで楽しく創意工夫をする場も提供し続けた。U-17とU-20の掛け持ちは「さすがに躊躇した」(立石敬之・前FC東京GM)そうだし、J3参戦を危惧する声もあった。だがU-23チームでは参戦翌年にはエースとして対戦相手のターゲットとなり、横浜へのレンタル移籍を経た今年は、トップチームのスタメンを奪うと、瞬く間に不可欠の存在として牽引するようになった。もちろん久保の場合は、幼少時から図抜けた才能を発揮したからこそ、ここまで一気に到達した。ただしその理想的な足跡には、サッカー選手を健やかに育てるヒントが散りばめられている。
 
 まず何より久保のサッカーライフは、常にボールと同居していた。ボールを自在に操れるから顔が上がり、視野が確保され選択肢が増える。その基盤が、より良い環境で磨かれ、賢くて上手いと表現される選手になった。今年急成長中のフィジカルや物怖じしないメンタルは、決してスパイクもボールもない地獄の走り込み合宿や監督の罵声を浴びながらの罰走で培われたものではない。裏返せば、もはやサッカーを上達させるアイデアがなく、それを理不尽で補おうとするような部活は、選手の成長の足かせにしかならない。
 
 ヴェルディ一期生として長年育成にも携わって来た小見幸隆氏は言う。
「今までの天才たちは、指導者と意見が合わなくても強引に自分を通し、それでも潰れなかった選手だけが残った」
 
 要するに、選手の才能に追いつかない指導者は、天狗の鼻を叩く程度しか術を持たなかった。FC東京の施策が満点だったのかは判らない。しかし少なくともU-23チームをJ3に参戦させ、適切な経験値を踏ませていったという点で、天才少年がエースに育つまでの土壌を整えることには成功した。
 
 一方で久保は、必然的に日本代表内の競争原理を再考させるきっかけをもたらした。森保一監督は、堂安律、南野拓実、中島翔哉を2列目に抜擢し、この選択がチームに弾みをつけた。だが3人への信頼は、あまりに揺るぎなく、最近では安住へと変わりつつあった。特に今回の2戦でほぼ消えていた堂安が、エルサルバドル戦でフル出場した背景には、どこかで良い面を引き出してあげたいという指揮官の親心が働いていたようにも思える。
 
 だが現状でも久保は、プレーのバリュエーションやその精度、判断の効率など様々な面で十分三銃士に割って入る力を示している。ポジションを失った選手は奪い返すために奮起する。代表チームとは、こうした切磋琢磨で高めていく活動の場であるはずだ。
 
文●加部 究(スポーツライター)

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