MRTJの自動改札機。日本のようにゲートが開いたままだが、乗客はカードをタッチするために一時停止している(筆者撮影)

今年3月、東南アジア最大級といわれる輸送機器関係の総合見本市「インドネシア国際交通ショー」がジャカルタで開催された。このショーはインドネシアや中国を中心とするバス・トラック・特殊車両、また二輪・四輪の車両部品メーカーが出展するが、一昨年から鉄道関連企業の集まるエリアも加わった。

鉄道関連は、中国中車やインドネシア国営車両製造(INKA)を筆頭に、信号や土木関係などのメーカーが目立つ中、今年は日本の交通系電子マネーを席券する「フェリカ」の開発元であるソニーが初出展した。

フェリカはインドネシアでも交通系ICカードとして採用が広がり、今年4月に開業したジャカルタ初の地下鉄、MRTJ南北線でも採用。今後は電子マネーとしての展開に向けた整備も進む予定だ。一方で、市中では新たな交通手段として、すっかり定着した配車アプリの事業者によるQRコード決済が急速に利用者を増やしている。

インドネシアにおける交通系ICカード、また当地におけるキャッシュレス決済の現状をリポートする。

フェリカ採用に至った理由は?

「フェリカは、2015年からインドネシア通勤鉄道(KCI)のストアードフェア式ICカード『KMT』に導入され、ジャカルタ地下鉄公社(MRTJ)にも採用いただいた。今後開業予定のLRTジャカルタにも納入予定です」。ソニーの現地法人、ソニー・インドネシアのフェリカ担当、溝口雄貴氏はインドネシアでのフェリカ導入の現状についてこう語る。


今年「インドネシア国際交通ショー」に初出展したソニーのブース(筆者撮影)

KCIにおけるICカードの導入は、実はフェリカ導入よりも早く2013年のこと。従来手売りしていた紙の乗車券を全廃し、シングルトリップ(紙の乗車券と同じく1回のみ使用)のICカード「THB」に置き換えた。この際に、日本のスイカなどと同様にチャージして複数回使えるマルチプルトリップカードとしてKMTの発売も開始している。

このとき採用されたICカードは、国営通信会社テレコムが開発したNFC(近距離無線通信)規格のチップを搭載していた。KCIも国営企業グループの1つであるだけに、海外製品であるフェリカなどの参入余地はないものと筆者は見ていた。そのため、2015年2月にKMTへのフェリカ採用が発表されたときには、驚きを隠せなかった。

既存のシステムがある中で、フェリカはどのようにして入り込めたのか。

実は、KCI側がフェリカの導入に強い関心を抱いていたとのことだ。

テレコム製のチップは改札口での反応や読み取り速度に問題があったことも1つの理由だが、当時のKCIはJR東日本との相互協力の覚書を締結し、ハード・ソフト両面において日本から学ぼうと全社的に動いていた時期であり、やはりカードもスイカと同じものが欲しいという気運が高まっていたのが大きいという。

さらに、当時のKCI社長トリ・ハンドヨ氏が同社では極めてまれな外部からの登用者で、非常にビジネス感覚に優れていたことも、フェリカ採用がとんとん拍子に決まった理由だという。

しかしながら、当時トリ氏は体調不良を理由に退任が決定していた。なんとしても在任中に報道発表したいとの希望から、退任と同日の2015年2月3日に滑り込みセーフのような格好で、KMTへのフェリカの採用(THBは従来と変わらず)がリリースされた。実際にフェリカを搭載したカードが流通し出したのは、数カ月後のことである。

「時計型」で強みを発揮

だが、フェリカ搭載のカードに切り替わることにより何が変わったのかというと、利用者としては正直なところあまり実感がない。というのも、カードの性能がよくなっても改札機は従来のままだからである。


KCIのターンスタイル改札機。国営3銀行が発行する電子マネーICカードも利用できるとのラッピングが施されている(筆者撮影)

KCIの改札機は回転バー式(ターンスタイル)であるため、1人1人が改札機で止まる前提であり、前の人が進まないと次の人は改札に入れない。これでは、いくら読み取り速度が速くても意味がない。もちろん、通信エラーによるストレスから解放されたというのは事実であるが、1分間に60人が通過できるフェリカ本来の性能は活かしきれていない。


当初発売されたリストバンド型とキーホルダー型のKMT(筆者撮影)

そこでまず考え出されたのが、腕時計のような形状のリストバンド型KMTである。KCIの乗車券はすべてICカード化され磁気券が存在しないため、チャージ(当地ではトップアップと呼ぶ)の際に券売機に挿入する必要はない。そのため、カード型である必要はないのである。

このタイプが開発された背景には、インドネシア特有の事情がある。KCIの場合、乗客の多くは駅前駐車場にバイクを停めて電車に乗り換える。

駅前のKCI関連会社が運営する駐車場では支払い時にKMTが使用できるが、バイクにまたがったまま財布を出すのは非常に面倒だ。そこで考え出されたのが、このリストバンド型である。これは見た目を重視するインドネシア人にとても受けた。

さらにその後、電車型のキーホルダーKMT、さらには「なんちゃってお財布ケータイ」が作れるステッカー式KMTなど、奇抜な商品が相次いで登場した。最近はこのような面白い形のものは発売されなくなってしまったが、逆に増えているのが記念デザインカードである。何らかの記念日にかこつけた限定柄のカードが1〜2カ月に1回の頻度で発売されている。


これまで発券されたKMTの図柄一例。一部の限定柄は、ネットオークションで高値がつくほどの人気ぶりだ(筆者撮影)

なかなか利用者が増えなかったKMTだが、「限定」という言葉にはインドネシア人も弱いようで、ここ数年でKMTの利用は飛躍的に増加。KCIによると、現在は乗客の約6割がKMTを利用している。インドネシアでは各銀行がICカード型電子マネーを発行しており、KCIではこれらも改札機で直接利用できるため、それも含めれば料金前払い型のICカード利用率は7割程度にまで上がっている。

公式発表はないが、2018年度のKCIの財務レポートには、2016年に約300億ルピア(約2億2700万円)、2017年に約384億ルピア(約2億9200万円)のカード販売収入(THBのデポジット未返金分含む)が計上されており、カード代金が2万5000ルピア(約190円)であることを考えると、フェリカを搭載したKMTはすでに200万枚弱が発券されていると推測される。

日本式の改札は慣れない?

とはいえ、KMTのカード代支払いを敬遠し(KMTはスイカのように返却はできない)、駅窓口の列に並んでまでもデポジットが8000ルピア(約60円)のTHBにこだわる人々が一定数いるのも事実だ。この点について溝口氏は、費用面からTHBにフェリカを搭載することは難しいため、今後はシーズンパス(定期券のようなもの)など、新たな機能を搭載したカードを提案していきたいと話す。


MRTJはマルチトリップカードが未発売のため、暫定的に銀行ICカードを特設ブースで発売しているほか、チャージにも対応している(筆者撮影)

一方、4月1日から営業を開始したMRTJ(ジャカルタ地下鉄公社)は日本信号製の改札機を導入しており、日本と同様に改札通過のスピードも速く、フェリカの性能を活かせる環境にある。

ただし、MRTJではシングルトリップ、マルチプルトリップの両方のカードにフェリカを採用しているものの、金融庁からの許可待ちの状態であるため、マルチプルトリップカードは6月上旬現在発売されていない。そのため、共通利用できる銀行ICカードの流通がMRTJでは先行してしまっている。

結果的に、改札口での反応速度にカードによってバラつきが出てしまったことに加え、日本のようにゲートが開いたままの改札機に現地の人が慣れていないため、カードは反応しているものの、どのタイミングで改札機を通過すればいいのかわからず、立ち往生してしまう事態が多々発生してしまった。慣れるまではしばらく時間がかかるかもしれない。

このように、KCI、MRTJ、そして今後はLRTジャカルタと、ジャカルタの鉄道で続々と採用されているフェリカであるが、あくまでも乗車券機能に特化しており、総合的な電子マネーにはなりえていない。また、今のところ鉄道各社のカード相互利用もできない。


それに比べ、各銀行が発行するICカードは鉄道各社に加えて、市内の主要交通機関である専用走行路を走るバス(バスウェイ、TJ)やコンビニでの買い物、高速道路料金や駐車場の支払いにも使え、汎用性が高い。半ば国策的に導入されたこともあり、普及のためにTJや高速道路での現金支払いを廃止してきた経緯もある。

それでもKCI利用者の大多数がKMTを使うのは「駅でチャージできる」という点に尽きる。インドネシア人は高額のチャージを好まず、こまめにチャージする傾向が強いため、改札内にも乗り越し・チャージ残高不足用の精算機を設置しているKMTは安心感がある。

KCIは、2019年に線内でのKMT利用率を8割まで引き上げることを目標としており、他社との相互利用、また駅ソトのコンビニなどにおける買い物の決済にも使えるよう、整備を進めていくとしている。

市中のコンビニやレストランには、すでに各銀行が用意したクレジットカード・ICカード共用のカードリーダーが用意されている(このリーダーは後述するQRコード決済時のコード印字にも対応している)ため、KMTの読み取りに対応させることができれば、KMTが電子マネーとしても広まって行く可能性は大きい。

急速に伸びるQRコード決済

そんな中、日本と同様にインドネシアでもQRコード決済アプリが存在感を増してきている。

2018年はインドネシアにおいてもキャッシュレス元年であった。地場企業の配車アプリ「ゴジェック」が、運賃支払い用の独自の電子決済システム「ゴーペイ」をQRコード認証に対応させ、市中でのゴーペイ決済が解禁されたのだ。それに追随するようにマレーシア系配車アプリ「グラブ」も地場の大手財閥、リッポーグループが提供するQRコード決済アプリ「オフォ」と組み、同様のサービスを開始した。


市中の各店舗で繰り広げられているQRコード決済サービス各社のキャッシュバック合戦。最近は新参組の「リンクアジャ」や「ダナ」の還元率が高くなっている(筆者撮影)

ジャカルタ首都圏におけるスマートフォン保有率はおよそ8割に達し、すでに配車アプリは市民生活に浸透している。このほかにも電子決済アプリが乱立しているが、すでにゴーペイとオフォの2強体制が確立されつつある。

各社は加盟店舗の急速な拡大、そしてキャッシュバック合戦を繰り広げており、20〜30%の還元は日常的だ。しかも、利用額に応じて配車サービス利用時の割引クーポンも配信される。

QRコード決済の普及は目覚ましく、KCIマンガライ駅構内のスターバックス店舗のスタッフによると、最近は多いときは客の約半数がQRコード決済で、逆に銀行ICカードでの決済はほぼ見られなくなったという。

インドネシア中央銀行の統計によれば、QRコード決済の解禁わずか1年にもかかわらず、2018年の電子マネー決済総額は前年比300%を越えるほどの伸びを見せている。


QRコード決済アプリは駅ナカのコンビニや軽食スタンドでも存在感を見せつけている(筆者撮影)

QRコード決済の急激な拡大は、大幅な還元キャンペーンによるところもあるものの、アプリ内で日常生活のおおよその部分がカバーできる点も大きいだろう。配車アプリはフードデリバリー、買い物配送、クリーニングサービスの利用などをはじめ、携帯使用料や光熱費などの支払いにも対応しており、実店舗に出向くこと自体が減っている。チャージもスマホのオンラインバンキングでできるため、この利便性に慣れてしまうと、もはや手放すことはできない。

しかしながら、すべてがQRコード決済に支配されるということは当面ないだろう。どの電子マネーも交通を核として、その顧客をしっかり取り込んでいるからである。KMTの相互利用が拡大すれば、ジャカルタ市内の電車・バスはKMT、自家用車の利用者は銀行の電子マネー、二輪・四輪配車および日常的な買い物はアプリを用いたQRコード決済というすみ分けがなされるものと予想する。

鉄道もQRコードに流れる?

ただ、今後の動向で気になるのは、MRTJが配車アプリとの一括決済システムの構築を目指していること、またKCIの親会社であるインドネシア鉄道(KAI)が、駅窓口での現金扱いを廃止すると発表していることである。KCIも親会社の意向に沿い、KMTやTHBは存続する予定であるものの、将来的には駅での現金授受を廃止する方針だ。


タイで市民権を獲得しつつあるブルーペイも自動販売機での決済専用でジャカルタに上陸。駅構内を中心に多数設置されている。奥はスマホ用のパワーパックレンタル機(筆者撮影)

KAIの現金扱い廃止の方針は、他社に一歩出遅れた感のある国営企業連合のQRコード決済アプリ「リンクアジャ」の利用拡大というもくろみもあるが、ある程度システムが構築されつつあった鉄道においても、このようにQRコード決済を導入する可能性が出てきているのも事実だ。

フェリカを搭載した各カードも、ポイント付与や、住居のカードキー、また社員証情報を搭載するなど、新たな付加価値を付ける必要が出てくるのではないだろうか。

都市鉄道網の発達とともに、利用者や利用場面が広がりつつあるフェリカ搭載の鉄道系ICカードと、新たな交通手段である配車アプリとともに急速に伸びたQRコード決済。用途によってすみ分けが図られるのか、あるいはQRコード決済がICカードを追い越し、鉄道にも広がることになるのか。交通機関を巻き込んだキャッシュレス化の動きは、さらに加速していくだろう。