U−20ワールドカップに出場した日本は、決勝トーナメント1回戦で韓国に敗れ、ベスト16敗退に終わった。

 日本がこの大会のベスト16で敗退するのは、2005年、2007年、2017年大会に続き、4大会連続。アジア予選で敗退した4大会を挟み、ベスト8の壁に阻まれ続けている。

 とはいえ、今大会に関しては、力不足で世界の分厚い壁にはね返されたという印象はない。それどころか、日本の選手たちはよく戦った。攻守の切り替えの速さや、ボールを奪いにいくときのプレー強度、さらには組織的な連動性の高さは、今大会でも屈指だった。

 世界大会になると、どうしても日本のDF、とくにセンターバックは、能力の高い外国人FWに手玉に取られてしまうことがある。だが、今大会ではそんなシーンはほとんどなかった。

 できるだけ高い位置で人数をかけてボールを奪い、早めに相手の攻撃の芽を摘む。それができていた日本は、FWの高い能力をまともにDFが受け、危険にさらされること自体が少なかったからだろう。

 また、メキシコ戦以外は得点こそ少なかったが、テンポよくボールを動かし、相手の守備を破る(チャンスを作る)ことはできていた。ボールを持たされ、手詰まり感が漂うこともなかった。

 イタリア戦では再三、パススピードが遅くなったところを狙われ、ボールを失うことがあった。しかし、続く韓国戦では、それも修正されていた。彼らが見せた適応能力は見事だった。

 ただ、それだけにもっと先が見たかった。影山雅永監督も選手に対し、「ここで負けると思っていなかったから、このチームが解散になることを今はそんなに考えられない」と語ったというが、その心境は理解できる。ベスト16で今大会を終えたことが、非常に残念で、もったいなく思える。

 日本戦以外の試合を取材していても、今大会は突出した力を持つチームがなく、日本がどうにも歯が立たないと思わされるチームには出会わなかった。実際、優勝候補と目されたポルトガルがグループリーグ敗退に終わり、フランスも決勝トーナメント1回戦でアメリカに敗れている。

 それを考えると、日本も上位進出できたのではないか。より具体的に言えば、ベスト4進出はかなり現実的なターゲットとなり得た。いや、もしかすると、黄金世代が1999年大会で残した快挙、すなわち、準優勝さえも超えられたかもしれない、とさえ思う。

 もちろん、不運もあった。

 グループリーグ最後のイタリア戦で、FW田川亨介、MF斉藤光毅が相次ぎ負傷。チームを離れ、帰国を余儀なくされた。大会前の時点で、MF安部裕葵、MF久保建英を登録メンバーに加えられなかったことを考えれば、攻撃における”金、銀、飛車、角”を失ったようなものかもしれない。

 それでも、エクアドル、イタリア、メキシコと強敵がそろったグループを2位で通過し、韓国戦でも敗れはしたが、攻勢に試合を進めることができた。

「泣きべそかいて記者の人や、他のみんなの前に出るのは、オレらのチームらしくない。何なら笑顔で出てやろうじゃないか」

 韓国戦後のロッカールームで、キャプテンの齊藤未月はそんなことを話したという。実際、取材エリアに現れた齊藤未のすがすがしい表情は印象的だった。

「別にここで負けたからって、サッカー人生が終わるわけじゃない。運がいいことに、これはU−20ワールドカップで、(その先に)五輪もA代表のワールドカップもあって、Jリーグもある。だから、そういう雰囲気を持って、ここに出てきたいなと思った。(今大会で)初めて負けたので落ち込むが、みんなも、負けた原因とか、次にどうつなげたらいいかをわかっている。もう落ち込まずに(気持ちを)切り替えるべきかなと思う」

 安部や久保がいなくても、やるじゃないか。大会前には、そんなことを思わせてほしいと、選手たちに期待していた。結果は、期待以上だったと言ってもいい。


期待以上の戦いを見せてU−20日本代表

 しかし、彼らがいい戦いを見せてくれたからこそ、さらにプラスアルファがあったら、すなわち、久保や安部がいたらどうなっていただろうか。その興味が頭の片隅から離れない。

 聞けば、A代表のトリニダード・トバゴ戦で、久保は試合出場はおろか、ベンチからも外れたという。その程度の扱いなら、今大会に出ていたほうが、どれだけ彼にとって有益だったか。大会前から同様の疑問を感じてはいたが、あらためてその思いを強くしている。

 思い出すのは、11年前の秋のことだ。

 当時のU−19代表は、翌2009年のU−20ワールドカップ出場をかけたアジア最終予選(アジアU−19選手権)を、サウジアラビアのダンマンで戦った。

 チームの中核として期待されていたのは、香川真司。すでに2007年U−20ワールドカップや2008年北京五輪にも飛び級で出場した、特別な選手だった。

 ところが、香川がアジア最終予選でプレーしたのは、グループリーグまで。世界行きのキップがかかった、肝心の準々決勝には出場しなかった。

 なぜか。

 同時期に行なわれたワールドカップ最終予選、カタール戦に臨むA代表に招集されたからだ。

 しかも、カタール戦が行なわれるのは、アウェーのドーハ。ダンマンからであれば、目と鼻の先である。準々決勝に出場してから合流しても、試合には間に合う日程だった。

 ところが、日本サッカー協会は最年少の代表選手を”特別扱い”できなかった。香川を一度帰国させ、型どおりにA代表の集合日に合流させてから、再びドーハへ向かわせた。

 結局、U−19代表は準々決勝で韓国に敗れ、それまで7大会連続で獲得していたU−20ワールドカップの出場権を失った。

 その一方で、香川はカタール戦で出場はおろか、ベンチにさえ入らなかった。

 もちろん、香川がいたからと言って、U−20ワールドカップに出場できたかどうかはわからない。ただ、日本サッカー全体として限られた戦力を有効活用し、かつ、選手本人の成長にとって最善の選択がなされたのかと言えば、疑問を感じざるをえなかった。

 今回の安部や久保にしても、コパ・アメリカでどんな活躍をするのかはわからない。まして、それが5年先、10年先のキャリアにどんな影響を与えるかなど、わかるはずがない。

 とはいえ、トリニダード・トバゴ戦の扱いを見る限り、A代表における久保が、少なくともいの一番に試したい、試さずにはいられない新戦力でなかったのは明らかだ。どうやら11年前の出来事は、反省として生かされていないように見える。

 安部や久保がいれば、日本はU−20ワールドカップで優勝していたかもしれない。そして、自分が中心となってチームを引っ張り、世界の頂点に立つことができていたら、その経験が今後の彼らにどれほどの影響を与えただろうか。

 所詮は、タラレバの想像である。だが、持っておくべき後悔だと思う。