人気番組「テラハ」から日本人の恋愛観の変化を読み解きます(写真:andresr/iStock)

ひょんなことから共同生活を送ることになった男女が、いつしか引かれ合う。こうした王道的筋書を期待させるテレビ番組「テラハ」は、実はそんな既成概念を覆す、新しい男女の関係を映し出している。戦後日本の結婚や夫婦のあり方について独自の考察を『日本婚活思想史序説』にまとめた筆者が、「テラハ」から日本人の恋愛観の変化を読み解く。

そこ、共用スペースなんですけど…

「テラスハウス」、通称「テラハ」。見知らぬ計6人の男女が海の見える一軒家でルームシェアをする、リアリティーバラエティー番組だ。


かつてフジテレビ系列で放送されて好評を博し、番組からはギャルモデル・今井華やモデルの筧美和子などの番組参加者がブレイクし、2015年からは飛ぶ鳥を落とす勢いの動画配信サービス「ネットフリックス」で新たなシーズンが配信されている。

そのハワイ編(2016年配信)、ともに20歳のプロサーファー・魁(がい)とお嬢様女子大生・仁希(にき)が一緒に横になってビデオを見ようと、彼が後ろから体を寄せるシーンが登場する。

わが家ではキャーキャーシャーシャー、集まった友人たちが黄色い声で、少し進めては巻き戻し、少し進めてはまた巻き戻し、どちらが初めのアクションを起こしたか厳密な検討に入っていたのだが、それはさておき、こちらとして気になるのはただ一点。

「お前ら、どこでやってんねん。」

そう、彼・彼女たちが一緒に横になっていたのは共用スペースのリビングルームの一角。共用キッチンはすぐそば。誰が起き出してきてもおかしくない。とはいえ、このことは彼・彼女たちが節操がないことを示すわけじゃない。これはテラスハウスという空間によってあらかじめ仕組まれているのだ。

「テラハ」の空間とはいったいどんなものなのか。そもそもテラスハウスとは低層集合住宅で、玄関がバラバラの(通常2階以上の)住戸が横に連なっているものを指すが、「テラハ」ではオシャレな一軒家が利用されている。

今、図面がわかっているフジテレビ放送時代の物件を具体的にみてみよう。初代と2代目とあるのだが、どちらも床面積300平米以上、オーシャンビューのテラス付きという、貧乏な若者たちのルームシェアとはレベルの違うしつらえになっている。まぁこれはテレビだから、当然と言えば当然。

しかし、それだけではない。そもそもルームシェアと聞いて普通想像するのは、それぞれが個室を持って、ダイニングとかキッチンとか、トイレとか風呂とかは共用にするっていうスタイルだろう。けれど、テラハでは男子部屋と女子部屋という3人ずつのリビング・寝室があり、それ以外は共用スペースとなっている。外観はオシャレなデザイン建築ながら、配室はまるで合宿所とか寄宿舎みたいなのだ。しかもベッドにカーテンすらない。

その上、2代目の家では、男子が風呂に入るのに女子部屋を通り抜けなければいけない構造になっていた。逆もしかりで、参加者の一人・住岡梨奈は「洗濯する時に地下の男子部屋付近を通る時は、いつもサーッって通り過ぎる。扉もあちこちだいたい開けっ放しだし(笑)」と証言している(『テラスハウス インサイド』扶桑社、2014年)。

テラハの家はプライバシー、とりわけ性についてのそれが極めて限られた空間になっており、いわば「無性」の空間になっているわけだ。

制限される性

ところが参加しているのは恋愛しようとする若い男女であり、こうしたルームシェアの空間が、ましてそこでの生活が全世界に放送されるという圧力が、恋愛と摩擦を生じるのはまったく当然というほかない。

その意味で、これまでカップルがわずかしか成立していないというのは別に驚くべきことじゃない。その成立カップルの1組である宮城大樹・今井華のカップルは、彼らのわずかだった交際期間を振り返って、こんな会話を交わしている。

:ダイキンマン[宮城大樹のあだ名]はどうですかね? やり残したことはないわけ?

大樹:いや〜それは。ひとつだけありますよ。結局今井さんとつきあってる間に、キス以上できなかったことでしょ(笑)。

:ハハハハハ(手を叩いて爆笑)! みんな「本当はどうだったの?」って思ってるんだろうけれど、オンエアに嘘ないから。本当にしてないもんね。

大樹:してません! 俺は一応誘ったよ。でも今井パイセンからは「ここどこだと思ってんの?」って言われましたから(笑)。

(前掲『テラスハウス インサイド』より)

やはり空間は間違いなく性的な関係性をも規定する。そして冒頭で紹介したシーンはこの空間と芽生えかけの恋情と若さとの結晶として生じたものだといえる。それ以上の関係はこの空間の外、多くは番組の外で展開されるほかない。

外国とのルームシェアの文化の違い

もっとも外国の友人に聞くと、ネットフリックス上で海外でもよく見られている「テラハ」は日本人らしく性的にモジモジしているところが魅力なのだという。

確かに、同じように一軒家で男女が住むリアリティー番組は海外にいくつかあるが、例えばアメリカ・ニュージャージーの「ジャージー・ショア(Jersey Shore)」(2009〜2012年)や英・カーディフの「ザ・ヴァリーズ(The Valleys)」(2012〜2014年)のように、パーリーピーポーがパーリーしてピーしたりポーしたりするものがほとんどで、要は空間そのものが規制しているというより、その空間を入居者がどのように捉えるかという「文化」が規制しているといえるのだろう。

そこで日本でルームシェアがどのように捉えられてきたのか簡単に振り返ってみたい。そこで先に断っておきたいのだが、以後、「同性」や「異性」という言葉をもって、それぞれ恋愛関係が生じえない、生じうる関係を記述する。

これはこの後に用いる事例が異性愛を前提としているために便宜的に用いるもので、本来は同性間で恋愛関係が生じることも、異性間で恋愛関係が生じえぬこともある。実際、2018年に配信されたテラハの軽井沢編では池添俊亮(しゅんすけ)が自ら同性愛者であることを自覚して卒業していったし、後で紹介するドラマ「ラスト・フレンズ」も性同一性障害を取り上げている。この点、注意されたい。

さて、そもそも2000年代に入ってからのルームシェアブームは、ドラマが火付け役になったといわれる。

例えば「人にやさしく」(2002年)は、香取慎吾、松岡充、加藤浩次演じる3人の男性が、なぜか預かることになった男の子を育てながら大きな一軒家に住む。大きな吹き抜けのダイニング・キッチンの空間があって、それを見下ろすように3人の個室が並んでいたように記憶している。このように同性のルームシェアというのが、今でも一般的なルームシェアイメージだろう。

時代をさかのぼって柴門ふみのマンガ『あすなろ白書』にも、父親・松岡を失った子どもを育てるため母親・星香と親友であるなるみが同居して、「ママ」と「マミイ」になるという場面が登場する。こちらは女同士のルームシェアの例だ。

こうした同性のルームシェアは恋愛関係を持ち込むことを想定していない。エリック・シーガルの『ラブ・ストーリー』に、ハーバード大学の寮の男子2人部屋では、ドアノブにネクタイが結んであると1人が女性を連れ込んでいるサインだというエピソードがあったけれど(あとで調べるとよくあるサインだそうだ)、これは数回なら許されても、より密接で継続的な異性関係を持ち込もうとすればルームシェアから離脱せざるをえない。

では異性のルームシェアはどうか。シンプルなストーリーは男女1組が共同生活を送ることになる場合にみられる。

ドラマ「ルームシェアの女」(2005年)は同性のルームシェアのはずが相手が異性になってしまい、けれど互いに引かれ合ってという展開だ。こうした展開はまったく新しくなく、例えば「ロングバケーション」(1996年)もやむをえず異性と同居を始めたら引かれ合ってという話だった(ただし山口智子演じる葉山南が出ていき、その弟が入居することで同性のルームシェアに転換する)。

つまり異性のルームシェアには(多くは偶然同居することになって)ルームメイトと引かれ合ってしまうという物語の範型がある。

これは吉住渉のマンガ『ママレード・ボーイ』(1992〜1995年)やドラマ「シェアハウスの恋人」(2013年)など、男女1組以上のルームシェアの場合にも変わらないのだが、恋愛関係が生じると、その後も3人以上が暮らすその空間で恋愛を発展させることは難しい。そこで、『ママレード・ボーイ』でも、「あいのり」でも「テラハ」でも、カップルはルームシェアを「卒業」することになる。

新たなルームシェア

ところが、近年のルームシェアのブームではまったく風景が違う。異性同士でも恋愛関係を持たずに住むという例が珍しくないし、内部で恋愛関係が発生したとしても、そのままカップルを超えた同居生活が継続される場合が見られるのである。ドラマでいえば「ラスト・フレンズ」(2008年)がその象徴的存在だろう。

「ラスト・フレンズ」では、上野樹里と水川あさみが演じる2人の女性がそもそもルームシェアをしていた大きな一軒家に、女性1人、男性2人が転がり込んでくる。ただ、異性愛で普通にカップルになるのは1組だけで、中では性同一性障害や子どもの出産など複雑な人間関係が展開される。性別のゆらぎと子どもとを抱えながら、しかし共同生活を営んでいく、そういう構想の可能性を残してドラマは幕を閉じる。生涯のルームシェアというものが存在するとするなら、それはこうした共同体的つながりの先にあるのだろう。

そしてまた、本来は恋愛リアリティー番組でありながら、性的なピーもポーもなく、「無性」の空間で展開される「テラハ」が国内外の視聴者を引きつけているのは、恋愛模様の中にこうした新たな共同生活の可能性が垣間見られるからなのかもしれない。