サッカーをはじめたのは幼稚園の頃。兄の影響だという。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 3回目は、抜群のドリブルテクニックを誇り、局面の打開力に優れる遠藤渓太が登場。横浜F・マリノスの下部組織出身で、ユースでの最終学年ではクラブユース選手権でチームの優勝に大きく貢献、自身は大会MVPと得点王を獲得し、トップ昇格を勝ち取った。
 
 プロ入り後は1年目から出場機会を得て、早い段階でA契約を勝ち取る。背番号が18から11に変わった3年目の昨季には、ルヴァンカップのニューヒーロー賞を受賞。迎えた今季も左サイドを主戦場に、横浜の『アタッキング・フットボール』を支える貴重な戦力として、際立つパフォーマンスを披露している。
 
 チャンスメーカーにもフィニッシャーにもなれる成長著しいアタッカーは、ここまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。前編では、やんちゃな悪ガキだった幼少期から、“敵なし”と思えるようになったユース時代までの軌跡をたどる。
 
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――サッカーを始めたきっかけは?
「幼稚園の頃ですね。3つ上の兄貴が小学校のクラブでサッカーをやっているのを見て、僕も始めたと親が言っていました」
 
――試合を見に行ったりしていたのですか?
「どうだったかな……覚えていないですけど、でもいつのまにか自分も始めたっぽいです」
 
――お兄さんは今もサッカーを続けているのですか?
「いや、続けていないですね。遊びとかでやっているぐらいです」
 
――遠藤選手がサッカーにのめり込んだきっかけは?
「小学校のクラブでは、みんな結構本気でサッカーをやっていたんですよ。ふざけていなかった。わりと強かったし、遊びじゃなくできていたのが大きかった。お互いに高め合えていましたね」
 
――子ども時代はどんな性格だった?
「まあ、悪ガキでしたね(笑)。世界は自分を中心に回っているんじゃないかぐらいに思っていました。やんちゃだったと思います」
 
――ポジションは?
「サイドではなく、フォワードでした」
 
――小学校時代は二俣川SCに所属していて、横浜F・マリノスのスクールにも通っていました。
「小2からですね。小5の時には、他のクラブから選ばれた人たちが集まるスペシャルクラスに入りましたけど、レベルがめちゃくちゃ高かった」
――プライマリー(横浜の下部組織)には入らなかった?
「あんまりその気はなかったですね。二俣は強かったし、(和田)昌士(現・秋田)もいたので。正直、昌士がいたら、負ける気はしませんでしたね。プライマリーとは、対等とまでは言わないけど、それなりに張り合えていたので」
 
――“打倒プライマリー”みたいな?
「プライマリー以外にも、フロンターレやバディーSCとかにも負けたくなかった。そういう強豪クラブの選手たちと一緒にプレーできたのが、スクールのスペシャルクラスでした。上手い選手がたくさんいたので、楽しかったですね」
 
――当時、憧れていた選手は?
「憧れというか、凄いなって見ていたのは、やっぱりシュンさん(中村俊輔/現・磐田)や(齋藤)学くん(現・川崎)、あと横浜ユースで10番を付けていた小野裕二くん(現・鳥栖)とかですかね」
 
――中学では横浜F・マリノスのジュニアユースに入ります。
「学校から帰ってすぐ、練習場に行く。月曜の休み以外は、ほとんどそんな毎日でしたね」
 
 
――いつ頃からサイドの選手に?
「中1になってからですね。たしか、右サイドをやっていました。間で受けて、パスを捌くようなプレーが好きなタイプでした」