5月28日、川崎市多摩区のJR登戸駅近くで男が刃物を振り回し、小学6年の女児と外務省職員の男性の2人が死亡し、18人がけがをした。この事件で岩崎隆一容疑者(51)は、襲撃後、その場で自らの命も絶った。コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏は「事件の背景には『絶望的な孤独感』があったのではないか。日本は世界一孤独な国だ。そうした現状を考え直す必要がある」という―― 。
スクールバスのバス停に並んでいたカリタス小学校の子供ら20人が刺され死傷したJR登戸駅近くの現場付近(写真=AFP/時事通信フォト)

■世界一孤独な国・日本が「岩崎容疑者」を生んだのか

許しがたき凶行であり、悲劇だった。どんな理由にせよ、生い立ちにせよ、絶対に許されるべきではない凶悪犯罪。しかし、その犯人は責めを負うこともなく、罪を償うこともなく、身勝手に命を絶った。

5月28日、川崎市でスクールバスを待っていた小学生などが次々と包丁で刺され、2人が死亡、18人がけがをした。事件を起こしたのは川崎市麻生区に住む岩崎隆一容疑者(51)。小学生たちを刺したあと、自ら首を刺して自殺した。

行き場のない怒りをどこへぶつければいいのか、誰もが苦悶している。高齢者の自動車事故であれば、安全性をどう高められるのかを考える。アメリカで銃の乱射事件があれば、銃規制の議論が起きる。

しかし今回の場合、犯人の狂気以外、指弾すべき対象や問題があったのかはっきりしない。なぜ、こうしたことが起こったのか。防ぐ手だてはなかったのか。そう考えた時、議論してほしいテーマがある。

それは「孤独」である。

■社会から隔絶され徐々に精神が蝕まれていった

岩崎容疑者を追い詰めたもののひとつに「絶望的な孤独感」があったと思うからだ。51歳の彼は10代のころからひきこもり状態で、同居の伯父や伯母ともほとんどコミュニケーションがなかったと伝えられている。孤独だから犯罪に走るとか、孤独だったからとか言って、彼の行為が免責されることは断じてない。しかし、彼の精神は、社会から長期間にわたって隔絶されたことで、徐々に蝕まれていった側面もあるのではないか。

「孤独」は今、世界で「現代の伝染病」ともいわれる大問題である。都市化、過疎化、非婚化、少子化、高齢化などにより、「孤独」に苦しめられる人が増えており、これが社会的な問題として、海外では国家を挙げて対策が進められるようになっている。イギリスでは昨年2月、「孤独担当大臣」まで設置された。

アメリカ・ブリガムヤング大学のジュリアン・ホルトランスタッド教授(心理学)は2010年、「社会的なつながりを持たない人は、持つ人に比べて、早期死亡リスクが50%上昇する」と発表した。そして、孤独のリスクは、「一日タバコ15本吸うことに匹敵、アルコール依存症であることに匹敵、運動をしないことよりも高い、肥満の2倍高い」と結論付けている。

■慢性的な孤独下に置かれた人はストレス耐性が低くなる

孤独が心臓病、認知症といったあらゆる病気のリスクを大幅に高め、人間の心身を蝕むことは多くの研究によって実証されている。人の幸福や健康に最も大きな影響を与えるのはおカネでも、成功でもなく、「人とのつながり」であることも、ハーバード大学などの多数の研究によって、明らかになっている。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/AlexLinch)

こうした健康への影響だけではなく、孤独は人間の性格そのものを変える、という研究結果も数多くある。

人はいったん孤独になると、再び、人とつながることを極端に恐れるようになる。一度拒絶された「群れ」に戻ろうとすることは、再び、拒まれ、命の危険にさらされるリスクを伴うからだ。それよりは、何とか1人で生きていくほうが安全だ、と考えて、閉じこもりがちになる。

慢性的な孤独下に置かれた人は、ほかの人のネガティブな言動に対して、極度に過敏になったり、ストレスのある環境に対する耐性が低くなったりする。さらにアンチソーシャル(非社交的)、孤独を深めていく、という悪循環に陥りやすい。このように、孤独は、恐怖心をかき立て、人を自己中心的、攻撃的にすると考えられている。

長期的に孤独の人が増えれば、日本はさらに、不寛容な社会へと変質していく可能性がある。ブランドコンサルティング会社のリスキーブランドによる調査では、この10年、日本では「冷笑主義(シニシズム)」の傾向が高まっている。日本社会では「積極的に社会とかかわる」「深く考える」という人が減り、「社会とは一定の距離を置く」「刹那的に生きる」という考え方に振れる人が増えているというのだ。

■「孤独」が莫大な経済的損失を招き、社会としての寛容性を奪う

高齢者クレーマーの増加など「不機嫌な孤独社会」の萌芽はそこかしこに見えている。「孤独」の弊害は、海外では大きな社会問題としてとらえられており、「孤独」が国民の健康を害し、莫大な経済的損失を招くとして、国を挙げて調査や対策の取り組みが始まっている。

筆者はそういった孤独の負の側面について警鐘を鳴らすべく『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)を昨年、出版したが、寄せられた多くの声が「孤独の何が悪い」「人とかかわりたくない」というものだった。

実際に、書店には「孤独のすすめ」「極上の孤独」などと、孤独を極端に美化し、その「効用」を説くような本が山のように並び、多くがベストセラーになるなど、「孤独礼賛」の機運が極めて高いことに驚かされた。

■孤独は「美徳」「自己責任」「我慢する」という日本固有の考え方

そうした空気感の中で、日本は世界に冠たる「孤独大国」と化している。100万人ともいわれる「ひきこもり」。ほとんど人に会わないという割合は日本の男性が世界で最も高い。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/RinoCdZ)

ユニセフの調査(2007年)によれば、「孤独感にさいなまれている」15歳の割合は29.8%。ほかの国々の3〜5倍の水準と、先進国の中でもずばぬけて高かった。また、アメリカの財団が、昨年発表した日米英の孤独に関する調査では、「孤独である」と回答した人のうち、10年以上、孤独であるという割合が35%と、米(22%)、英(20%)より圧倒的に高かった。

このように、極めて大きな問題であるにもかかわらず、社会として抜本的な対策が進まない背景には、孤独は「美徳」「自己責任」「我慢するもの」という日本固有の考え方があると感じる。海外では人々が共有している「人は生物学的に『社会的動物』であり、つながりの中で生きていくもの」というコンセンサスもない。

古代から、人間が敵と戦い自らの生存を担保していくためには、何より、他者(仲間)との結びつきが必要だった。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。そのつながりから放り出され、孤立することはすなわち「死」を意味していた。「孤独」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。

そのつらさを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にしたりするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求めるようになる。これが人を孤独から遠ざける、本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組みだ。

肉体的に言えば、孤独は「心の飢え」なのである。孤独な人に「耐え続けろ」というのは、のどの渇いた人に「水を飲まずに我慢しろ」というぐらいに残酷なことでもある。社会性を持った動物は、身体的な痛みと孤立、どちらを選ぶのか、という選択を迫られたとき、身体的な痛みを選ぶのだという。独房監禁が最も残酷な拷問であることはよく知られている。

■「loneliness」と「solitude」が混同されている

なぜ、孤独が日本ではポジティブに捉えられ、ともすると美化されやすいのか。

その要因として、寂しく不安な思いである「loneliness」と、一人の時間を楽しむ「solitude」とが混同され、「孤独」が「一人」「独立」「自立」という意味でのポジティブな意味合いで解釈されるという側面がある。

ロンリネスの孤独は「自立」でも「独立」でも「一人」でも「自由」の意味でもなく、物理的に独居や独身であるかも関係はない。頼る人も支えてくれる人もいない「孤児」のような不安な精神状況を指している。

■「最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思い」

孤独はいいが、孤立はいけない、という声もあるが、孤独は孤立の内観でもある。もちろん、「一人の時間が楽しい」「一人がいい」という人は問題ないし、ひと時の「孤独」を耐え抜く力は絶対に必要だ。しかし、つらいと感じる「孤独」を無理に長期間、我慢しようとすれば、さまざまなひずみを生じる。

マザー・テレサさん(写真=iStock.com/annegeorg)

「最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思い」とはマザー・テレサの言葉である。虐待やいじめ、貧困など、日本の多くの社会問題のB面にはつながりの欠如、孤独という問題が隠れている。

■長期的な孤独に陥らない社会的な支えあいの仕組みが必要

生涯未婚率もうなぎ上りで、単身世帯も増加する中、これからは多くの人たちが「一人で生きていく」時代を迎える。

そんな中で、「孤独」を過度に美化することは問題の本質から一時的に目をそらすだけであって、根本的な解決を遅らせることになりかねない。世界各国が全速力でこの問題に取り組んでいる中で、手つかずの日本は「孤独大国」として“君臨”し続けている。

孤独に耐えるしか道がない、と長期的に閉じこもり、その殻をこすり合わせ、傷つき合わせるような社会に明るい展望は抱きにくい。

今回、小学生など20人を刺した岩崎容疑者の「動機」の詳細はまだわからない。本人がどんな立場に置かれていたのかは今後明らかになるだろう。

どのような理由も彼の犯行を正当化することはできない。

一方で、今後、こうしたことを起こさないために何ができるのかと考えた時に、「孤独」というテーマをタブーにせずに議論の俎上に載せてもいいのではないだろうか。誰にでも居場所があり、思いやりや人のぬくもりの中で、一人一人が自立しながら、長期的な孤独に陥らない社会的な支えあいの仕組みづくりについて、真剣に考えていくべき時が来ているのではないか、と強く感じるのだ。

(コミュニケーション・ストラテジスト 岡本 純子 写真=AFP/時事通信フォト,iStock.com)