「Eテレ」は、今年60周年を迎えた。幼少期に触れ、子供を持つ親として再び観る人も多いはず。語学・趣味番組も充実する日本唯一の教育専門チャンネルの、誰もが知る名番組の裏話を、出演者・制作者たちが語る。

「できるかな できるかな ハテハテフム〜♪」という歌詞が耳に残る読者も多いだろう。身近な物を使って幼児に工作を教える名番組の、決して喋らないキャラクター・ノッポさんの、知られざる戦いの日々とは?

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 僕は一人で本名の高見嘉明、芸人で構成作家の高見映、そしてノッポさんの3人でした。先日もNHKのよるドラ「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」の宣伝でゾンビになって相棒ゴン太君と出ました。みんなから「稼ぐために変なのに出て」と怒られるかと思ったら、意外と喜んでくれてビックリしましたね(笑)。

 ノッポさんが誕生したのは、1966年に「なにしてあそぼう」のオファーが来た時です。全編音楽だけで台詞はなし。赤いクマのムウくんに工作を教えるという役柄で。僕にピッタリだと思いましたね。チューリップハットを被った格好は自分で全部揃えたの。中野の安い洋品店で買ってきて、洗濯まで全部やりました(笑)。業界内で評価が高くて、ファッション・ショーの司会の依頼も飛び込んでくるほどでした。

 番組は70年の3月いっぱいで終わって、ノッポさんは失業しちゃう。でも1年経って、急に呼び戻された。幼稚園や保育園の先生たちが「ノッポさんじゃないと観ない」と声をあげたんです。前代未聞だけど、お客さんの要望に応えなきゃいけないから復帰させることにしたわけ。だいぶ経ってから経緯を知らされた僕も驚きましたよ。


©文藝春秋

 こうして71年にリニューアルされた「できるかな」のゴン太君って、最初は動かないロボットで箱車に座ってるだけでした。何であんな設定だったのか謎なんだけど、昔の教育テレビって前衛的だったね(笑)。

「できるかな」のできるまで

 小さい工作からダンボールを使った大きな工作でエンディングという構成は山元護久さんが作り、工作造形は枝常弘さんと優秀なメンバーが考えてくれていました。スタッフは僕にお稽古の日まで何をどうやって作るか教えないようにしてました。初見の驚きを大事にしてたんでしょうね。最初に枝常さんから材料と作る物を教えてもらった後は全部、僕任せ。僕が芸人だけでなく、構成作家としての顔もあるから任せてくれたんでしょうね。

 お稽古は2日間。初日に音楽を聴いて、工作を見て動きのプランを考える。2日目は僕が工作しながら動きをつける。これを見たゴン太君役の井村淳さんやスタッフが準備に入ります。流れが途切れないように準備万端整えてくれるんです。僕とゴン太君は互いに出たり引いたりしながら動く。スタジオを駆け回る僕へカメラさんの「自由に動いていいよ!」って声が飛ぶのが頼もしかったなあ!

 本番は生放送同然。放映時間である15〜20分ノーカットで収録します。ここでナレーターのつかせのりこさんが「ノッポさん!ゴン太君!」っていう、お馴染みの声で語りかけてくる。お稽古をつかせさんは絶対に見ない。今度の工作いいよって誘っても「絶対に見ない!」と逃げちゃうの。本番で「うわーっ、面白い!」って、本気で驚きたかったんです。だから実に素晴らしい声でしたよ。

40歳まで、3年間毎秒毎秒悩んでました

 少々、工作でトチっても失敗にしない。笑ってこんな風にも出来るんだって、その場でフォローしてました。上手に作ることが目的じゃなくて、視聴者に「やってみたい!」と思ってもらえることを優先してました。スタッフやキャストで一度も喧嘩したことがない、本当に一体感のある現場でした。懸命に楽しいものを見せよう、難しい段取りを超えていこうという心意気があった。だから視聴してる小さい人たちも大人たちの心意気が伝わって、ドキドキワクワクしてくれたんだと思います。

 でも、僕自身は40歳まで、3年間毎秒毎秒悩んでました。番組外では笑顔になれませんでした。ノッポさんが支持されることで、新しい挑戦をやる勇気がなくなってしまってね。固定イメージを崩していくのが芸人の使命みたいなものでしょう? それが怖くて出来ないんです。で、僕を評価してくれていた劇作家の飯沢匡(ただす)先生に悩みを告げると、「他の芸人が欲しくても得られない、一生もののキャラクターを得たのに何を言ってるんだ」と叱られちゃう始末でした。

ある日、急に吹っ切れた理由

 それがある日、急に吹っ切れたんです。高見映とノッポさんの間に調停者であるもう一人の僕が現れて、「何者でもない君がこの先、どうなるかわからない。まず今あることを懸命にやれよ」って声をかけてきた。すると睨み合ってた2人が「はい、分かりました!」ってね。もう、次の日は明るかったですよ。

 それから週の3日はノッポさん、残りはフジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」の構成や歌の作詞を手がけるようになりました。手が抜けない性格だから寝ないで仕事をやる。「ポンキッキ」の台本は週に5本書けば終わるんです。だけど、少し休んだら「まだいける」って書き始めちゃう。1度、全ての台本の再構成を23日ぶっ続けでやっていたら、そんなに悲しくないテレビ番組を眺めてるだけなのに、とめどなく涙が流れてね。働きすぎて交感神経がイカれちゃったんです。泣きながら「俺も23日が限度だな」と悟ったりしました(笑)。

ノッポさんが喋った!

 予算削減のあおりを受けて、88年度で番組を大幅リニューアルする話が起きました。僕も歳だし、辞めどきだと思ったの。でも、局からノッポさんだけ残って欲しいと頼まれたんです。苦労を重ねた仲間を裏切りたくないから「僕も辞めます」と返事をしましてね。翌年も同じ話を持ち出されたけど断って、90年の3月で最終回を迎えることになったんです。そこでお別れの挨拶と後継番組の「つくってあそぼ」の紹介をやった時に「喋った!」とビックリした方が多かったようですね。

 やっと緑の帽子とオサラバして新生活だ、と思ってたら、どっこい「算数だいすき」や大人向けの教養番組にも呼ばれてしまいましてね(笑)。71歳で歌手デビューすることになった「グラスホッパー物語」(05)も同じ。「みんなのうた」のプロデューサーがファンだったんです。

 その時まではチューリップハットと戦うことで僕は前へ進んでいました。でも、みんながそんなにノッポを愛しているなら、いっそ高見映から芸名を「高見のっぽ」に変えようって決めたの。だから平気で帽子を被れるようになったんです。今じゃゾンビになったりして遊んでますよ。ノッポさんも自由になれる時代になったのかな(笑)。

たかみのっぽ
1934年、京都府生まれ。本名・高見嘉明。高見映として、多数の放送台本、絵本、児童書、エッセイを生み出す。現在も俳優、作家、歌手として幅広く活躍中。著書に『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』など。

(岸川 真/週刊文春 2019年4月18日号)