65歳以上の認知症患者数は2012年には約462万人、25年には700万人となり、認知症予備軍の数と合わせれば1000万人を突破する見込みだ。今、私たちはどんな対策ができるのだろうか。長年の解剖学研究の結果から、脳を中心として、社会、文化の問題を考えてきた養老氏に聞いた。

■人生100年時代、日本人が抱くあいまいな不安

実に日本人の7割弱が「自分は健康でない」と思っているんです。

というのも、経済協力開発機構(OECD)が2016年に35カ国を対象に「自分の健康状態は良好だと思いますか?」という調査をしました。

結果、日本は35カ国中34位。3人に1人しか「自分の健康状態は良好だ」と答えなかったんです。

ちなみに88%の人が「自分の健康状態は良好だ」と答えた国もありました。アメリカです。自己肯定感が強い。健康に関してもそうです。ほかにも、ニュージーランド、カナダ、この辺が高いです。やっぱり、自己肯定の社会だなと思いますね。

一方で、日本では7割弱の人が「自分はどっか具合が悪い」って言うんですよ。医学界とか製薬学会にとって、こんなにいい社会はないですね(笑)。

だから「100歳まで健康で、ちゃんとボケないでいるには、どうすればいいですか?」という質問が、私のところにもよくきます。

日本で平均寿命が長い都道府県、皆さん、ご存じでしょうか。男女ともに長いのは長野県と滋賀県です。両県ともに豊かな自然環境で暮らせる地域ですよね。

一方で都会の生活、これは私たちにとって非常によくない。

都会にいると、周りは人工物ばかりです。植物や地面ですら、人為的に配置され、石ころすら転がってない。ビルの中にいれば天気に左右されることもないし、蚊もハエも飛んできません。つまり、無意味なものが一切ない。我々の祖先が自然の洞窟の中に住んでいた頃と比べると大違いです。

■ボケないために、体のどこを使えばいいのか

そんな現代人のための脳の訓練とは何か。ボケないためには、目と鼻と耳など、五感を使うことです。人間の持つ感覚である、視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚……このうち、皆さんは、目はよく使うと思います。が、それ以外はほとんど使わないでしょう。

養老孟司氏

人間の脳に入ってくる情報の40%は視覚からの情報だという研究結果もあるので、もちろん視覚は重要です。嗅覚は非常に原始的なもの。サルは、嗅覚を司る脳の部分が退化していて、特に人間においては極端に小さくなっています。しかし、これは記憶にはものすごく深い関係があるんですよ。

認知症を防ぐためには、そういった感覚、普段使っていなかった五感を訓練するのがいいでしょう。

手を積極的に使うのも大切です。かつてカナダの脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールドが電気刺激を用いて、大脳のどの箇所が、体のどの部分に対応しているかを研究し、脳みその中を地図に描きました。そうすると、手を動かすための領域がものすごく大きくなったんです。

例えば、背中の領域は小さい。神経の密度が低いから。それに比べると、手の領域は何倍も大きい。指先は細かい運動ができるよう神経の密度が高いからです。脳の大部分を刺激しているんです。だから、手先を動かすことは認知症対策にとても役に立ちます。

そういった意味では、麻雀をするのもいいでしょう。パソコンを使うのもいいことですね。今の人は、昔の人より手先をデリケートに使ってるんじゃないでしょうか。

私なんかは毎日、虫の標本を見ます。大きさは、4ミリから7ミリと非常に細かい。ピンセットで虫の足を伸ばして、その微かな音を聞いてみる。たしかに音がするんです。これ、特別に私の耳がいいというわけではありません。人間って本来そういう能力を持っているんです。日常生活で使わないだけなんです。

本来、感覚は外の世界と結びついています。しかし近代生活だと、完全にコントロールされてしまっている。ビルの中にいれば、風も当たらない。照明も一切変わらず、床は同じ硬さで、必ず平ら。感覚がほとんど刺激されないんです。

生活の変化への反応も鈍くなっていきます。例えば、奥さんが新しい洋服を着ていたり、美容院でヘアスタイルを変えてきたとしましょう。お子さんが帰ってくるとすぐに「お母さん、髪を切ったでしょう。新しい洋服、どこで買ったの?」って聞いてくると思います。ところが、旦那さんが会社から帰ってきても、いっさい何も言わないんですね。これ、別に愛情が薄れたわけではなくて、大人は毎日同じような生活をしているから変化に気づきにくい。これが人間の意識の特徴です。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/metamorworks)

これだと、やっぱりボケません?

例えば、田んぼを想像してみてください。意識して歩いてみたら本当にいろんなものがある。土の感触や匂い。風を感じて、鳥の声を聞いたり。そういう情報が無意識に入ってくるわけですね。しかし、都会に来てごらんなさい。まったく違ってきますよ。都会は人が生まれた環境ではありませんから。そして現代は、脳にフォーカスされすぎている。だから認知症が問題になるんです。田舎であれば、そんなに大ごとになりません。

私の知り合いのおじいさんが、認知症で入院していました。いちばん困るのは病院の至る所で小便をすること。結局、医者が田舎に帰しましたが、そしたら、おじいちゃん、いつも自分の畑に出ていって、必要になるとそこらで小便をしている。ただそれだけのことです。田舎にいれば何の問題もない。

都会では、なんでも数値に変換してしまう。僕はこれを問題だと思っています。認知症の人にとっては、きつい社会ですね。患者さんが数値に変わってしまう。検査をして数値を出したら、マイナスばっかりになる。あれができない、これができない、そのマイナスをどうやって埋めるかっていう話になり、治療をしようということになる。

■人間がどんどん数値に変えられていく

僕の若い頃なんかは、治療法は少なかった。そのかわり医者は、非常に丁寧に、患者さんの過去を聞きました。

おじいちゃん、おばあちゃんの病気から始まって、「なんで亡くなりましたか?」という質問、ご本人も「どういう病気をされましたか?」とか。とにかく丁寧に問診しました。今のお医者さんは、そんな暇はありません。

患者さんの今の体の状態を検査して、すべて数値に変えます。CTなんかも、あれは全部、数値ですよ。画像と思っている方もいるでしょう。あれは、体の各部分を細かい立方体に分けて、そのそれぞれの立方体のエックス線の透過度を数値にするんです。それで皆さんの状態が、平均値からどれだけズレているかを確かめて、治療を施していくためのデータなんです。

医者は患者を診ない。見るのはカルテだけ。検査の結果だけ。ほぼすべて数値です。

患者さん本人を目の前にすると、顔色から、機嫌から、臭いから、いろんな感覚的情報が入ってきます。これ、医者にとっては邪魔なんですよ。そういうものを「ノイズ(雑音)」と呼んでいます。

このような人間の情報化・数値化。これについて考えるきっかけになったある出来事があります。

ある日、銀行に行ったときのこと。手続きの途中で、本人確認の書類を求められました。あいにくその日、運転免許証を持っていなかったんですよ。それで「僕、今日は免許証、持っていません」と事務員の人に言いました。すると相手がなんて言ったか。「困りましたね。養老先生本人だとわかってるんですけどね」と。僕の顔を見て言ったんです(笑)。

私本人だってわかっているのに、本人確認の書類が要る。要求されたのは、生身の私ではなく、情報としての私だったんです。銀行にとってみると、本人はノイズでしかない。

■生身の人間は、ノイズを含みすぎている

マイナンバーに抵抗感がある人も多いですよね。個人情報を悪用されたらどうするのかなど、さまざまな理由があると思いますが、しかし根本の問題は、生身の私と、情報としての私の折り合いが、まだ社会的に決着していないことです。

今の社会は、情報、つまり意味しか求められていない社会。それが情報化社会の正体です。でも、生身の人間は、いわばノイズを含みすぎています。

現代の若者は、ノイズを嫌います。面と向かって人間と接するよりSNSのほうが好きなのも、これに関係しているはずです。会社では若い社員が課長にメールで報告をする。同じ部屋で働いているのに。課長の顔を見たくないんですよ。ノイズがいっぱい詰まってますから。もし、機嫌が悪かったら嫌だ、なんて。仲間同士でも、メールで話す。本人の顔を見ると余分な情報が入ってきてしまいますから。これが本質です。

もう1つ医療の話をしますと、薬やサプリメントを飲むことは、何の差し支えもないと思っているんですよ。だいたいプラシーボって、ようするに偽薬ですけど、これも薬だと思って飲むと4割ぐらいの人には効果があると、はっきり証明されています。それに本当に病気だったら、飲めば効くわけですから。薬もサプリも、飲んだほうが具合がいいと思えば、飲めばいいのではないかと、私はそう思っています。

ちなみに、私はどうかというと、薬もサプリも飲みませんね(笑)。

ただし、薬でいちばん注意しなければいけないのは、体の中の滞留時間が長いものです。「1錠飲んだら1週間効く」という薬は、飲まないほうがいい。例えばマラリアの予防薬がそうです。1週間、血中濃度を保ちます。この薬に仮に副作用があると、大変なことになりますよね。気をつけましょう。

話を戻しますと、認知症は周囲との関係が大切なんです。少なくとも現在のような都市生活だと、認知症の人は非常に目立ってしまいます。認知症の人がそうでないようにいかに暮らせるか。そういう環境をどうやって維持していくかを考えていくのが重要です。

■「忘却力」だって大切

認知症も人生のうち。お互い様ですからね。「あ、ボケたんだ」って、それを理解して親切にしてあげれば、別に問題ないでしょう。無理やり、入院させる必要もない。もちろん、ご家族が、自宅で介護を背負い込んで疲労困憊してしまってはいけませんから、そこは無理のない範囲で、ですよ。

そもそも、年を取ってくると、自然と物忘れが多くなりますよね。そうなったら、ある意味仕方がないと割り切るのもいい。赤瀬川原平さんも「老人力」を提唱して、老いることをプラスに考えようと言っています。物忘れがひどくなることを、「忘却力が付く」って言っていましたね(笑)。

世界にはいろんな人がいるもので、本当に稀ですけども、記憶力がよくて困るっていう人もいます。何が困るかって、忘れたいことも忘れられないから本人が「辛い」と言うんです。だから医者に相談に行く。何月何日って言ったら、曜日がパッとわかって、その日、何があったって言えるんですから。

うちの女房がそうだったら、僕なんか一緒に暮らせませんよね。「あのとき、こうだった。ああだった」と、必ず覚えてますからね(笑)。だから「忘却力」も非常に大切だと考えます。

ちなみに、うちの母は95歳まで生きていまして、ほとんどボケていませんでした。しかし、ちょっと問題があってですね。母の場合は、体が動かなくなってしまった。頭はボケていないので、そうすると、いろいろ文句が多くなって、かわいそうでした。

逆に体が非常に丈夫でいわゆるボケが起こっちゃいますと、徘徊が始まっちゃいますね。どんどん歩いていってどこへ行ったかわからないと、こういう話になっちゃう。だから脳・体を含めて全体のバランスが大切なんです。

年を取るっていうことは、今まで生きてきた結果です。認知症になってもしょうがない。私は、80歳を超えてますから、80年間の歴史が私の中に入っているんです。

今、梅が咲いていますが、梅の木だって、今のカタチになるまで何千万年、何億年と長い年月をかけて進化してきました。それを今の人間が頭で考えて、完全に理解できますか? その謙虚さは持っていただきたいですね。人の体も同じです。でも、もちろんいいんですよ、いろんなことに望みを持ってね。夢を持って生きるのが、一番だと思います。

(協力=ネイチャーラボ主催「人生100年時代を生きるための“脳”」イベント)

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養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。67年、医学博士号修得。81年、東京大学医学部教授に就任、95年に退官。北里大学教授、大正大学客員教授などを務め、現在は東京大学名誉教授。『からだの見方』『唯脳論』『バカの壁』『遺言。』など著書多数。

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(東京大学名誉教授 養老 孟司 構成=東 香名子 撮影=村上 庄吾 写真=iStock.com)