『ゴッドファーザー PART II』(1974)、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980)、『エイリアン2』(1986)、『ターミネーター2』(1991)……。

映画史にはあまたの傑作「パート2」作品が存在するが、2000年代を代表する「パート2」といえば『ダークナイト』をおいてないだろう。本作は単なる『バットマン ビギンズ』の続編というだけではなく、今やアメコミ映画史上に燦然と輝く金字塔的な作品として認知されている。

興行的にも目覚ましい成績を打ち立て、わずか5日間で2億ドル、10日で3億ドルを売り上げ、世界興行収入は最終的に10億ドルを突破。『タイタニック』、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』、『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』に次ぐ歴代4位を記録した(公開当時)。

という訳で今回は、『ダークナイト』についてネタバレ解説していこう。

映画『ダークナイト』あらすじ

ゴッサム・シティで頻発する凶悪事件に立ち向かうため、バットマン(クリスチャン・ベイル)はゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)と手を組み、街は沈静化に向かっていた。そんな中、ジョーカー(ヒース・レジャー)と名乗る謎の犯罪者が現れ、ゴッサム・シティは再び悪が跋扈(ばっこ)する犯罪都市と化してしまう。

新しく地方検事として就任したハービー・デント(アーロン・エッカート)は、事態を収束すべく犯罪の一掃を推し進めていくが、ジョーカーはデントの恋人であり、バットマンの最大の理解者であるレイチェル(マギー・ギレンホール)に狙いを定めていく……。

※以下、映画『ダークナイト』のネタバレを含みます

“世界の警察”アメリカを象徴するバットマン

シリーズ第1作『バットマン・ビギンズ』は、バットマンことブルース・ウェインが自身のトラウマである“コウモリ”をかたどったスーツに身を包み、毎夜悪と戦い続けることを決意するまでを描く「ヒーロー誕生譚」だった。

その続編となる『ダークナイト』は、「バットマンは本当にヒーローたりえる存在なのか?」「彼の掲げる正義は本当に正当性を勝ち得ているのか?」を問いかける、とてつもなくヘビーな物語になっている。

そもそもバットマンは、DCコミックスを代表するアメコミ・ヒーローでありながら、スーパーマンやワンダーウーマンのようなスーパー・パワーを持っていない。明晰な知性、強靭な肉体、そしてそれを支える莫大な富によって、悪と戦い続ける生身の人間だ。

ゴッサム・シティに跋扈する犯罪者を一掃するビジランテ(自警団)として、独断で武力を行使する彼の姿は、国際的な非難を浴びながらも、集団的自衛権を発動してイラク戦争(2003年)を始めたアメリカ国家そのものに重なる。

そう、バットマンは“世界の警察”を自認する超大国アメリカそのものであり、現代アメリカが抱える闇と矛盾をそのまま体現したキャラクターとして描かれるのだ。

正義を信じられなくなった時代に生まれた“アンチ・ヒーロー映画​”

アメリカが独善的な正義を振りかざすのと同じく、本作におけるバットマンもまた自分勝手な正義を盲信する。例えばバットマンはジョーカーの居場所を探し当てるために、ゴッサム・シティのあらゆる通信を傍受するというシステムを作り上げてしまう。

それは、元CIA局員エドワード・スノーデンの暴露によって明らかになった、アメリカ合衆国による「全世界レベルの通信傍受」と完全に重なる行為。「巨悪を倒すためには小さな悪は許される」という、欺瞞に満ちたバットマンの正義感が露悪的に炙り出される。

『ダークナイト』が公開された2008年は、ジョージ・W・ブッシュが政権を握っていた時代だった。「9.11 同時多発テロ」によって傷ついたアメリカをブッシュは強力な軍事力によって再建しようと試み、国民の多くがそれに同調した。

しかし正義の名の下に始まったはずのイラク戦争で、イラク攻撃の理由だった「大量破壊兵器」は発見されず、アメリカが唱える「自由と民主主義」に対して疑念が向けられる。

2008年の世論調査で、ブッシュの不支持率は戦後最悪となる76%を記録。アメリカ国民が自分たちの国の正義を信じられなくなった時代に、鬼子のような映画『ダークナイト』は産み落とされた。しかも、イギリス人のクリストファー・ノーランによって。

異邦人監督による、あまりに皮肉めいたアメリカ考察。だが彼自身は、それが意図的ではなかったことを明言している。

Q. Alfred, Bruce Wayne’s butler, uses the word “terrorist” to describe The Joker at one point, how conscious are you that a film like this needs some contemporary resonance?
記者:ブルース・ウェインの執事であるアルフレッドは、「テロリスト」という言葉を使ってジョーカーを説明しています。このような映画に、現代の反映の必要性についてどのくらい意識的ですか?

A.Well, really my co-writers David Goyer and my brother, Jonah, and myself, try and be pretty rigidly not aware and not conscious of real world parallels in things we’re doing. 
C.ノーラン:そうですね、私の共同作家であるデヴィッド・ゴイヤーと弟のジョナサン、そして私自身は、現実世界のことには気付いていないし、意識しないようにしています。

(「indieLONDON」のインタビュー記事より)

ノーランの発言を真実と捉えるならば、バットマンは製作者の意図を超えて、はからずもアメリカそのものをまとってしまったことになる。

彼はヒーローじゃない。
沈黙の守護者、我々を見守る監視者。
“暗黒の騎士”(ダークナイト)だ。

ラストシーンでゴードン警部補が呟くこのセリフには、アメリカが決して「光の騎士」ではないことが示されている。

『ダークナイト』は「ヒーロー誕生譚」を受けて作られた続編としては異色なほどに、「ヒーローへの懐疑」「ヒーローの不在」が色濃く描かれた“アンチ・ヒーロー映画​”だ。

それは「タイトルにバットマンという言葉が含まれていない、最初のバットマン映画」という事実が雄弁に物語っている。

バットマン=「迷える正義」、ジョーカー=「迷いのない悪」

バットマンが、常にモラルの問題にもがき苦しむ「迷える正義」とするなら、ジョーカーはその一挙手一投足に一切の躊躇がない「迷いのない悪」だ。

ジョーカーは「迷える正義」が、その迷いゆえに簡単に悪に転落することを熟知している。そしてバットマン、デント検事、ゴッサム・シティ市民に対して正義の本質を揺さぶり続け、正義を問う挑戦を仕掛ける。

お前も知っての通り“狂気”は重力のようなもの。人はひと押しで落ちていく。

ジョーカーのこのセリフは、正義と悪が紙一重であることを雄弁に示している。

俺は(お前を)殺さないさ。
お前がいなきゃケチな泥棒に逆戻り。
イヤだ。お前が欠けたら生きていけない。

バットマンがいてこそ、ジョーカーの存在価値がある。ひとつの顔に正義(光)と悪(影)を宿したトゥーフェイスは、まさにその象徴的な存在。トゥーフェイスが運命を決める時に投げるコインの裏表と同じように、バットマンとジョーカーの関係もまた表裏一体なのである。

『ダークナイト』が傑作となったのは、そんなジョーカーという稀代の悪役を、ヒース・レジャーという天才俳優が全身全霊で演じ切ったことにある。クリストファー・ノーランは、ジョーカー役にヒース・レジャーを抜擢した理由について「彼は大胆不敵だから」と答えているが、まさにこの役における彼の演技は「大胆不敵」そのもの。

ヒース・レジャーは、ジョーカー役の準備のため約6週間モーテルに引きこもり、キャラクターへの心理学的なアプローチや、独特でサディスティックな笑い声の開発にいそしんだという。彼がモデルにしたのは、『時計じかけのオレンジ』でマルコム・マクダウェルが演じたアレックスや、パンク・ロッカーのシド・ビシャス。

外形的には、ブルース・リーの実子ブランドン・リーが主演した『クロウ/飛翔伝説』を参考にしたというが、撮影中に発砲事故で死亡したブランドン・リーと同じく、ヒース・レジャーは薬物併用摂取による急性薬物中毒により28歳の若さで急死。

死後、ジョーカーの強烈な演技が認められ、アカデミー助演男優賞を受賞した。

クライム・アクションとしての“バットマン”

監督のクリストファー・ノーランは『ダークナイト』を製作するにあたって、マイケル・マン監督作『ヒート』(1995)を参考にしたと語っている。アル・パチーノ&ロバート・デ・ニーロの2大スター共演が話題を呼んだ、男くさいいハードボイルドなクライム・アクション映画だ。

『ダークナイト』冒頭の銀行強盗シーンはアメコミ映画とは思えないリアリティだが、これは明らかに『ヒート』を意識したものだろう。クリストファー・ノーランはこの銀行強盗シーンを撮影するにあたって、長編映画としては史上初めてIMAXを導入している。

IMAXは、35mmフィルムの面積比4倍となる70mmの超高解像度カメラ。筐体が大きくなってしまうため手持ちカメラには不向きとされていたが、何年もの間IMAXフォーマットでの撮影を望んでいたノーランは、大胆にもカメラが動き回るアクション・シーンにIMAXを利用。奥行きのある緻密な映像美に、観客は感嘆の声を漏らした。

当時は1台あたり50万ドル、世界に4台しかなかったという超高額IMAXカメラを、カーチェイスの撮影中にぶっ壊してしまったというエピソードは、今や語り草だ。

『ダークナイト』が映画史に与えた影響とは?

『ダークナイト』は、その後のアメコミ映画史を大きく塗り替えることになる。

本作が興行的にも批評的にも大きな成功を収めたため、その後に製作された『マン・オブ・スティール』、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』などのDCエクステンデッド・ユニバースにも、クリストファー・ノーランが原案・製作として名を連ね、「ダークな世界観 &リアル志向」という作風も引き継がれることになったのだ。

しかし、これが失敗に終わる。監督のザック・スナイダーは「ダークな世界観 &リアル志向」を表層的にしか捉えられなかったのか、『ダークナイト』のノワールな雰囲気は雲散霧消。やたら虚無的で陰鬱、そして無駄に長いだけといった悪評を買う作品になってしまった。DCの「暗い・長い・つまらない」という負のサイクルは、ここから始まってしまったのである。

『ダークナイト』が公開された2008年には、マーベル・シネマティック・ユニバース第1弾となる『アイアンマン』も公開されている。

その後も『インクレディブル・ハルク(2008)、『マイティ・ソー』(2011)、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)、『アントマン』(2015)、『ドクター・ストレンジ』(2016)、『ブラックパンサー』(2018)とヒット作を連発。

大ヒット中の完結編『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)も含め、世界で最も大きな興行的成功を収める映画シリーズになったことは周知の通り。DCの陰鬱な作風とは180度違う、カラっとした陽性のヒーロー映画に多くのファンが映画館へ足を運んだのだ。

DCも最近になってようやく路線を変え、2019年には「見た目は大人、中身は子供」というおバカ方向に舵を切った『シャザム!』を公開。作品自体は好評を得ているものの、シリーズとして遅きに失した感は拭えきれず、軍配は圧倒的にマーベルに上がる現況に変わりない。

『ダークナイト』があまりにも成功を収めてしまったがためにDCは作風を変えることができず、(現在のところ)マーベルとの戦いに敗れてしまっているといえるだろう。

実は『ダークナイト』は、アカデミー賞にも影響を与えている。

それまでアカデミー賞作品賞部門のノミネート枠は5つだったが、『ダークナイト』が作品賞ノミネートを逃したことがきっかけとなり、「ノミネートがアート系作品ばかりに偏ってしまい、『ダークナイト』のような娯楽大作が選出されないのはいかがなものか」という議論が噴出。

翌年から最大10作品に改定されたのだ(正確には、会員投票で5%以上の得票率を得た作品の中から、最低5本、最大10本の間で選ばれるように改定された)。

アメコミ映画の風潮に大きな影響を与え、アカデミー作品賞のノミネート数すら変更させてしまった『ダークナイト』。公開から10年以上が経った今現在でも、その存在は巨大であり続けている。

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