マクラーレン時代のアイルトン・セナ氏(左)とアラン・プロスト氏(1988年11月12日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)の伝説的ドライバーであるアイルトン・セナ(Ayrton Senna、ブラジル)氏が伊イモーラ(Imola)で事故死してから1日で25年を迎える中、最大のライバルだったアラン・プロスト(Alain Prost、フランス)氏が、「現役時代だけでなく、アイルトン・セナとは切っても切れない関係」と語った。

 プロスト氏はAFPの取材に対して、「説明はできるが、完全には無理だ」とした上で、「私たちの関係が話題に上らない日は一日もない。ソーシャルメディアでは、ほとんど毎日のように何か書き込まれている。それは驚くべきことだ。私たちは人々の心に大きな影響を与えたのだ。当時は必ずしも実感していなかったが」と語った。

「私たちは、F1を特定の人々だけの世界から、一般の人々にも開かれた世界にした。メディアを大きくにぎわせたのは、私たちが異なるキャラクター、カリスマ性、文化、そして教育的背景を持つ者として戦ったからだ」「あらゆる背景と結びつきながら、私たちのライバル関係はすさまじいものであった。しかし残念ながらアイルトンの死によって、それは凍ってしまった」

 1980年にF1でキャリアをスタートして93年に現役を引退したプロスト氏と、1984年にF1デビューを果たしたセナ氏は、1988年と1989年にマクラーレン(McClaren)でチームメートとなった。それと同時にライバル関係にもあった両者は、1988年の世界選手権ではセナ氏がプロスト氏を2位に抑えて総合優勝を果たし、翌年はプロスト氏が年間優勝を成し遂げてセナ氏が2位となった。

「彼と同じチームで走ったのは2年間だけだったし、一緒にしのぎを削ったのも全部で4〜5年だった。彼がまだいない時代に、私は何度も優勝してタイトルも獲得したが、私たちの歴史は完全につながっている。プロストの話をする時、セナの存在が出てこない時はない。その逆も同じだ」

「現役時代だけでなく、彼とは切っても切れない関係だ。この30年間、ずっとそうして生きてきた」「私たちがレースで競い合う時、半数は自分の味方で、残りの半数は敵だった。それは本当に驚くべきことだった」

「1993年に私が引退してから、それは変わった。幸運なことに、私がF1から退いてからあの事故が起きるまで、私たちは半年間ほど友好的な関係を築けた」「アイルトンの死後、大多数の人々が共有した物語は、プロスト対セナではなかった。それは素晴らしいことだ」

 一方でプロスト氏は、高い評価を獲得したアシフ・カパディア(Asif Kapadia)監督の映画『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ(SENNA)』が、両者の対立に焦点を当てていることを批判した。

「映画を見た人々が(プロスト氏に)敵意を抱くようなケースがある。全くばかげたことであり、とても残念だ」「ブラジルに行くと、私はフランスにいる時よりも有名かもしれない。とても情熱的に迎えられるし、アイルトン・セナ財団(Ayrton Senna Foundation)の関係者でもあることから敬意のようなものがある。私は常にセナ家と親しくしている」

 プロスト氏はまた、「金曜日のレースではルーベンス・バリチェロ(Rubens Barrichello)がクラッシュし、土曜日にはローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenberger)が事故死しているので、言いにくいが」とした上で、セナ氏が命を落とした暗黒の週末を境に、「F1が様変わりした」という見解を示した。

「日曜日にアイルトンの事故が起きなかったら、レースが大きく変わることはなかったかもしれない。アイルトンのクラッシュは、安全性の向上という観点で劇的な変化をもたらした。あれがF1を抜本的に改革させ、今の姿となっている」

【翻訳編集】AFPBB News