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ニルヴァーナ、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデン、マッドハニー……マルチプラチナムの名作から、忘れがたいアンダーグラウンド作品まで。ロックの歴史を作り直したはみ出し者たちが残した「グランジ・アルバム」のトップ50を紹介する。

25年前、カート・コバーンはグランジはダサいものになると予言していた。「グランジはニューウェイヴと同じぐらい強力な呼び方だ。時代遅れになるのを避けることはできない」と、彼はローリングストーン誌に語っている。当時、エディ・ヴェダーがタイム誌の表紙を飾り、ファッション・デザイナーのマーク・ジェイコブスがモデルにフランネルシャツを着せ、ニューヨークタイムズ紙までもが「不浄やゴミを意味する言葉が、なぜ音楽のジャンルやファッション、ポップカルチャーの社会現象を指すようになったのか?」という記事を書くほどであった。その呼び方は廃れてしまったが、当時の音楽はいまも重要な役割を果たし続けている。

当人たちがその呼び方を好んでいたかどうかは別として、グランジはムーブメントであった。10年もしないうちにニルヴァーナやシアトルの一握りのバンドがアンダーグラウンドからはい出てポップカルチャーを席巻し、自分たちのヴィジョンでそれを作り直した。歌詞では感情をむき出しにし、多くの女性たちや80年代のボサボサな髪型が持て囃されたメインストリーム・ロックから取り残された人たちに居場所を作った。そして、パンク・ロックに倣い派手なロックスター的演出を排除した。その音楽はハード・ロックとメタルとパンク(と、至るところに垣間見えるニール・ヤングからの影響)の融合であり、それにより音楽的な幅が生まれそれぞれのバンドが独自性を持っていた。やがてすぐに、インディ・レーベルでの数年の活動を経た世界中のバンドが幅広く認知されていくようになった。しかし、そのムーブメントはニュー・メタルがロック界に台頭し数年で急速に下火になっていった。

ただ、グランジが死んでしまったというわけではない。パール・ジャムやマッドハニー、アリス・イン・チェインズ、メルヴィンズのようなシーンを代表するバンドは高評価を受けるようなアルバム、商業的成功を収めるアルバムを未だにリリースし続け、グランジはアメリカン・カルチャーの一部になっている。その影響はヒップホップにも響いているし(ジェイ・Zは2013年の曲「ホーリー・グレイル」で「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のサビを使っている)、インスタイルなどの雑誌はグランジ・ファッションの再興を伝えている。また、ブリーやメッツ、スピーディー・オーティズ、そしてジュース・ワールドのような若いアーティストたちが、このジャンルの鋭いギター・リフと本音の叫びという伝統を受け継いでいる。

アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデン、ストーン・テンプル・パイロッツ、ニルヴァーナ、パール・ジャムのアルバムが1位を取り、そして悲しくもカート・コバーンが自殺した1994年は、グランジがメインストリームを席巻していた最後の年である。我々はその25周年を記念して、ローリングストーン編集者たちでその時代のベスト・アルバムを選んでみることにした。グランジというジャンルの幅の広さを感じ、決してそれが時代遅れなものにはなっていないことを証明するために、チャート1位を獲得したバンドのみならず、あまり日の目を見ることがなかったPawやザ・ギッツ、ザ・ユー・メンのようなバンド、さらにはグランジの祖(ニール・ヤング)などもピックアップした。ブッシュやキャンドルボックス、シルヴァーチェアーのように、大ヒットしたものの時の試練に耐えることができなかった作品は除外してある。