日曜日に観戦したFC東京が鹿島に3-1で勝利した試合。夜のスポーツニュースでは「FC東京が鹿島に完勝」と、勝者を持ち上げる内容が目立ったが、今後の可能性という点で軍配が挙がったのは鹿島の方だ。

 活字メディアにも言えることだが、文字数や放送時間に限りがあると、どうしても切り口を結果の中に見いだそうとする。勝者目線で語ろうとするが、それはサッカー的とはいいがたい。

 トーナメント戦ではない。決勝戦でもなければ、リーグ終盤に組まれた大一番でもない。リーグ戦の前半戦の戦いだ。今後を占うつもりがあれば、中身は結果と同じくらい重要になる。

 アジアチャンピオンズリーグ(ACL)との兼ね合いにも目を向ける必要もある。欧州では「国内リーグよりCL」の概念が浸透して20年以上経過する。バルセロナのように国内リーグで優勝しても、CLのタイトルを宿敵レアル・マドリーに持って行かれると敗者として位置づけられる。CLの肥大化と共に、国内タイトルの重みは低下の一途を辿っている。

 ACLのタイトルには欧州のCLのような重みがないとはいえ、欧州の流れを踏まえれば、少なくとも気にしておくべき視点になる。

 昨季、鹿島はACLを制しアジアチャンピオンに輝いたが、国内リーグは3位。欧州ならば、国内リーグを制した川崎フロンターレより讃えられていたに違いない。鹿島の肩を持つわけではないが、そもそも、そうした視点が存在しないことに“遅れ”を感じる。

 FC東京戦の前の週中にも、鹿島は慶南FC(韓国)とアウェー戦を戦っていた。退場者が出て10人になりながら、0-2の劣勢から3ゴールを挙げ、大逆転勝ちを収めていた。中4日で行われたFC東京戦の前半に3失点を喫した理由は、慶南FC戦の反動だったと捉えることもできる。FC東京の攻撃のよさを語るだけではバランスは取れない。

 FC東京はこの鹿島戦の勝利で勝ち点を17に伸ばした。首位の座こそ得失差でサンフレッチェ広島に譲るものの好調ぶりをアピールしている。一方の鹿島は、国内リーグ戦では6位(勝ち点11)ながら、ACLでは3戦を終えグループ首位に立っている。日本から出場している他の3チーム(広島、浦和レッズ、川崎F)より、優位な立場にある。

 FC東京戦は、そうした状況の中で行われた一戦だった。だが、繰り返すが、スポーツニュース等には、そうした背景をいちいち説明している時間的な余裕がない。30秒とか1分に編集しようとすれば、その辺りは割愛される。サッカーの中身に触れる時間さえないので、ヒーローを見つけ出し、その選手の活躍で勝ちましたとしたがる。ネットの速報系メディアしかり。複合的あるいは重層的な視点を傾ける余裕がない。

 FC東京対鹿島で言えば、ヒーローは久保建英だった。2点目、3点目の起点となる洒落たパスを前線に送ったことが高く評価されていた。それぞれのゴールを叩き込んだディエゴ・オリベイラではないところに、日本の報道が抱える嫌な面を見る気がするが、それはともかく、この試合の久保は総合的に見てよかったかといえばノーだ。この2本のパスに代表されるように、プレーする位置は概して低く、内寄りで、右のサイドハーフとして右サイドで見せ場を作ることができなかった。

 試合は、時間の経過と共に鹿島の一方的なペースになっていった。「1点返されたあと、2点目のゴールが決まっていれば、逆転まで言ってしまった可能性がある。アジアチャンピオンに相応しい凄みを感じた」とは、試合後の長谷川健太FC東京監督の弁だが、まさにレベルの高い相手を前に久保は、行く手を阻まれる格好になっていた。

 それなりのレベルにある相手を向こうに回したときそのプレーはどうなるか、その将来性という視点に立つと、先述の低い位置から放った2本のパスよりも、目は自ずとこちらに向いた。