埼玉県の養蜂家とミツバチ研究者が、日本の西洋式養蜂発祥の場所と時期を特定した。内務省勧農局が1877年に米国から購入したセイヨウミツバチを用い、現在の東京・新宿の新宿御苑(ぎょえん)で飼養試験を始めたことが明らかになった。しかも、基本に忠実で高度な技術力を備えていたことも分かった。「現代の日本の養蜂家が、逆に学ぶべきところがある」と2人は話している。

高い技術力 人工分蜂も


 日本に導入された当初の西洋式養蜂を調べているのは、さいたま市で養蜂を経営する貝瀬収一さん(73)と、玉川大学大学院でミツバチの研究をしてきた干場英弘さん(72)。還暦すぎに自分の仕事のルーツを調べようと決心した貝瀬さんに、養蜂の基本技術を体系的にまとめようと考えていた干場さんが合流した。長い年月の間に資料が散逸していたが、宮内庁などで古い文書を探し、場所と時期を特定した。

 2人の調査によると、1850年から70年代にかけて米国で確立された近代養蜂の技術を取り入れようと、内務省勧農局は日本の気候に合っていると思われるイタリアン種のミツバチを、同国から購入。現在の新宿御苑の位置にあった同局内藤新宿試験場で、日本の旧来の養蜂と比べながら飼育試験をしていた。「蜂蜜製所」は、新宿御苑の南東の端に設けられた。調査では、この建物の図面も見つかった。

 試験場は、導入した4群のミツバチを、1年で18群に増やしていた。「試験で最も重視していたのが繁殖だったようだ。資料は繁殖テストに成功したというふうに読める」と2人は言う。女王蜂がたくさんの働き蜂を引き連れて出て行ってしまう自然分蜂を防ぐため、既に人工分蜂を試していたと思われる。

 また、セイヨウミツバチの養蜂技術を忠実に守っていたことも分かった。とりわけ巣枠の間隔や蜂のスペースでは、蜂がストレスなく行動しやすいような空間を保っていた。「基本ができている」と貝瀬さん。干場さんは「今の日本の養蜂は、いつの間にか基本を外れてしまった。当時の技術に学ぶべきところがある」と指摘する。

 2人は新宿御苑内に、日本養蜂発祥の地を示す看板を設置できないかと考えている。