ベストセラーを量産する「本屋大賞」はどのように発展してきたのか? 写真は昨年4月、『かがみの孤城』で「2018年本屋大賞」を受賞し、授賞式であいさつをする小説家の辻村深月さん(写真:共同通信)

今年も「本屋大賞」の季節がやってきた。1月22日、第一次投票の上位10作が発表されて、すでに書店の店頭を飾っているが、第二次投票の最終結果が4月9日、東京の明治記念館で発表される。出版業界がざわつく、春の風物詩だ。

本屋大賞が始まったのは2004年だが、以来、大賞作品は例外なくベストセラーになり、50万部、100万部を超えることも珍しくない。映像化と親和性の高い作品が受賞しやすいのも特徴のひとつで、先月には上橋菜穂子『鹿の王』(2015年大賞)のアニメ映画化が発表された。また今年は、恩田陸『蜜蜂と遠雷』(2017年大賞)を原作とする映画の公開も控えている。世の中にはさまざまな小説や文学賞があるが、物語性の豊かな既刊の小説を対象にした賞のなかでは、ダントツの売り上げをたたき出す存在だ。

どうして本屋大賞はここまで支持されるようになったのか。これを読者として、どう受け止めればいいのだろうか。

「本屋大賞」をめぐる問題

振り返ってみると、この賞は始まった当初からいくつもの問題点が指摘されてきた。

書店員は本のことをよく知っている。埋もれた名作を掘り起こすような目利きであってほしい。なのに本屋大賞で選ばれるのは、すでに売れている本ばかりだ。……こういう批判はいまだに根強くある。

2006年、大賞になったのはリリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』だが、そのとき同作は100万部を突破していた話題作。さすがに書店員たちの見識が疑われた。2011年、広島出身の東川篤哉が『謎解きはディナーのあとで』で1位になったときには、版元の営業戦略に乗せられて地元の書店が大量の票を投じたのではないかと言われ、翌年から二次投票のルールが改正。参加する書店員はノミネート全作を読んだうえ、そのすべてに推薦コメントを添えて投票しなければならなくなった。

やがて結果が売り上げに直結することが明らかになると、賞が欲しい作家や出版社が、書店員の歓心を買うために露骨な営業をかけるようになり、公正さがなくなった、という意見もある。実際そんな風評に嫌気が差した有川浩は、2012年、最終ノミネートに残ることを辞退してしまった。

2017年、先に直木賞を受賞していた恩田陸『蜜蜂と遠雷』が大賞に決まったときには、直木賞の対立軸として始まったはずの賞が当初の志を失ってしまった、と失望の声を上げる人もいた。

確かに批判は少なくない。しかし、いまでも本屋大賞は「書店の売り場を活性化させる」「これをきっかけに1冊でも多く本を売る」という目的を十分に達成している。やはり成功している企画と見るほかないだろう。

親近感もたせる「素人感」が特徴

日本に文学賞は数多いが、本屋大賞には際立った特質がある。その作品選出の仕組み、参加者、運営方法、演出、広報。この賞に一貫しているのは、ひとことで言えば「親近感をもたせる素人感」だ。日々売り場で読者と直に接している書店員ならではの感覚と言ってもいい。

これまで作家や評論家が選考する賞はたくさんあった。よく知られているのが直木賞と芥川賞だが、これらの賞は候補作家のそれまでの履歴、将来性、あるいは文学性などを重視しがちで、かならずしも一般の読者にとっつきやすい作品が選ばれるとは限らない。

いっぽう本屋大賞は、全国いずれかの書店に勤めている人であれば、誰にでも投票する権利がある。一般の読者の目線に近い人が、面白い小説を薦めたい、という動機で投票する。始まった頃に比べて参加する書店員たちの意識も変わってきた、と言われるが、少なくとも「最も売りたいものを選ぶ」という立場はブレていない。

2000年代に入る頃、折しも出版業界のなかで書店員という存在が脚光を浴びはじめていた。店頭のPOPがきっかけとなって全国的なベストセラーがいくつも生まれ、やがて帯の推薦文や書評、文庫の解説などに、いわゆる「カリスマ書店員」と呼ばれる人たちが起用されるようになった。彼らは熱烈に本を推薦してくれる。おおむね下り坂にある出版という産業にあって、過度に期待の目が向けられた。

こうした時期にスタートした本屋大賞は、初回から注目の試みとして新聞やテレビなどに取り上げられる機会を得た。

第1回の大賞を受賞した小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社)は、受賞前には約9万部ほどの中規模なベストセラーだったが、受賞後の反響がすさまじく、またたく間に20万部近くを増刷。「前年に直木賞をとった石田衣良『4TEEN』よりも売れ行きがいい」という新潮社の担当者のコメントが出るなど、当初の想定を超える実績を上げた。

賞を主催するNPO法人「本屋大賞実行委員会」の杉江由次は、出版社「本の雑誌社」の営業マンでもあるが、書店員たちと共に創設から賞の運営に携わってきた人だ。賞が成功した大きな要因のひとつに、やはり第1回のときの経験を挙げている。「メディアに取り上げてもらったおかげもあって、大賞もよく売れたでしょ。始める前は考えもしなかった。あれがなかったら、いまこんなに注目される賞にはなっていなかったと思います」という。

しかし、正直なところは……というかたちで、こうも語った。「だんだんとすごく騒がれる賞になっていますが、運営しているみんなの気持ちはね、いまでも“町のお祭り”という感じなんですよ」。

「賞の未来」は読者にかかっている

もともと実行委員会を構成している中心は、有志の書店員たちだ。誰ひとり文学賞を運営した経験などない。一回一回手さぐりで続けてきた、というのは確かな実感だろう。どうあっても素人感がにじみ出る。

その特徴が好転したところに、いまの本屋大賞がある。このまま素人感を堅持していけば、この賞の魅力はしばらく衰えないと思うが、そんなことは周りが言わずとも、運営している人たちは百も承知だろう。

では、読者が本屋大賞に対してできることは何なのか。けっきょく面白そうだと思ったらノミネート作や大賞を読んでみる、つまらなそうだと思ったら買わない、という原点に帰りつく。そして、そういう読者の選択に賞の未来がかかっている、というのは本屋大賞にとっても本望にちがいない。