ヤクルトで活躍した川崎憲次郎氏(右)と「THE COLLECTORS」の古市コータロー氏【写真:荒川祐史】

写真拡大 (全2枚)

ジャンルを超えたスペシャル対談の3部作、まずは“第1打席”から

 野球と音楽――。ほとんど接点を持たない2つの別世界に見えるが、意外や意外、野球界にはコアな音楽好きが多く、音楽業界にも熱狂的な野球ファンが溢れている。その2つの世界を融合させようというのが、おなじみのラジオ番組、Full-Countプレゼンツ「NO BASEBALL, NO LIFE.」だ。今回は「野球と音楽・特別対談」と題し、豪華な対談企画をお届け。記念すべき第1弾は、1990年代にヤクルトスワローズで活躍した右腕・川崎憲次郎、そして知る人ぞ知る筋金入りのヤクルトファンでもあるモッズバンド「THE COLLECTORS」の古市コータローが登場する。

 川崎憲次郎と言えば、1993年日本一に大貢献してMVPを獲得。1998年には17勝を挙げて沢村賞に輝くなど、ヤクルトのエースとして先発ローテを牽引した。一方、30年以上もヤクルトを応援し続ける古市コータローは、子供の頃にプロ野球選手を目指していたが、今では日本を代表するロックバンドのギタリストに。実は大のロック好きという川崎は、現役引退後に解説や後進育成に加え、地元大分のかぼす大使を務める忙しい日々を送るが、スケジュールの合間を縫ってライブに足を運んでいるという。進行役として「SCOOBIE DO」のオカモト”MOBY”タクヤと作曲家の成瀬英樹が参加。言葉を交わした瞬間から意気投合した対談の様子を、全3打席の真剣勝負でお届けする。まずは1打席目から。プレイボール!

【第1打席 記憶〜古市コータローと川崎憲次郎の93年】

川崎「コータローさんは、もともと大のジャイアンツファンだったとお聞きしたのですが」

古市「大ではなかったけど、最初は巨人ファンでしたね」

MOBY「ご実家は目白の喫茶店で、王貞治さんのお兄さんのご自宅と近かったんですよね?」

古市「そう、ワンちゃんがうちの前に車を停めて歩いていくんですよ。よく捕まえてサインもらってました。ヤクルトファンになったのは小6の頃からで、よく信濃町とか遊びに出かけましたね。当時からあの街並みがおしゃれで好きだったんですよ。まさに東京っぽいところだなって思ってましたね」

川崎「当時ヤクルトファンなんて珍しかったんじゃないですか?」

古市「多分学校で俺1人だったんじゃないかな(笑)。あの頃のヤクルトは新聞を開いたら必ず6位でしたから。でも、そこが格好良かったんですよ」

川崎「あの頃の映像を見ると、外野は全然お客さんがいませんでしたよね?」

古市「そうそう、ガラガラでした。あの頃、パ・リーグも神宮球場使ってたんだよね。MOBY、どこの球団だった?」

MOBY「ロッテですね。南千住にあった東京スタジアムが使えなくなって、川崎に移転するまでは、1973年から77年まで公式戦の一部は神宮球場だったんですね」

古市「そっか、ロッテだったか。誰だったか外国人選手のホームランボールを取ってサインしてもらったんだよね。まあそんな感じで、昔からよく神宮球場に行ってたんですよ」

川崎「僕は高校の修学旅行で日本青年館に泊まって、そこで初めて神宮球場に行きました」

古市「じゃあ、その頃からヤクルトに縁があったんですね」

川崎「そうですね。ここでやりたいなぁと思っていたんですよ。そしたら、ドラフトでくじを引いてくれて」

MOBY「でも、川崎さんも最初は大のジャイアンツファンだったって聞いてますよ」

川崎「そうです。大のジャイアンツファンです!」

一同(笑)

古市コータローのソロアルバム「東京」で実現した憧れの人との縁

川崎「ドラフト当時の話をすると、僕の希望はヤクルト、大洋、巨人の順番だったんです。大分ではテレビ中継をやってなかったので、当日は教室でじっと待っていたんですよ。それで巨人とヤクルトが手を挙げてくれたって聞いて、とても安心したのを覚えてますね」

古市「ジャイアンツが一番じゃなかったんだ」

川崎「大の巨人ファンだったんですが、巨人に入ったら、まず使ってもらえないだろうなって思ったんです。当時は斎藤(雅樹)さん、槙原(寛己)さん、桑田(真澄)さんの3本柱がいて、さらに香田(勲男)さん、宮本(和知)さん、外国人投手もいましたし、これは余程じゃない限りは崩れないなと。ヤクルトは、栗山(英樹)さんや池山(隆寛)さん、広澤(克実)さん、ギャオス内藤さんがよくテレビに出ていたので、面白そうだから、ここでやりたいなって思っていたんですよ」

古市「それじゃあ、思った通りになったんですね」

川崎「偶然ですが、そうですね」

MOBY「出会いと言えば、コータローさんは加藤ひさしさん(THE COLLECTORSのボーカル)と、どんなきっかけで出会ったんですか?

古市「そんな大したきっかけじゃないですよ。モッズが好きで、バンドやりたくて、ボーカリストを探していたら彼と出会ってね。何か月後かにバンドを始めて今に至るんですけど、でも縁で言うと、今回のソロアルバム『東京』に参加してくれたチャボ(仲井戸麗市)さんやうっちゃん(内海利勝)さんですね。川崎さんのジャイアンツじゃないですけど、僕がこの世界に入るきっかけでもある憧れの先輩たちなんですよ。そういう方と今回共演ができたのはとても縁を感じますね」

川崎「アルバム、早速聴かせていただきました。資料に書いてあったのですが、今回、息子さんがドラムを叩いてるんですよね? MOBYさん、親子で共演するのってすごいことでしょ?」

MOBY「すごいことですよ。10曲目に入ってる『Song Like You』はLayne(レイン)ていう若手バンドのボーカル萩本(あつし)君が曲を作っているんですが、ここで息子さんの健太君が叩いてます」

成瀬「Layneはこの前、SCOOBIE DOと対バンしてたよね? いいバンドですよ」

古市「そうですね。今回若手を入れたかったんですよ」

MOBY「今回のアルバムでは、ドラムはクハラカズユキさんがほとんど叩かれていて、やっぱり安定感があって最高なんですが、健太君のドラムも基本に忠実で、フィルも豊かですごくフレッシュなんですよ。末恐ろしい!」

一同(笑)

野球と音楽の共通項は酒!? 「コータローさん曰く、男は毎日が二日酔いだと」

MOBY「コータローさんの記憶に残るスワローズって、いつですか?」

古市「やっぱりなんてったって92年、93年ですよ。毎日のように神宮球場に行ってましたから。確か冷夏で寒かったんですよ。夏でもGジャン着て見てました。あれは93年だったかな?」

MOBY「そうですね。僕は高校2年で食べ盛りなのに冷夏で不作による米不足の煽りで家に米がなくて、しょっちゅう牛丼屋に行ってました」

川崎「確かに『米騒動』ありましたね。あれって93年だったんだ。当時は野球で頭がいっぱいで、世間の動きなんか、ほとんど記憶にないんですよ。だから今言われてみて、そうだったんだって思い出しましたね」

古市「涼しかったから投げやすかったんじゃないですか?」

川崎「確かにそうでしたね。ちなみに球場でお気に入りの球場メシはなんでした?」

古市「神宮球場はね、なんだろう? カレーもあったけど、キリンのラガーとちくわのセットがあって、そればっかりでしたね(笑)。あと、牛丼好きなんで横浜スタジアムに行くと吉野家でしたね。後楽園球場は肉うどんでした」

一同(笑)

MOBY「ところで、川崎さんはTHE COLLECTORSはご存知でしたか?」

川崎「もちろんです。ただライブに行ったことがなくて」

古市「ぜひ来てくださいよ。大分だとT.O.P.S(トップス)というライブハウスでよく演りました。またお酒の話になっちゃうんだけど、川崎さんは大分だから麦焼酎とか飲みます?」

川崎「飲みますよ。大分は麦なんですが、最近まだ少ないですけど芋焼酎も出てきました。コータローさんもかなりお好きですよね?」

MOBY「コータローさん曰く、男は毎日が二日酔いだと(笑)」

一同(笑)

古市「もう神宮球場で、いくら使ったか(笑)」

川崎「ホントですか。焼酎派ですか?」

古市「基本そうですね。去年だったかアイスみたいなパックに入った氷結状の酎ハイがあったんですよ。それをチューチュー吸って野球観てたら、えらい酔っ払いましたよ」

川崎「ハハハ(笑)」

古市「川崎さんは現役の頃はどうでしたか? 昭和の野球選手はよく飲んでたって聞きますよね」

川崎「僕も飲んでましたよ(笑)。当時は当たり前のように二日酔いの選手がいました。試合前にみんなカッパ着て走って汗かいてましたね」

古市「日本シリーズの時はどうでしたか?」

川崎「当時はホテルに全員、軟禁状態でしたから。でも、今だから言えますけど、飲んでた人はいるでしょうね(笑)。僕は日本シリーズの前から10日間くらい全く熱が下がらなくて、実は日本シリーズも点滴を打ちながら投げていたんです。それで優勝して、ビールかけをやって、もういいやと思って、ビールを飲んだら、翌日熱が下がったんですよ(笑)。結局、酒が足りなかったんでしょうね」

古市「僕も初めて武道館でライブをする前日は、酎ハイを11杯飲みました」

川崎「相当飲みましたね」

古市「嫌いじゃないんですよ(笑)」

一同(笑)

ライブで完全試合!? 「途中までノーミス、完璧で…」

川崎「ミュージシャンの皆さんは、二日酔いでライブやったりするんですか?」

古市「ライブは夜だから、その時間には酒は抜けてますけど、朝起きて二日酔いは常識的ですね」

MOBY「ライブ前に飲む人もいますけど、あまりないんじゃないですかね。演奏の進行とか忘れてしまいますから」

古市「あとは終わった後、お酒が不味くなるからね。1曲目をミスったりすると、ちょっとやる気が薄れるよね。ピッチャーだって1回の表、1球目にホームラン打たれたら、ちょっとしょげますよね」

川崎「あります。僕は初回に2/3イニングで8失点というのがありますから。巨人の槙原さんが相手だったんですけど、打撃が苦手な槙原さんにもヒット打たれたんですよ。当時は、槙原さんに打たれたら投手は終わりだよ、と言われてましたからね(笑)。さすがにマウンドから『降ろしてくれ』という目でベンチを見ました」

古市「僕らはミスはあるけどお客さんにはあまり気付かれないミスだから。まあ、本人は結構辛いんだけど」

川崎「そうなんですね。ライブを観ていて全然気が付かないミスって、例えば?」

古市「汗とか照明が目に入って見えなくなって、そんな時に限ってギターの弦を抑えるところを確認しなきゃいけなかったりね。『ちょっとやめてくれよ』って(笑)」

MOBY「あと、ピック飛ばしちゃうとかですか?」

古市「ピックなんか飛ばすうちは素人だよ!」

一同(笑)

川崎「ドラムもアクシデントってありますか?」

MOBY「結構ありますよ。スティックが折れたり、ドラムの皮が破れたり、シンバルが割れたり」

川崎「えっ、シンバルって割れるんですか?」

MOBY「そう、ヒビが入ったりします。基本シンバルは消耗品なんです」

川崎「そうなんですか。そんな時はどうやって乗り切るんですか?」

古市「いろいろ方法はあるんですが、結局は『なんとか乗り切る』ですね(笑)」

川崎「ギターだと弦が切れたりとか?」

古市「あります。ただ僕はデビューして32年ですけど、弦を切ったのは2回くらいしかないですね」

MOBY「そうなんですか!」

古市「そう。僕のギターの師匠に『弦を切っているうちはだめだ』って教えられて。だから、切れないようにするためのバランスを自分で編み出したんだよね」

成瀬「それすごいですよ。僕もギタリストですが、だいたい年に1回はありますからね」

古市「反対にミスを全然しない日、野球だと完全試合みたいな日がたまにあるわけですよ。途中までノーミス、完璧で。俺、最後までいけちゃうんじゃないの?って」

MOBY「それがまた最後の最後で意識しちゃうと、ヤラかしちゃうんですよ(笑)」

川崎「ノーヒットノーランの9回みたいな」

古市「そうです。むしろ、どっかでわざと間違えてしまえ! みたいな天の邪鬼な自分がいたりするんですよ」

一同(笑)

(第2打席に続く)

■川崎憲次郎 情報
GAORAでも放送中のCTS ケーブルテレビ佐伯の番組「川崎漁業組合」
元プロ野球選手・川崎憲次郎が故郷の大分県佐伯市で釣竿片手にあらゆる釣りの醍醐味を紹介する。大分弁を流暢に話す川崎が、自然に恵まれた大分の魅力を郷土愛たっぷりに伝える。

■古市コータロー 情報
4thソロ・アルバム
『東京』
NOW ON SALE!

音楽と人増刊「古市コータロー〜東京〜」
NOW ON SALE
¥1,980(税込)

ライブ情報
古市コータロー SOLO BAND TOUR “東京”
5/30(木)梅田CLUB QUATTRO
6/01(土)広島・CAVE-BE 開演
6/08(土)東京キネマ倶楽部
6/09(日)東京キネマ倶楽部
6/15(土)仙台・LIVE HOUSE enn 2nd(福嶋剛 / Tsuyoshi Fukushima)