フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏のロングインタビュー第4回。今回も人気のテレビっ子ライター・てれびのスキマさんがじっくり聞きます。(全11回の4回目/#1、#2、#3、#5 公開中)

【写真】『いいとも』と『めちゃイケ』の思い出写真(全7枚)

◆◆◆

生放送なのにピリピリしていなかった『いいとも』

<フジテレビの若手スタッフには欠かすことのできない修業の場があった。それが『笑っていいとも!』だ。失敗の許されない生放送のバラエティ番組で経験を積むことが、作り手として大きな糧となっていく。1989年の10月にそのADとなった片岡飛鳥も例外ではなかった。>

『ひょうきん族』が入社して1年で終わって、『笑っていいとも!』に配属されるんですけど、当時フジテレビに入ったADはみな『いいとも』を経験しといたほうがいいと言われていました。やっぱりVTR収録ものだけじゃなくああいう生放送特有の緊張感も経験していないとディレクター候補生としては欠陥であると。ところが『いいとも』の現場には、実際はそういうピリピリした感じはないんです。タモリさんがあの柔らかいムードを持っているからだと思うんですけど、鉄火場の『ひょうきん族』(#3)とは全然雰囲気が違いましたね。


フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏

 僕の持論ですけどテレビって、この四角いフレームの中に全部映るんですよ。映画のフィルムの質感とは違う、シャープでクリアな画面には言外のいろいろなものが映る。いろいろなもの、というのは「本当のところ」みたいなこと。それがテレビの面白いところだし、ステキなところでもあるし、時に怖いところでもある。

 この人たちは一見楽しそうにキャッキャやってるけど、本当はそんなに仲良くないのかも…みたいなことが透けて見えたり。逆に大ゲンカしているけど、とても信頼関係があるんだろうな、とか。見ている人にリアルが伝わってしまう。『いいとも』はそれがさらに編集されない形で放送されるから、どの時代にもあのスタジオアルタに漂っていた空気がすべて映っていたんだと思います。

 だから最終回(2014年3月31日)だって全然状況の説明なんかないんだけど、エグいくらいお笑い界のリアルが映ってましたよね。面白いし、あの日に限ってはピリピリもしていた(笑)。あれがテレビ。さっきは説明が大事とも言いましたが(#3)、実は言葉を超えちゃうんですよね。
(※『いいとも』最終回でのタモリとさんまのトーク中にハプニングで、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインら全員が同じステージに登場。お笑い界の「惑星直列」と言われる歴史的事件となった)

タモリさんの「そーですね!」はこうして生まれた

<『いいとも』で、ある時期から恒例になっていたタモリが問いかけ観客が「そーですね!」と返すコールアンドレスポンスや拍手のあと「チャ、チャッチャッチャ」と合わせる約束事は、じつは片岡飛鳥がAD時代にやっていた「前説」から生まれたという。前説とは公開番組の本番前に観客に注意事項などを説明すること。観客のムードを温め、笑いやすい雰囲気にすることも大きな役割だ。他局では前説は若手芸人が行うことが通常だが、『いいとも』ではADが担っていたという。>

 前説って芸人さんがやるのが一般的と思われがちですけど、お客さんのムードを作るのも、どんなお客さんが来ているのか知るのも、制作者の仕事だというフジテレビの文化があって、必ずADが前説をやっていたんです。だから、たとえば『ひょうきん族』が公開収録をやるときもそうだったし、お正月の『爆笑ヒットパレード』でも『めちゃイケ』の客入れ企画でも最後までそうでした。僕はそれもプロの仕事のひとつだと教えられて育ったんです。だから、たとえADでも他の人と似ていないオリジナリティがあったほうがいいと思ったんじゃないかなあ。

 当たり前だけど、前説って「前に説明すること」。あの『いいとも』で前説をやるってなったときに、しっかり説明できるように練習をしたほうがいいと思って。当時の新宿・河田町にあったフジテレビ社屋には、一番上に登ると大きな富士山の画が貼ってある大きな円卓会議室があったんです。夜中になるとそこの窓が鏡張りみたいになって、自分の姿が映る。全部の仕事が終わるとそこに行って、恥ずかしながら前説の秘密特訓をしてました(笑)。真っ暗な会議室で1人で大声出してますからね……最初は警備員さんに異常者が侵入してると思われて(笑)、事情を説明して続けているうちに「ああ、今日もやってるんですね」みたいないい関係になったりしました。

「今日は天気がいいですね?」って言ってお客さんに「そ−ですね!」と返してもらう。「明日は雨が降るらしいですよ」「そーですね!」。ちょっと変化をつけて「スカッとさわやか」と言ったら「コカ・コーラ!」って返ってきた。これは使えると思って色々やってました。AD時代に自分で作った台本、まだ覚えてる(笑)。

 するとほどなくして、その前説をタモリさんが「テレフォンショッキング」の冒頭でなぞってくれたんです。今考えれば僕の拙い前説をイジってくれたのに近いかもしれないですけど。そのうち地方からのお客さんにとっても「東京に来たからには、アルタに行って『そーですね!』と言って帰りたい」みたいな観光ノリになっていった気がします。でも若いから怖いもの知らずで、ベニヤ板のセット1枚裏でタモリさんやさんまさんが聞いているのにだいぶ調子こいて前説してたんですよね……。痛いですね……。思い出すとちょっと死にたい(笑)。

中居と仕事をしたキッカケは「ナイナイと歳が近いから」

<『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で1990年にディレクターデビューした片岡飛鳥が『笑っていいとも!』をディレクターとして担当したのは前期と後期に分かれている。93年に半年間務めた前期と、95年秋から『めちゃ×2モテたいッ!』(『めちゃイケ』の前身番組)のスタートと共に、ナインティナインをレギュラーに引き連れ参加した後期だ。>

『いいとも』は金曜日に縁があって、28歳で初めてディレクターをやったときも金曜日担当でした。『いいとも』におけるさんまさんの全盛期ですよ。延々と爆笑が続くタモリさんとさんまさんの雑談コーナーのどこでおなじみの「チャーラッチャチャ〜♪」と鳴らしてCMに行っていいのかわからないみたいな緊張感を半年味わいました。

 その後、一度僕は『いいとも』を離れるんですけど、1995年に『めちゃモテ』が始まると同時にもう一度戻れと会社から言われてまた金曜日をナインティナインとやったんです。トシちゃん(田原俊彦)や野村沙知代さんとも一緒でしたね。で、そんな時にSMAPの誰かとやらないかと言われて、(香取)慎吾くんや(草磲)剛くんよりナイナイと歳が近いほうがいろいろな笑いを共有できるだろうと思って、中居(正広)と組ませてもらった。

 今思えばすごく軽いノリで決めたことなんですけど、中居とはその日から『めちゃイケ』の最終回までずっと続いたわけですから。運命みたいな感謝もしてます。

『めちゃイケ』『いいとも』『めちゃイケ』『いいとも』……休みなき殺人スケジュール

 そして1年が経過して、いよいよ『めちゃイケ』が始まるんです(1996年10月19日)。

『めちゃイケ』は月曜に会議をしたら、火曜・水曜は収録、木曜から金曜の朝まで徹夜で編集を続けてから、そのまま寝ないで新宿のスタジオアルタへ行き、『いいとも』の生放送を終えて、すぐに翌週分の会議も済ませる。で、休むことなく夕方に再び『めちゃイケ』の編集室へ戻る。土曜・日曜はロケハンとか次回の編集の準備で終わり…というような異常に忙しい毎日が始まったんです。当時の『めちゃイケ』は自分ひとりで撮り続けなきゃいけない状況で…もちろんゴールデンタイムのプレッシャーも大きく、精神的にもかなり追い詰められた状況で2カ月ぐらいが過ぎた。

 そんなある日にですね……『めちゃイケ』の編集がめずらしいことに朝7時くらいに終わったんです。『いいとも』は10時入りだから、3時間ある。当時新宿に住んでたから、アルタも近いし、じゃあ、ちょっと着替えようかって1度帰ったところで寝ちゃったんですよ。

 で、この話は思い出すのが苦しいんですけど……起きたら夕方5時半! もう意味が分からなかった、だって1時に生放送もとっくに終わっての5時半ですよ。『いいとも』8000回以上の歴史で唯一、ディレクターが来なかった回になってしまったんです。もう驚くとかゾッとするとかは超えて、何もかもイヤになった(笑)。

「なんとディレクターが来てないんです! 飛鳥さん、起きてください!」

 あとからその日の放送を見ると、生放送のいいところなんですけど、めちゃくちゃ盛り上がってる(笑)。カメラに向かってみんなが「なんとディレクターが来てないんです! 飛鳥さん、起きてください!」って。今考えれば自分のやらかしをネタにしてもらってるんですけど、僕としてはもう、とにかくしんどくて、目覚めてからも動けずにボーッとしてたら、岡村と中居が『いいとも』の次の仕事もたまたま一緒の現場だったらしくて2人で家に電話をかけてきてくれたんですよ。電話に出ると、2人がキャッキャしながら「どういうことですかあ?」みたいに笑ってる。岡村が26歳で中居が24歳とか? まだ若いですからちょっとハシャいでる(笑)。

 彼らとしては僕が相当落ち込んでるだろうと、わざわざイジってくれてるんですけど、当時の僕は心も体もボロボロでただただツラくて、そんな優しさも受け止められずに「起きられるわけねえだろ!」ってまさかの逆ギレ(笑)。そしたら2人も「すみません…」ってシュンとなってしまって……どう考えても謝るのはこっちですから(笑)。大人気ないにもほどがある。あのときのことはいまだに中居からも叱られますね。

「辞めちゃうんだ……」15年後のタモリさんの忘れられないひと言

 それで、「また遅刻を繰り返してしまう可能性もあるから続けていく自信がないです…」と当時の荒井(昭博)プロデューサー(※1)に相談して、後期『いいとも』も1年とちょっとで抜けて『めちゃイケ』に専念させてもらったんです。

 だから実はタモリさんと仕事した時間というのは意外と少なくて。その遅刻のことをタモリさんにちゃんと謝ったのは、なんとそれから15年も経ってから。晩ごはんを一緒に食べさせていただくような立場になって、最初の日だったと思います。

 タモリさんはもう忘れているかもしれないけど、お詫びもしないまま逃げるように『めちゃイケ』に没頭し続けて、山本圭壱の問題(#1)じゃないですけど、ちゃんと「。」がついてないなと思ったので「あの日は遅刻して申し訳ありませんでした」と改めてお詫びしたら、タモリさんらしいテンションで「ああ、遅刻したよね〜」って、タモリさんおぼえてた。で、「遅刻、面白かったけどね」と。けれど、「ああ、でも辞めちゃうんだ……と思ったんだよね」とボソッと言われたんです。それを聞いて顔から火が出る思いでした。だって、普段は『めちゃイケ』でみんなに「辛いことや悲しいことがあったときは全部笑いになるから」とか言っている僕が、そんなに大事件が起きていたのに、まったく反応ができなかったわけですから。それは遅刻したこと以上に、大きな傷として残っています。これはしんどいです。もう、めちゃめちゃ血の味ですよ(笑)。

#5 「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは へ続く

#1 『めちゃイケ』片岡飛鳥の告白「山本圭壱との再会は最後の宿題だった」
#2 「岡村さん、『めちゃイケ』…終わります」 片岡飛鳥が“22年間の最後”を決意した日
#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代 

毎週土曜日連載(全11回)。#6、#7は4/13(土)に配信予定。
(予告)
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想
#7 「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

※1 荒井昭博……1962年生まれ。『夢がMORI MORI』でSMAPをバラエティ番組に起用。『笑っていいとも!』のプロデューサーを務めたほか、『SMAP×SMAP』、『ココリコミラクルタイプ』などを手がける。現在はBSフジ常務取締役。

聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)

(片岡 飛鳥,てれびのスキマ)