北総線の運賃をめぐる2回目の住民訴訟は、原告適格なしという意外な理由で住民側の敗訴となった(写真:tarousite/PIXTA)

高額運賃で名高い北総線をめぐっては運賃認可した国を相手に住民訴訟が2つ起こされており、北総鉄道の株主である印西市の板倉正直市長による株主代表訴訟準備の動きもある。また、同線に頼らない交通機関として、住民が主体となってはじめた路線バス「生活バスちばにう」が運行されていることなどを本オンラインでも伝えてきた。

北総線は北総鉄道が京成高砂―印旛日本医大間32.3kmを運営する線で、同社は京成電鉄が株式の50%を保有する京成電鉄の子会社だ。沿線住民が高額運賃の不当性を訴える中、京成、北総側は、「国土交通省が認可したものであり、運賃は適正だ」と主張している。北総鉄道の平田憲一郎会長、室谷正裕社長はともに国交省OBで、平田会長は鉄道事業の許認可に携わる鉄道局長経験者でもある。

「訴える資格なし」とは?

住民が北総線の上限運賃認可を不当として国に認可処分取り消しを求めた第一次訴訟(東京地裁)が最高裁まで争われたが、住民敗訴に終わった。そのあとの第二次訴訟(東京地裁)は消費税が5%から8%に引き上げられた際に起こされた(第一次訴訟と原告は異なる)。国は消費税の引き上げ分の転嫁だけを審理して、その分の運賃値上げを認可したが、北総線の高額運賃そのものの審理をしなかったことが違法かどうかが争点となった。
その判決が3月14日に下され、原告には原告適格がないという理由で却下された。4年半の審理を経て下された判決が、原告適格なし、すなわち訴える資格がないという判断が出たことに、北総線裁判を見守る住民からは驚きの声が上がった。

実は、第一次訴訟は原告敗訴ではあるが、北総線を利用する住民に原告適格を認めていたので、第二次訴訟敗訴は意外なものと映っている。そこで、ここでは鉄道利用者が鉄道運賃を不当なものだとして司法による解決を求める場合の問題点について考えてみたい。

行政処分に対する取り消しなどを求めて裁判を行う場合、行政事件訴訟法が適用されるが、通常の裁判所に民事裁判として提訴するのが日本の仕組みだ。その際に原告適格、すなわち訴える資格があるか否かが審理される。例えば、運賃認可を申請した鉄道事業者が認可運賃(現在は上限運賃の認可)に不服があり、その処分の取り消しを求めて国(国交省)に訴訟を起こした場合や、その鉄道事業者と競争関係にある鉄道事業者が訴訟を起こした場合に、原告適格を疑われることはない。

問題は利用者だ。運賃認可申請した事業者とそれに行政処分(運賃認可決定)を行った国の関係からみると第三者であり、また競争事業者に比べ、圧倒的に数が多く、一回でもきっぷを買ったことがある者も利用者であると主張される可能性もあるから、裁判所、国は利用者の原告適格を否定あるいは狭く解釈してきた。

行政事件訴訟法第9条は「法律上の利益を有する者」に限って取り消しの訴えを起こせるとしている。この意味は、国交省の認可により決まった運賃が不当に高いと利用者が主張した場合に、それが利用者の法律上の利益の侵害にあたるかどうかということだ。第三者としての利用者の利益は政策遂行の結果得られる「反射的利益」という考えが一般的であり、原告適格が否定されてきた。

有名な「近鉄特急料金訴訟」

1982年に大阪地裁で判決が下された近鉄特急料金訴訟は、近鉄特急の利用者が特急料金の認可をめぐり、その認可の取り消し等を求めた訴訟である。行政事件訴訟法の原告適格以外に争点もあったが、大阪地裁は原告適格を認めた。その後、原告・被告双方が大阪高裁に控訴した。大阪高裁は1984年に、利用者の利益は公益保護の一環として実現されるとみるべきで、沿線在住者や定期券を持つ利用者であっても、原告適格はないとして原告の控訴を棄却した。原告側は最高裁判所に上告したが、最高裁は1989年に控訴審の判断を支持して上告を棄却し、確定した。

これに対して、北総線第一次訴訟の東京地裁判決(2013年3月)では「少なくとも居住地から職場や学校等への日々の通勤や通学等の手段として反復継続して日常的に鉄道を利用している者」には原告適格を認めた(本案では敗訴し、原告が控訴。控訴審でも原告適格は認められたが本案では敗訴。原告が最高裁に上告したが棄却)。近鉄特急料金訴訟のあと、行政事件訴訟法が改正されて原告適格が広がる余地が生まれたことも影響していると思われる。

そこで、印西市議であり、地元で塾経営を営む山本清氏は、長男、次男が北総線の通学定期券を購入して大学に通学しており、その費用を負担するとともに、自らも日常的に利用しているとして、前述のように消費税が5%から8%になったときの国交省の運賃認可が違法であるとして、その取り消しを求めて2014年9月に東京地裁に提訴した。山本氏本人と長男、次男の3名が原告となった。これが北総線第二次訴訟である。

この第二次訴訟の原告らは第一次訴訟で示された原告適格を満たしていると判断し、訴訟に踏み切った。しかし、判決が下された今年の3月14日までおよそ4年半の歳月を要している。この間、長男、次男が2018年3月に大学を卒業した。長男は就職して遠方に引っ越したため裁判の途中で訴えを取り下げた。次男は大学を卒業後、都内で暮らし始めたが父親の塾で講師をするためなどで1カ月に4〜8回ほど北総線を利用しているとして原告にとどまった。長男・次男の通学定期券の費用を負担しなくなった山本氏も買い物や、塾のテキストの仕入れや議員としての公務などで北総線を月に8回ほどは利用しているとして原告にとどまった。さらに2017年4月から、山本氏の三男が千葉県柏市の中学校に通い始めて北総線通学定期を購入しているため、途切れることなく子どもの北総線定期代を負担しており、原告適格があると主張していた。

しかし、東京地裁(民事第51部・清水知恵子裁判長)は4年半にもわたり国交省の認可の不当性評価にかかわる審理を進めておきながら、3月14日に原告適格なしとして却下した。本案の運賃認可の違法性について判断しない門前払いである。判決文では山本氏と次男は定期券を購入せず、月に8回くらい利用する程度では、日常的な北総線の利用者とはいえないとした。また、三男の定期券代を負担している山本氏の状況についても、利用しているのは息子であり、山本氏は直接的に影響を受ける者でないという趣旨から原告適格を否定した。なお、三男については提訴後に通学定期券を利用し始めており、原告ではない。

第二次訴訟判決に疑問の声

4年半にわたり、行政処分の内容に踏み込んで審理をしておきながら、その途中で定期券を使わなくなったのだから原告適格なしで訴訟が却下されてしまう状況をどう評価すべきだろうか。北総線の訴訟は原告の個人的な利益のためというより、高すぎる運賃を認めた国の違法性を認めさせて運賃を引き下げ、多くの消費者の役に立ちたいという社会の公益のための訴訟であることは明らかである。消費者訴訟を数多く経験しているあるベテラン弁護士は、匿名を条件に以下のコメントを寄せた。

「裁判官は内心、原告の訴えに共鳴するものの、自分では判決を書きたくないので、自分が転勤する時期まで審理を繰り返させ、その後、転勤する。次の裁判官は、転勤が期待できないので、判決を書かざるをえないが、原告を勝たせるわけにいかず、また、中身に入ると、面倒な議論をジャッジしなければならない。そこで、門前払いのために原告適格を持ち出したいところだが、近時の動静からして、はじめから原告適格を否定することもできない。ついては、訴えの利益が消滅して原告適格がなくなったとの論法を使う」。

判決を言い渡した清水知恵子裁判長は提訴から3人目の裁判長だ(小林宏司裁判長⇒岩井伸晃裁判長⇒清水裁判長)。

そもそも運賃値上げ時点での行政処分の違法性を問う裁判なのに、その後、鉄道を日常的に使わなくなったからと言って、原告適格を認めないことの正当性はどうなのだろうか。原告の代理人を務めた外山太士弁護士は以下のように言う。

「行政事件訴訟法の解釈の問題だが、調べた範囲では、原告適格を備えていなければならない時期について、意識的に検討した判例および論文はまったくない。ただ、あらゆる民事訴訟、行政訴訟において、当事者適格(原告適格)は口頭弁論終結時で判断するという大原則が、アプリオリに適用されているだけのようだ」。

さらに今回の訴訟について、「国が反論にかなりの時間を費やすことを裁判所が許し、また、裁判所からみて国の反論が不十分だと思う点があると、その点の反論をわざわざ促すことが繰り返された結果、4年以上の期間がかかった。本来なら、国が当該処分の適法性をある程度短い審理期間内に立証できなければ、国の敗訴という訴訟指揮がなされるべきだと思う」と話した。

「刑事裁判で無罪を勝ちとるのに近い感覚」と語るのは上智大学法学部の楠茂樹教授だ。行政相手の訴訟で意見書を書いた経験を踏まえ、「行政は正しいことをやっているはずという考えから出発し、『行政を逃す口実』があれば逃してあげるという裁判官のマインドがあると思う」と話す。

原告適格は裁判所で違法性判断をしてもらう入り口にすぎない。そこを突破できてもさらに困難が伴う。さきほどのベテラン弁護士は「仮に裁判所が原告適格を認めたとしても、その次は中身の審理で『自由裁量論』を持ち出す。つまり、司法がもの申すのは当該行為が明らかに自由裁量の範囲を逸脱しているときに限定すべきとした上で、本件では裁量を大きく逸脱したものではない、という論法だ。行政訴訟のお先はまっくらな状態だ」という。

ただし、裁判官が悪いという決め付けでは解決しないだろう。今回の判決について現行の行政事件訴訟の原則からして当然という意見も法律家には多いだろう。司法は法律の解釈をする場であり、法律に問題があれば、その解釈を離れて正義や公正を実現するのは難しい。鉄道利用者を権利主体と位置付け、移動する権利を交通権などの新しい人権として捉えていく立法努力も必要だ。

北総線第三次訴訟も

第二次訴訟で敗訴した山本氏は3月25日東京高裁に控訴するとともに、予定されている消費税の10%への引き上げ時に再度国交省が北総線の運賃そのものの適正性を検証せず、2%の増税分だけの転嫁について審理して認可するのであれば、第三次訴訟も辞さないと述べている。三男が現在中学生なので、大学を卒業するまで10年ほどあるので、原告適格は最高裁で争うまで十分だからという。

このように個人の原告適格の有無や裁判遂行能力のあるなしで、公共料金の司法による不当性判断の機会の有無が決まるということは改善の余地があるように思う。現在、消費者契約法などに違反する事業者に対して適格消費者団体が民事裁判において差止請求訴訟を起こせる制度(団体訴訟制度)がある。公共料金分野の行政訴訟にも活用できるようにしてはどうであろうか。

そもそも北総線ほど争いが続く路線も少ない。こうした紛争が続けば、国交省(国)も相当な人力をその対応に割かれる。国側の弁護費用の財源は税金だ。鉄道の運行資金は利用者が提供し、効用を得るのも利用者なのだから、まずは利用者が納得のいく運賃認可が行われるような制度作りを求めたい。