元号「令和」を発表する菅官房長官(写真:時事通信)

平成に代わる新元号は「令和(れいわ)」となった。政府が1日午前の臨時閣議で決定したもので、新天皇の即位に合わせて5月1日午前零時に改元される。

安倍晋三首相は1日の記者会見で、「(新元号には)人々が美しく心を寄せ合う中、文化が育つという意味が込められている」と強調した。出典は中国の古典ではなく、初めて日本の古典である万葉集から導き出した。元号での「令」の使用は初めて。年度替わりでの新元号決定は、天皇の生前退位・新天皇即位という憲政史上初の皇位継承に伴うものだけに、今後は改元に合わせて列島に「令和フィーバー」が巻き起こるのは確実とみられている。

首相は「安倍改元」をアピール

政府は1日午前9時半から、首相官邸でノーベル賞受賞者の山中伸弥京都大学教授や直木賞作家の林真理子さんら9人の各界代表・有識者による「元号に関する懇談会」を開催。続く衆参両院正副議長からの意見聴取や全閣僚会議で6つの案から新元号を選び、11時過ぎの臨時閣議で「令和」に決定した。菅義偉官房長官が午前11時半過ぎに発表し、安倍首相が正午過ぎに新元号決定に当たっての首相談話を読み上げるとともに出典など説明。安倍首相は「新しい時代には、国民の一人ひとりがそれぞれ花を大きく咲かせてほしい」などと一億総活躍社会も絡めて令和への希望と期待を込めた。

改元は、竹下政権だった1989年1月7日、昭和天皇の崩御を受けて行われて以来約30年ぶり。政府は基本的に前回の改元手続きを継承し、当時の小渕恵三官房長官(故人)と同様、菅氏が発表役を担った。ただ、前回は竹下登首相(同)は首相談話を出しただけだったが、今回は首相が会見して、内外に「安倍改元」をアピールした。

小渕氏が「平成」と墨書された額を掲げるシーンが象徴するように、前回の改元は「平成イコール小渕」という印象が国民の間に強く残った。行く先々で「平成おじさん」と親しまれた小渕氏は、改元から9年後の1998年に首相の座に上りつめた。新元号の発表方法には明確な規定がないため、今回は政府部内で首相が発表する案も浮上したとされるが、最終的には「閣議の内容は官房長官が発表するのが慣例」(安倍首相)との理由で、前回同様に菅官房長官が記者発表した。

前回の発表方法を決めた竹下氏は当時、「平成を決めたのは自分だが、歴史に残るのは小渕だわな」と周辺に話していたとされる。「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」が口癖だった竹下氏だけに、政界では「竹さんらしい」(自民長老)との評もあったが、当時の関係者は「小渕さんへの想像以上の反応に、『本当は俺が』と後悔していた節もある」(官邸筋)と振り返る。

今回も菅氏が「令和」と墨書された大きな額を掲げ、カメラのフラッシュを浴びたが、額は台の上に固定され、間をおかず安倍首相が登場して同じ会見台で談話を読み上げたことで、改元発表での主役は首相となった。会見開始時間も菅氏は地上波民放テレビ各局の昼ニュースが始まる午前11時半に合わせ、首相会見は正午のNHK昼ニュースの冒頭に合わせて全国に同時中継された。

改元5カ月以内に首相退陣という「呪い」

首相サイドは「首相と官房長官の双方の面子を立て、結果的に首相が主役になるような演出となった」(側近)と解説。自民党幹部は「竹下氏と違って『俺が俺が』の傾向が強い首相だが、元号公表での『独り占め批判』を気にして、2段階にしたのでは」と苦笑する。これにより、首相が退陣後に「令和総理」と呼ばれる機会もありそうだ。

統一地方選前半戦の最中の新元号決定・公表は「安倍政権や与党にとってプラスの要因になる」との見方もある。さらに、政府が新天皇即位など一連の歴史的皇室行事を準備万全でこなすことで、「参院選に向けて政権浮揚の材料になる」(官邸筋)との期待も膨らむ。ただ、明治以降の改元に絡んだ政権のその後を検証すると、共通の歴史も見えてくる。明治から大正に元号が改められて以降、いずれも改元から5カ月以内に改元時の首相が退陣に追い込まれているからだ。このため、政界では秘かに「改元の呪い」との噂も広がる。

実際に昭和から平成への変わり目では、1989年1月8日の改元から5カ月足らずの6月3日に竹下首相が退陣した。「大疑獄」となったリクルート事件と、初めての消費税導入で竹下内閣の支持率が消費税(3%=当時)並みの一桁台に落ち込んだのが原因だ。その前は1926年12月15日に大正から昭和に元号が変わったが、当時の第1次若槻礼次郎内閣は昭和金融恐慌での台湾銀行の救済案を枢密院で否決され、翌1927年4月20日に総辞職した。さらに、第2次西園寺公望内閣は1912年7月30日の明治から大正への改元後、閣内での陸軍との対立などが原因で、同年12月21日に総辞職した。

こうした史実について、自民党内では「当時とは政治体制や政権を取り巻く状況が違い、全く参考にはならない」(細田派幹部)との指摘が多い。昨年9月に自民党総裁3選を果たした首相の任期はまだ2年半も残っており、党内では「4選論」もささやかれるような安倍一強も続いている。もちろん、国政選挙で惨敗すれば政権危機は避けられないが、政権交代を目指すはずの野党がバラバラで、選挙共闘協議も進まない現状から、「参院選でも自民党は一定の議席を確保して首相の続投は確実」(自民幹部)というのが政界の常識だ。

また、今回の改元からちょうど5カ月後の10月1日には、政府が消費税を10%に引き上げる予定だ。「景気後退はそれ以降で、しかも、2020年夏の東京五輪までは大きな落ち込みはないはず」(経済界首脳)との見方が多く、増税がすぐ退陣につながることも考えにくい。最大の懸念材料とされるのは首相の体調だが、これも3月末の人間ドックでの定期健診も踏まえ、「首相の体調は就任以来最高」(側近)とされ、「12年前のような急激な体調悪化がない限り、体調不良による退陣もあり得ない」(自民幹部)というのが大方の見方だ。

安倍長期政権に欠ける政治的遺産

とすれば、安倍首相が改元の呪いを克服するのは難しくはないようにみえる。皇位継承が現実化した時点から、安倍首相が「平成のその先の新時代をリードしたい」と繰り返してきたのも、史上最長記録を更新する超長期政権への自信と余裕の表れでもある。

ただ、記録的な長期政権に欠けているのが歴史に残る「レガシー(政治的遺産)」だ。政権の大看板のアベノミクスは「永遠の道半ば」(自民長老)などと揶揄され、首相が悲願とする自衛隊の存在を明記するための憲法改正も在任中の実現は困難視されている。さらに、得意の外交でも、ロシア側の強い姿勢もあって、北方領土問題を含めた日ロ平和条約交渉の長期化は避けられない。首相が任期中の決着を公約してきた北朝鮮の日本人拉致問題も、解決の糸口すら見つけられないのが現状だ。

2021年9月の自民党総裁の任期満了までこの状況が変えられなければ、史上最長政権となっても安倍政権の政治的レガシーは作れず、東京五輪と改元だけが歴史に残ることになる。さらに、2度にわたる消費税増税で景気が悪化すればこちらは「負のレガシー」になる。もし首相が「レガシー無き史上最長政権」を余儀なくされることになれば、後世にはそのことが「改元の呪い」と喧伝されることにもなりかねない。