■不正や非効率が、はびこる原因

【佐藤】菊澤先生のご著書である『組織の不条理――日本軍の失敗に学ぶ』は、防衛大学校(以下、防大)の教授陣が中心となって書かれた『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』と同じく、大東亜戦争における日本軍の失敗をテーマに扱いつつ、切り口が違います。

作家・元外務省主任分析官 佐藤 優氏

『組織の不条理』を読むと世界の見え方が変わってきます。そういう意味で必読書だと思っています。

【菊澤】この本は約18年前、私が防大の教授になりたてのころに書いた本です。私は経営学を専攻していますが、赴任当時の防大では経営学は民間の学問ということで敬遠されていました。そのため、私は経営学も意外に役に立つということを証明しなければならないと思い、すでに出版されていた『失敗の本質』を意識しつつ書いた本が『組織の不条理』なのです。

【佐藤】私は、良い本を読むと人の手に届けたくなります。昔の記憶をざっと整理してみただけでも、『組織の不条理』を単行本で二十数冊、文庫で30冊、私自身で購入して配っています。

【菊澤】ありがとうございます。

『失敗の本質』は、組織論の立場に立ち、大東亜戦争における日本軍の失敗の事例を分析します。そして、日露戦争以後に形成された白兵突撃・艦隊決戦・短期決戦志向という枠組みのもとで、制度や技術や兵器が相互に補完的に強化されすぎたために、大東亜戦争という新しい環境に直面したときに、日本軍は枠組みを変革できずに失敗したという結論に至ります。

この本は、私自身も納得する点の多い名著なのですが、基本的なスタンスとしては、合理的なアメリカ軍組織に対して非合理な日本軍組織という構図があって、日本軍の組織はより合理的であるべきだったという流れになっています。

【佐藤】しかし、当時の日本軍も実は合理的に行動していた。ご著書の『組織の不条理』では、そのような見方で分析されていますね。

【菊澤】はい。この本のタイトルにもある「不条理」とは、人間の合理性こそが人間を失敗に導くということです。つまり、大東亜戦争での日本軍の失敗は、非合理だったから起きたのではなく、むしろ、合理的に行動したからこそ、失敗に導かれたということです。では、なぜ不条理が発生するのか。それは人間が限られた情報の中で判断するしかないからです。このことを「限定合理性」と呼びます。

慶應義塾大学教授 菊澤研宗氏

そして、人間が限定合理的であれば、相手の情報の不備につけこんで、利己的利益を追求しようとする機会主義的な人が現れます。

その結果、人間同士で交渉・取引をすると、騙されないように駆け引きが起こり、多大な時間や労力というコストが発生します。このコストを考慮すると、現状が非効率だったり不正な状態でも改革することなく維持したほうが合理的という不条理が生まれるのです。

【佐藤】人間の合理性を限定的に見ることで、まったく違って見えてきます。『組織の不条理』が良い本だと思うのは、「限定合理性」という補助線を引くことでシャープや東芝といったビジネスの失敗事例の本質が読み解けることです。

【菊澤】日本企業はバブル崩壊以後、アメリカ化、すなわち、科学的な経済合理主義をずっと進めてきました。この経済合理主義は徹底した損得計算で成り立っています。しかし、そうやって科学的に損得計算ばかりしていると、いつかどこかで必ず不条理が生じるのです。

例えば、安全性を高めることは正しいことですが、そうするにはコストがかかるので、初めから手抜きをすることが経済合理的となります。イノベーションも、失敗したときに想定されるコストが高いので、挑戦しないほうが合理的となります。経済合理性は、必ずそんな不条理を生むものなのです。

■不条理を回避するヒント

【佐藤】合理性を追求したところに、不条理があり、企業に大きなマイナスをもたらすリスクがあるということに、気づいておかないといけない。菊澤先生は、本居宣長に関心をもった批評家の小林秀雄が晩年に繰り返し述べている「大和心(やまとごころ)」をもとに、マネジメントについて論じていますね。

【菊澤】そこに、不条理回避のヒントがあるのではないかと思っています。昔は、最新の科学的知識が中国から入ってきたため、科学的知識のことを「漢心(からごころ)」と言い、その反対語が「大和心」でした。それは、非科学的な価値判断に関わることであり、ある状況を見たときに、良いか悪いか、もし悪いとすれば、何をすべきか。ある人が悲しんでいる。それを無視することは良いかどうか。良くないなら、何をすべきか。まさにこれは人間としての誠実さ、真摯さに関わることであり、これを非科学的だと恐れるべきではないと小林秀雄は言っています。

『失敗の本質』と『組織の不条理』。どちらも大東亜戦争における日本軍の失敗を分析しているが、切り口が異なる。

つまり、小林秀雄の「大和心」は、業績や成果が高いかどうかという観点から科学的に従業員を評価するだけでなく、さらにそのうえで従業員が誠実かどうか、正しい行動を行おうとしているのかといった非科学的な点にも注意し、誠実な従業員を高く評価するマネジメントとしても解釈できます。

【佐藤】私が外交官時代、尊敬していた上司で、外務省の元欧亜局長だった東郷和彦さんという方がいます。お祖父様は東郷茂徳元外相、お父様は東郷文彦元外務事務次官で、駐米大使もされた方です。そんな東郷さんがお父様からこう問われたことがあるそうです。「世の中には4通りの外交官がいる。能力が高くて士気も高い外交官。能力が高くて士気の低い外交官。能力が低くて士気の高い外交官。能力が低くて士気も低い外交官。そのうちのどれが一番悪いと思うか」と。そのとき東郷さんは「能力が低くて士気も低い外交官だ」と答えた。すると、お父様は「そうではない。能力が低くて士気も低い者は何もしないから、邪魔にはならない。むしろ、能力が低くて士気の高いのが一番悪い」と言ったそうです。当時は反発したそうですが、仕事を重ねるうちにお父様のほうが正しいことがわかったと言っていました。

これは「能力」と「士気」を二項対立として立てたわけですが、もし「能力」と「忠誠心」で立てれば、おそらく一番危険なのは、「能力が高くて忠誠心の低い人」です。誠実な人をいかに評価するか。それが組織にとって重要だと言えるのではないでしょうか。

【菊澤】まさに企業も一緒でしょう。例えば、ビジネスでカネ儲けするのは非常にうまいけれど、不正をするかもしれないという部下は一番危険な人物です。利己的利益を追求する人たちばかりが増えると、いつかどこかで、正しいことを無視して効率性だけを追求する不条理に陥ってしまうでしょう。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本大使館勤務などを経て、作家に。『国家の罠』でデビュー、『自壊する帝国』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
 

菊澤研宗(きくざわ・けんしゅう)
慶應義塾大学教授
慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。防衛大学校教授などを経て現職。専門は組織の経済学、戦略の経済学、比較コーポレート・ガバナンス論。
 

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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優、慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授 菊澤 研宗 構成=國貞文隆 撮影=村上庄吾)