現在、アブダビやドバイで9店舗を展開するほど中東で受け入れられている「ヤマノテアトリエ」。開店当初は連日行列ができるほど人気に(写真:ヤマノテアトリエのインスタグラムより)

【2019年4月1日17時00分追記】初出時、ヤマノテアトリエの立ち上げ経緯に誤りがありましたので、改めて関係者に取材の上、内容を見直し、再配信します。関係者の皆さまにお詫びするとともに、引き続き正確な記事の配信を心がけます。

ドバイと聞いて何を想像するだろうか。ヤシの木の形をした人工島や、世界最大級のショッピングモールなど中東きってのリッチな国というイメージを持つ人も少なくないだろう。そんなドバイで快進撃を続けるベーカリーチェーンがある。しかも人気商品はあんパンやクリームパン、焼きそばパンといった日本風のパンだというから興味深い。

そのパン屋、「ヤマノテアトリエ」が1号店を出したのは2013年4月のこと。高級住宅街のアルサパにできたばかりのおしゃれなショッピングゾーンに出店した。その後も、ホテルや金融街、ショッピングモールなど、人が多く集まる場所に店を出し、現在アブダビの2店を含め、9店を展開するまでになった。

材料も日本から仕入れている

ドバイで日本風パン、というとなんとなく「なんちゃって」を連想するかもしれない。が、ヤマノテアトリエのパンは驚くほど本格的と評判だ。パンの種類も豊富でクロワッサンからメロンパン、あんパン、空揚げパンから焼きそばパンまで幅広い(ちなみに焼きそばパンの値段は、15アラブ首長国連邦(UAE)ディルハム=約450円となかなか高額)。


日本のベーカリーに並んでいるのとほぼ同じパンが並ぶヤマノテアトリエの店内。パンパンも(ヤマノテアトリエのインスタグラムより)

それもそのはず。そもそもヤマノテアトリエの技術は日本人から学んだもので、材料も日本から仕入れているのである。

立ち上げたのはドバイに住む1人の女性、創業者のハムダ・アルターニ氏である。同氏は、子どもの頃から、出張で来日する父と一緒に、日本を訪れた経験が何回もあった。その際、デパ地下のショーケースに並ぶ生ケーキの美しさに感動しており、いつしかドバイでもケーキ屋をやりたいと考えるようになっていた。

その夢に向けて動き出したのは、それから10年近く先のことだ。日本通の父親の知人である日本人男性の助けを借りながら、2007年ごろから日本人パティシエとともに、ケーキのデリバリーを主体としたビジネスを始めた。評判自体は悪くなかったが、ハムダ氏自身の結婚や出産などもあり、店舗を設けるまでにはならなかった。

転機が訪れたのは2011年。日本で東日本大震災が起きたことで、日本からケーキの原料が取り寄せにくくなってしまったのだ。「日本の柔らかいケーキを作るには、日本の粉と、日本の生クリーム、そして日本の卵が欠かせない。

が、震災以降、特に重要な生クリームが取り寄せられなくなってしまい、パン屋に転向することになった」と、当時の事情に詳しい前述の日本人男性は話す。が、ケーキ屋をともにやっていた日本人はいるものの、パンについては全員素人。

そこで、サガミパン工房ブンブンの代表である地主将人氏に指導を仰ぎ、同氏が開発したレシピに基づいてヤマノテアトリエを立ち上げ、ついに2013年4月4日、ヤマノテアトリエの1号店を出店。十分な準備期間と入念な場所選定が奏功し、店の前には行列ができるほどの人気店となった。その後、ドバイにはヨックモックやほかの日本のパン屋が出店していく。

コロッケパンのような総菜パンが好き

「当時、湾岸地域には日本のパン屋は一軒もありませんでした。UAEの人の多くは新しいもの好き。ヤマノテアトリエでは日本のように1日4回パンを焼いて、フレッシュな状態で出しているし、自分で好きなパンをトレーにのせるという日本式の購買方法も取り入れており、こういうスタイルがドバイでウケたのでは」と、ハムダ氏は成功の要因を振り返る。

同氏によると、「例えば日本人学校のそばある店舗は日本人でにぎわっているし、そのほかのアブダビおよびドバイの店舗は金融街のそばにあるのでヨーロッパの人がたくさん来る。が、主要顧客は地元の人です」という。「彼らはコロッケパンのような総菜パンが好き」。

品質へのこだわりも強い。目下、小麦粉は日本製を使っているほか、ほかの多くの素材も日本から仕入れている。また、日本人のパン職人を3人雇っており、日本のパン屋同様、閉店時には売れ残ったパンをすべてさげ、翌日には焼きたてのパンを並べる。「可能な限り日本のパン屋と同じにし、顧客に日本のパン屋の体験をドバイでしてもらいたい」(ハムダ氏)。


店内のインテリアにもハムダ氏のこだわりが随所に感じられる(写真:サトウ氏提供)

ハムダ氏が、店内にさりげなく桜を飾るなど、日本風の洗練されたインテリアを取り入れたこともドバイの人たちには新鮮だった。食材だけでなく、併設するカフェで使う食器も日本製を利用。日本発であることが、品質やおしゃれ感を保証するブランドイメージとして信頼されているという。

ドバイパン屋ビジネスは、規模がケタ違いだ。ヤマノテアトリエでは、クッキーなどの焼き菓子もラインナップに加えており、1000人規模の結婚式から数十人規模のホームパーティーまで、手土産用のクッキーの注文を受ける。サンドイッチをデリバリーすることも多い。しかも5年間で8店舗。ハムダ氏は大きな成功を手に入れたと言える。

将来的には日本進出も視野

現在34歳、3人の子どもを持つハムダ氏は「この成功はうれしい。なぜなら、私たちが、人々が愛して信頼する品質を提供できているということだから。そして、日本のパンパン職人の方の貢献により、私たちは新鮮で品質が高い日本式パン屋を中東で展開することができました。東京は私に大きなインスピレーションをくれました」と喜ぶ。今後の夢は大きく、「5年後をメドに日本にもヤマノテアトリエの店舗を出したい」と意気込む。

ヤマノテアトリエとハムダ氏の躍進を多くの人が喜んでいるが、その1人がヤマノテアトリエの前身ともいえる、ケーキ屋の立ち上げ時にパティシエを紹介するなどしたサトウ幸枝氏である。もともと銀行員や秘書、客室乗務員などをしていたが、いつしか中東でビジネスを展開したいと考えるようになり、前述の日本人男性とハムダ氏の父親を通じてハムダ氏と知り合った。

サトウ氏自身も中東でのスイーツ事業に可能性を感じており、製菓学校にも通い、ケーキの作り方を学んだ。そのうえで、有給休暇を利用してドバイへ飛んでは、可能性を探り始めた。時間をかけて中東について学び、現地へ通ったり、中東からの来日客をもてなすために、着物を着て東京の観光案内をしたり。ドバイのスーパーで日本の果物を紹介する、料理教室を開くといった仕事も舞い込んだ。宣伝を兼ねて現地のテレビ番組に出演したこともある。

ハムダ氏と事業を展開するには至らなかったが、何人ものドバイの人たちと会い、現地へ通って得た手応えから「向こうの人は、組織の名前よりも、相手の個人としての行動や信用を重視する。人の紹介を大切にする。日本人と似て、正直で人を信用する」と話す。先入観にとらわれず、目の前にいる人、体験した町の雰囲気から感じ取れる印象を大切にしたのだ。

ヤマノテアトリエの成功についても、「ドバイは世界のショールーム。パン屋もたくさんありますが、それはメゾンカイザーなどのヨーロッパ系のものが中心でした。日本の柔らかくてしっとりした、フレッシュなパンは初めて。甘すぎずヘルシーなイメージや、セルフサービスで、トレーでパンを選ぶ日本式もウケている。向こうの人が欲しいのは世界のナンバーワンなので、日本製への信頼は高い」と喜んでいる。

「中東には石油や商社でこわもてのビジネスマンがいるイメージが強いですが、実は生活に密着した食やファッション、コスメなどの潜在需要は大きい」

世界で注目される日本スタイルのパン

ところで、ハムダ氏らが成功させた日本スタイルのパンは今、世界から注目されている。実際、ヤマノテアトリエの名は近隣国にもとどろいており、サウジアラビア西部に住む日本人女性は「この辺では、ドバイに行くとお土産に買ってくるというパン屋さん。日本より値段が張るが、お土産にもらうとすごく嬉しい」と話す。


日本ではおなじみの食パンも、海外ではそのパッケージも含めてめずらしい(写真:ヤマノテアトリエのインスタグラムより)

日本スタイルのパンは明治の初め、銀座木村屋の創業者、木村安兵衛氏が、失業武士である自身と家族の生き残りをかけ、未知の文化のパンを受け入れてもらうために試行錯誤して編み出したあんパンが出発点にある。中に具材を包む、という発想を中心にクリームパンやカレーパンなどのバリエーションが広がり、世界でも類を見ない多彩なパンが生まれている。独自に発達した食文化に、世界が魅了されているのだ。

考えてみれば、パンに限らず最近、世界でウケている日本の食には、折衷食文化が多い。ラーメンは中国料理が日本化したもの。アジアやアメリカなどに日本のラーメンチェーン店を出店し、訪日客もラーメンを楽しむ。日本化したカレーライスも最近、CoCo壱番屋がイギリスに進出し、大塚食品がインドに進出した。南蛮貿易時代にポルトガルから入り、独自に発達したてんぷら、明治以降の肉食文化が生んだしゃぶしゃぶを好む欧米人も多い。

グローバル時代で世界の交流が活発になり、経済発展を続けて多様な食文化を受け入れる国や都市が増える中、日本の折衷食文化は、もしかすると大きな可能性を秘めているのかもしれない。