トロール(荒らし)や実況ポルノ、拒食症のピアサポートなど、 「自由」という糸でつながるネットの「闇(ダーク)」サイトの住人たち [橘玲の世界投資見聞録]

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 イギリスのジャーナリストで、シンクタンク「デモス(Demos)」のソーシャルメディア分析センター・ディレクターでもあるジェイミー・バートレットは、2007年から過激な社会的・政治的運動の研究を始め、ヨーロッパおよび北米地域のイスラム過激派の動きを追跡し、アルカイダのイデオロギーに共鳴した若者たちのネットワークを解明しようとした。だが2010年にこの研究を終えたとき、「世界は変わってしまったようだった」とバートレットはいう。陰謀論者、極右活動家からドラッグカルチャーまで、彼が遭遇したあらゆる新しい社会現象・政治現象がオンラインに移っていたからだ。

 こうしてバートレットは、ネットの「裏世界」に足を踏み入れることになる。そこで彼が発見したのは、「異なるルール、異なる行動様式、異なる登場人物のいる、パラレルワールド」だった。

 今回は、バートレットの『闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕』(CCCメディアハウス)に拠りながら、英語圏のネット世界の現状を見てみよう。そこから、インターネット黎明期にひとびとを魅了した「自由」がどのように変形したかが見えてくるはずだ。

ふつうのひとがオンライン上でトロールに変貌する

 1996年、アメリカのエッセイストでサイバーリバタリアンのジョン・ペリー・バーロウは「Declaration of the Cyberspace(サイバースペース独立宣言)」で、現実世界に向けてこう宣言した。

「財産、表現、身分、移動、文脈のような現実世界の法的概念は、私たちには通用しない……私たちの身分には肉体がない。したがって私たちは、現実世界のように物理的強制によって秩序を獲得することはできない」

 バーロウは、ネットの匿名性はひとびとが現実世界の固定された身分の拘束を脱ぎ捨てて、まったく新しい自己を創造することを可能にし、社会はより自由で開かれたものになると信じていた。

 しかしじつはその当時から、ネット(ニューズグループ)ではトロール(troll)と呼ばれる現象が問題になっていた。

 トロールは北欧神話に登場する洞窟などに棲む怪物で、「ハリーポッター」シリーズにも登場する。それが「荒らし」に転じたのは諸説あるが、feed the trolls(怪物に餌をやる)が、「“おかしな奴”をさらに刺激して炎上させる」になったからのようだ。

 心理学者のジョン・スラーは、ニューズグループやチャットルームでの参加者の言動を研究し、ふつうのひとがオンライン上でトロールに変貌することを発見して、2001年にこれを「オンライン脱抑制効果」と名づけた。

 ネットがトロール(怪物)を生み出す原因は、「スラーの6要因」としていまではよく知られている。

(1) 解離性匿名性(自分の行動が自分個人に帰されることはない)
(2) 不可視性(自分の顔は誰にもわからない。声で悟られることもない)
(3) 異時性(自分の行動はリアルタイムでは反映されない)
(4) 唯我論的摂取(自分には相手が見えない。相手の姿や意図は想像するしかない)
(5) 解離性想像力(これは現実の世界ではない。相手は本物の人間ではない)
(6) 権威の最小化(ここには権威を持つ者はいない。私は自由に行動できる)

 人間のコミュニケーションの65〜93%が、非言語的な顔の表情、声の抑揚、身体の動作などから構成される。

 以下は私見だが、進化論的にいうならば、私たちの脳は、こうした手がかりを無意識のキュー(きっかけ)にして、お互いをより深く理解し共感できるように「設計」されている。

 ネット上のコミュニケーションは、こうした手がかりをすべて排除して文字だけにしてしまう。すべてのヒトは何十万年もかけて進化した「話す」ための遺伝子を共有しているが、文字はわずか1万年ほど前に一部の地域で発明された。

 ディスレクシア(難読症)は、知能に異常がないにもかかわらず文字の読み書きが困難な学習障害だ。イギリスの起業家・冒険家でヴァージン・レコードやヴァージン・アトランティック航空を創業したリチャード・ブランソンがディスレクシアであることからもわかるように、きわめて高い知能を持っていても文章が読めないことがある。

 トム・クルーズ、キアヌ・リーブス、ジェニファー・アニストン、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイなどハリウッドスターにもディスレクシアは多い。これは、高い知能や能力を持っていながらも、文章が読めないことでホワイトカラーの仕事をあきらめざるを得ないひとたちが、芸能の世界に生きる道を求めるからかもしれない。

 ここから、「会話能力」と「読み書き能力」は関連しているものの、脳の異なる機能ではないかとの予想が成立する。相手の表情や口調、身ぶりを(無意識に)評価しながら、共感や反発しつつ会話を成立させる能力はすべてのひとが生得的に身につけているが、文字のみでコミュニケーションする能力には(生得的な)個人差がある。ネットのコミュニケーションは進化論的にきわめて「異常」な環境で、それに適応できないひとが「トロール」化するのではないだろうか。

 ちなみに、ディスレクシアは日本人(アジア系)には少なく、白人(ヨーロッパ系)に多い。アメリカの調査では、白人よりも黒人(アフリカ系)でディスレクシアの比率が高いこともわかっている。近刊の『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で、大陸系統(≒人種)によって異なる遺伝的特徴を持つようになった可能性を指摘したが、ディスレクシアの分布は「文字文明」の歴史に重なっている。

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