沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う、名護市辺野古沖の埋め立ての賛否を問う県民投票が、2月24日に行われる。現地で20年以上取材を続けるノンフィクションライターの古木杜恵氏は「2.5兆円をかけて辺野古に新基地を作っても、普天間が返還されるとは限らない」と指摘する――。
2019年1月31日、沖縄県民投票実施へ 辺野古移設の賛否問う(写真=小早川渉/アフロ)

■「辺野古移設が唯一の選択肢」の説明責任は果たされていない

辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う2月24日の「県民投票」が間近に迫った。

沖縄県と国の対立がこれほどまでに深まったのは、安倍政権の数々の「暴力」と「虚偽」、そして「沖縄ヘイト」によって新基地建設が強行されてきたからに他ならない。

日本政府は、米軍普天間飛行場(基地)の危険性を除去するためには「辺野古移設が唯一の選択肢」と繰り返し強調する。だがその説明責任は果たさず、県外から機動隊を導入して抗議の声をあげる市民を暴力で組み伏し、「土人」と蔑んだ。

虚偽の一例を挙げれば、仲井眞弘多元知事が辺野古の「埋め立てを承認」する事実上の前提条件の一つだった米軍普天間飛行場の「5年以内の運用停止」であろう。政府は2014年10月に「全力で取り組む」との答弁書を閣議決定した。

運用停止の期限は19年2月18日だったが、政府は「辺野古移設への協力が前提」として米側と公式な交渉も行わないまま、沖縄県に責任を転嫁。安倍晋三首相は、17年2月の衆院予算委員会で「残念ながら翁長雄志知事に協力していただいていない。難しい状況だ」として「埋め立て承認」の前提条件を反故にし、「協力いただけていない」という理由もあいまいなままである。

■「辺野古は代替施設か」「普天間は返還されるか」いずれもノー

そもそも辺野古新基地は、米軍普天間飛行場の代替施設なのか?

新基地が完成すれば、即時に同飛行場は返還されるのか?

結論から言えば、いずれもノーである。

稲田朋美防衛相(当時)は、17年6月の参院外交防衛委員会で「米側との具体的な協議やその内容に基づく調整が整わないことがあれば返還条件が整わず、普天間飛行場の返還がなされない」と初めて明言した。答弁の根拠は、日米両政府が13年4月に合意した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」で、同飛行場の「返還条件」として以下の8項目を列挙している。

(1)海兵隊飛行場関連施設等のキャンプ・シュワブへの移設
(2)海兵隊の航空部隊・司令部機能及び関連施設のキャンプ・シュワブへの移設
(3)普天間飛行場の能力の代替に関連する、航空自衛隊新田原基地及び築城基地の緊急時の使用のための施設整備は、必要に応じ実施
(4)普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善
(5)地元住民の生活の質を損じかねない交通渋滞及び関連する諸問題の発生の回避
(6)隣接する水域の必要な調整の実施
(7)施設の完全な運用上の能力の取得
(8)KC−130飛行隊による岩国飛行場の本拠地化

懸案となっているのは、(4)「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」である。

■条件が満たされないと普天間基地は返還されず、継続使用される

米国会計検査院(GAO)は、辺野古新基地の滑走路は1800メートルで「固定翼機の訓練や緊急時に対応できない」として民間施設12カ所を候補地に挙げ、そのうち1か所を沖縄県内としている。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/DarcyMaulsby)

稲田防衛相は沖縄県内の民間施設について言及を避けたが、米軍普天間飛行場(2800メートル)と同規模の滑走路を持つ県内の飛行場は、那覇空港(3000メートル)と現在建設中の第二滑走路(2700メートル)、そして宮古市の下地島空港(3000メートル)だけである。「緊急時における使用」であることを考えれば那覇空港しかない。

翁長前知事は17年7月の県議会で「(米軍には)那覇空港は絶対に使わせない」(『沖縄タイムス』同年7月6日付)と答弁した。

辺野古新基地が完成しても、これら8項目の条件が満たされない限り、米軍普天間飛行場は返還されず、継続使用される。

■翁長前知事による「埋め立て承認撤回」に道理はある

日米両政府が同飛行場に代わる新基地建設を正式に確認したのは、1999年12月のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の最終報告である。同報告は「危機の際に必要となる可能性のある代替施設の緊急時における使用について研究を行う」としているが、緊急時の民間施設の使用を返還条件としていない。

さらに現行の新基地建設計画を決めた2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ(行程表)」も「民間施設の緊急時における使用を改善するための所要」を「検討」するとしているだけである。

しかもなぜ「緊急時の民間施設の使用の改善」が返還条件になったのか、政府は沖縄県に一切説明をしていない。

「謝花喜一郎知事公室長は5日の県議会で、13年に当時の小野寺五典防衛相が来県し仲井真弘多知事に統合計画を説明した際『返還条件の説明はなかった』と指摘。これまで政府から詳細な説明はないとし、『大きな衝撃を持って受け止めている』と述べた」(『沖縄タイムス』17年7月6日付)。

「埋め立て承認」時に明らかにされていなかった事実が判明しただけでも、翁長前知事による「埋め立て承認撤回」に道理はある。

■政府が繰り返し述べる「基地負担軽減」はウソ

米軍普天間飛行場の返還問題は23年前に遡る。

地元紙・琉球新報社の社屋の壁面には「2.24 県民投票」の告知が(写真=古木杜恵)

1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに、戦後ずっと基地被害に耐えてきた沖縄県民の怒りが爆発し、米軍基地の返還を求める声が一気に高まり、日米両政府は翌96年に同飛行場の返還を合意した。

返還は、宜野湾市民はもとより県民の悲願だが、県内の別の場所に移転するのが条件であった。私たちはそのように理解してきた。だが、本当にそうなのか?

沖縄返還密約の一部を暴き、機密漏洩に問われた元毎日新聞政治部記者・西山太吉が監修した『検証 米秘密指定報告書「ケーススタディ沖縄返還」』(土江真樹子訳・高嶺朝一協力/岩波書店/2018年刊)は、「辺野古新基地建設は、決して普天間撤去から派生したものではない」と指摘する。その一文を以下に引用する。

すでに、私が、『沖縄密約――「情報犯罪」と日米同盟』(岩波新書、二〇〇七年)でもとり上げたように、米国政府は、一九六六年、つまり沖縄返還(一九七二年)の数年前に「大浦湾プロジェクト」という辺野古総合基地建設の青写真を策定していた。この計画は、現在のキャンプ・シュワブの周辺の広大な水域を埋め立て(約九四五エーカー)、たんなる海兵隊の飛行基地にとどまらず、大浦湾が沖縄で唯一の深海湾(水深三〇m)であることを利用して、海軍の桟橋建設をも構想するという総合的機能を持つ巨大基地であった。(中略)この計画は、ベトナム戦争の泥沼化にともなう米国の財政の悪化なよって見送られたが、一つには、すでに、沖縄返還問題が徐々に日程にのぼり、返還後は、日本政府の協力を求めることができるのではないかとの期待感が出てきたからだとも言われている。

■日本に2.5兆円かけて「辺野古」を作りアメリカに無償提供?

そして今、日本政府は建設費も維持費も負担する辺野古新基地建設を強行し、米国に無償でしかも永久に提供しようとしているのである。

政府は沖縄の基地負担軽減につながる「代替施設建設」と繰り返し強調するが、米軍普天間飛行場にない強襲揚陸艦が接岸可能な護岸や弾薬庫エリアなどを整備することから、沖縄県内では基地機能を強化した「新基地建設」と呼ばれる。

さらに埋め立て予定海域にマヨネーズのような軟弱地盤が広がることなどから、国は砂の杭約6万本を水深70メートルまで打ち込む工事を検討している。

沖縄県は工期について、埋め立て工事に5年、軟弱地盤の改良工事に5年、埋め立て後の施設整備に3年の計13年を要すると指摘。また工事費用についても、防衛省が資金計画書で示していた埋め立て工事全体の2400億円の10倍に当たる2兆5500億円に膨らむとの独自の試算を示し、新基地建設は「一日も早い米軍普天間飛行場の危険除去につながらない」としている。

菅義偉官房長官は2月14日の記者会見で、県民投票の結果にかかわらず、辺野古新基地建設を進める方針を明らかにした。

普天間返還合意(危険性の除去)は、60年代から米軍の悲願であった普天間に代わる基地を日本の予算で造らせようというのが狙いではなかったのかとの疑念は払拭できない。(文中敬称略)

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古木杜恵 ふるき・もりえ
1948年生まれ。ノンフィクションライター。月刊誌『Weeks』(NHK出版)スタッフライター、隔週刊誌『ダカーポ』(マガジンハウス)特約記者を経て、月刊誌『世界』(岩波書店)などにルポルタージュを寄稿。編著にNHK沖縄放送局編『“隣人”の素顔 フェンスの内側から見た米軍基地』、吉本隆明の語り下ろし『老いの流儀』(いずれもNHK出版)、著書に『沖縄 本土メディアが伝えない真実』(イースト新書)などがある。

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(ノンフィクションライター 古木 杜恵 写真=小早川渉/アフロ、iStock.com)