東京都美術館で、江戸時代の奇想画家8人を一挙に紹介する企画展「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」がスタートした。有名画家、人気画家に焦点を当てた美術展は数多くあるが、奇想画家というカテゴリ自体に焦点をあて、同時代に活躍した絵描きたちの個性を浮き彫りにする美術展はめずらしい。本記事では、異色ともいえるこの美術展の魅力と楽しみ方の一端を紹介してみたい。

記事の最後には、読者プレゼントとして同展の展覧会チケット(抽選で5組10名様)もご用意したので、こちらもぜひ応募してみて欲しい。

2019年2月18日
(取材・文/編集部)

「奇想の系譜」とは「奇想の系譜」とは、雑誌『美術手帖』に1968年7月号〜12月号にかけて連載された記事群、もしくはそれに加筆して単行本化された書籍のこと。美術展に一冊の本の名前が冠されたのは、日本国内ではおそらく初めてだろう。

奇想の系譜に登場するのは、いずれもアカデミックな美術史においては傍流・異端と見られてきた画家ばかりであり、誰もが知る存在というわけではない。しかし皆が“すこしばかりはみ出し”ているからこそ、その強烈なインパクトが一瞬で目に焼き付いて、忘れられない ―― そんな画家と作品ばかりである。

また、この本は近年の「若冲ブーム」の発端ともなった一冊だ。今でこそ、若冲の名は広く知られるようになったが、『奇想の系譜』が刊行された1970年当時に、その名を知っていたのは一部の研究者のみ。『奇想の系譜』がきっかけとなり、伊藤若冲をはじめとする傍流画家たちの研究が進んだ結果、近年の若冲ブーム、ひいては日本美術ブームにつながっていったのである。

それでは、会場内の様子を少しだけ覗いてみよう。

毒と狂気に満ちた奇才「曽我蕭白(そがしょうはく)」蕭白の絵を見て、素直に美しいと感じる人は少ないだろう。江戸時代の人々もそれは同じだったらしく、あまりの奇才ぶりになかなか絵の注文が取れなかったと言い伝えられている。蕭白は、漢画を学び中国の仙人や聖人といった伝説的な故事を中心に描いた画家だが、その表現は伝統とは程遠く、けばけばしい着色とサイケデリックな画面、見るものの神経を逆なでするかのような不協和音に満ちている。

仙人たちは不気味な笑顔を浮かべ、雄々しくあるべき獅子や虎たちは、なんだか情けない顔をしている。彩色も毒々しい「赤」と「青」を多用し、まるで醜さを見せつけているかのようだ。


曽我蕭白《雪山童子図(せっせんどうじず)》 169.8×124.8cm
明和元年(1764)頃/三重・継松寺所蔵/通期展示


曽我蕭白《唐獅子図(からじしず)》 各224.6×246.0cm
明和元年(1764)頃/三重・朝田寺所蔵/展示期間:2月9日〜3月10日

さらに驚くのが、これらの絵画に垣間見える彼のエピソードである。蕭白は20代後半に、室町時代の曽我派の祖“蛇足”の直系にあると自称して勝手に曽我姓を名乗っている。本展にも展示されている「群仙図屛風(ぐんせんずびょうぶ)」(文化庁所蔵/展示期間:3月12日〜4月7日)には、しっかりとその旨が書き記されているのだが、血縁関係は一切なかったようだ。

そして「仙人図屛風(せんにんずびょうぶ)」(個人蔵/通期展示)の画面右上の隅にある落款には、こうも書かれている。「明の国の太祖である朱子国瑞の玄孫の朱文曽我氏十二世の孫である蛇足軒蕭白道人が描く」。なんと明の皇帝の末裔を名乗っているのである。この種の名乗りは作品によってまちまちであり、もちろんすべてが事実ではないことは、当時の人たちも承知していたことだろう。同時代の画家たちや権威へのアンチテーゼであったとみる研究者も多い。

奇想の起爆剤「白隠慧鶴(はくいんえかく)」そもそも白隠慧鶴は画家ではない。生涯に渡って1万点以上もの書画を民衆に描き与えたという禅僧である。下書きの線を消すこともなく、一気呵成に描いた線には職業画家ではなし得ない大胆さがあり、その大胆な画風は、蕭白、芦雪、若冲など18世紀京都画壇の画家たちに大きな影響を与えたと言われている。

赤と黒の強烈なコントラストで描かれた縦2メートル近い「達磨図」は、2016年に東京都国立博物館で開催された「禅―心をかたちに」展において、雪舟筆「慧可断臂図(えかだんぴず)」とともにメイン・ビジュアルに採用されたので、見覚えがある人もいるだろう。


白隠慧鶴《達磨図》 192.0×112.0cm
大分・萬壽寺所蔵/通期展示

仏の教えを伝える手段として描かれた書画の数々は、絵に込められた“意味”を読み解くのも楽しみ方の一つである。たとえば「すたすた坊主」と名づけられた一枚では、相撲取りのような恰好をした布袋が右手に笹、左手に手桶を持ってすたすたと駆けている。画面右側には「布袋/どらを/ぶち/すたすた坊主/なる所」の文字。

すたすた坊主とは、家々を回って物乞いをした下層の宗教者のことであり、「どらをぶつ」とは道楽にふけって放蕩することを言う。つまり本図に込められているのは、道楽が過ぎると乞食坊主に落ちぶれてしまうぞという教訓なのである。

お堅い説法ではなく、ユーモラスで軽妙な題材の中で教えを説いた作品の数々には、白隠の人々に対する温かいまなざしと、共にありたいという願いがにじみ出ているかのようである。前述の曽我蕭白とはまさに対照的だ。


白隠慧鶴《すたすた坊主図》 52.7×93.9cm
早稲田大学 曾津八一記念博物館所蔵/展示期間:2月9日〜3月10日

ブームの火付け役「伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)」若冲の代名詞と言えば、精密で異様なまでの迫力を称えた「鶏」の絵であろう。本展にもいくつかの鶏図が展示されている。最初期の作品と推定される「梔子雄鶏図(くちなしゆうけいず)」は、本展の準備過程で見出された初公開作品だ。

このとき若冲30代。最初期というわりには年嵩だと思われるだろうが、若冲の生い立ちを知ればなるほどと納得することができる。10代で弟子入りし、師の画風を学ぶのが一般的であった絵描きの世界において、若冲が画技に親しみ始めたのは33〜4歳頃なのである。

京都の青物問屋の長男として生まれた若冲は23歳の時に父を失い、若くして家督を相続した。商いに必死で絵の手習いなどする暇はなかっただろう。ようやく余裕が出てきて絵を描き始めたのが30代以降というわけだ。その後も40歳で弟に家督を譲るまで、ずっと2足のわらじを履き続け、画業に専念できたのは40代になってからであった。

庭に数十羽の鶏を飼い、生涯にわたって「鶏」を描き続けた若冲。本展ではこの最初期作から、晩年に制作された六曲一双の墨画「鶏図押絵貼屛風(とりずおしえばりびょうぶ)」まで、各年代の鶏図を見ることができる。


左:伊藤若冲《旭日雄鶏図(きょくじつゆうけいず)》 109.4×48.8cm
米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション/通期展示
右:伊藤若冲《梔子雄鶏図(くちなしゆうけいず)》 85.8×43.1cm
個人蔵/通期展示


伊藤若冲《鶏図押絵貼屛風》 各167.0×348.0cm
個人蔵/通期展示

「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」で見られる画家は、書籍『奇想の系譜』で紹介された、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた計8人。いずれも一筋縄ではいかない独特の世界観を繰り広げており、豊かな想像力、奇想天外な発想にみちた江戸絵画の魅力を堪能することができる。

本展を俯瞰してみたとき、もう一つ感じて欲しいのが、彼らが同じ時代を生きた画家たちであったということだ。そう思って見てみると、花鳥画の名手であった若冲が、彼にしては珍しい描法で描いた「達磨図」は、白隠が多く描いた達磨図に、もしくは蕭白の自由奔放な画風に感化されたものではなかっただろうか。

ほぼ同時期に描かれたという、若冲の「象と鯨図屛風」と、芦雪の「白象黒牛図屛風(はくぞうこくぎゅうずびょうぶ)」はテーマも、構図も、大屛風というアプローチも、偶然にしては似すぎてはいないだろうか。芦雪や其一がそれぞれの流派から若干逸脱しつつも精密な鳥獣画を描いたのは、どこかで若冲の絵を目にしたからではないだろうか。

そんな疑問が山ほど湧いてくるのである。


伊藤若冲 《象と鯨図屛風》 各159.4×354.0cm
寛政9年(1797)/滋賀・MIHO MUSEUM 所蔵/通期展示


長沢芦雪《白象黒牛図屛風》 各155.3×359.0cm
米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション/通期展示

読者プレゼント情報「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の展覧チケットを、抽選で5組10名様にプレゼントいたします。応募期間は2月26日(火)まで。応募方法は専用ページよりご確認ください。



「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」
期間:2019年2月9日(土)〜4月7日(日)
休室日:月曜日、2月12日(火)、ただし2月11日(月・祝)、4月1日(月)は開室
   ※会期中、展示替えあり
場所:東京都美術館(東京・上野)
問い合せ先:03-5777-8600(ハローダイヤル)