「アウトサイダーの逆襲!東南アジアからACLを狙う内田昂輔の挑戦記 vol.3」

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唐突な質問となるが、※内田(山崎)昂輔というプロサッカープレーヤーのことをご存じだろうか。

彼のプロキャリアは立命館大学卒業の大分トリニータでスタートしたが、2シーズンで契約満了となり、(当時JFL)FC琉球を経て、モンテネグロのFKグルバリで海外挑戦。以降も様々な国を渡り歩き、現在はミャンマーリーグのヤンゴン・ユナイテッドでプレーしている。

この記事が配信される12日夜にはACLプレーオフ二回戦(タイのチェンライ・ユナイテッドとの対戦)が行われ、この試合に勝利すれば、次戦で挑むのはサンフレッチェ広島だ。

本選出場を掛け、昨季Jリーグ2位のクラブと日本人選手が在籍するクラブが対峙…ファンならずとも注目すべき一戦と言えるだろう。

これまでの彼の道のりは決して順風満帆なものではなかったかもしれないが、目標と真摯に向き合い、そして確実に歩を進める彼の生き様から何かを感じ取って頂けると幸いだ。

インタビュー・文:カレン

写真提供:内田昂輔

※なお、現役中に登録姓名を内田から山崎に変更しているが、今回のインタビュー内では内田としている。

前回までのインタビューはこちらから

vol.1

vol.2

カレン(以下、太字――):プロに入った後にこれまでと違うポジションでプレーすることは、サッカー選手では日常茶飯事だとは思いますが、これまで経験のないポジションでのプレーに苦戦はしなかったのですか?

内田昂輔(以下、省略)「見え方の違い」は感じましたね。

ビルドアップの時も景色が違いますし。当時は韓国人のCBと組むことが多かったんですが、彼は「行くぞ、パス出すぞー」って構えから僕に素直にパスを出してくるんです(笑)

それでは相手にモロバレなわけで、当然、相手も僕を狙ってくる。「どうしよう、これは地獄だ…」と悩みましたね(笑)

逆にキクさん(菊地直哉)、藤田ヨシくん(藤田義明)なんかは、ハマりそうだったら、フェイントで相手を外したりしてくれるので優しかったです。

━━サイドバックというポジションに手応えを感じ始めたのは?

どうでしょう…。始めはサイドハーフで試合に出られるようになったので、徐々にですかね。

でも、すぐに足首をやってしまったんです。内側も外側も同時にやってしまって、そこからはなかなか大変でした。負傷後も歩けないことを誤魔化していたんですが…。

━━いわゆる「騙し騙し」でのプレーに?

はい。毎試合注射を打ってもらってました。

ただ、シーズンが終わった時に限界が来て、ジョギングするだけでも違和感が出始めたんです。それで手術を決断し、次のシーズンは棒に振りました。

━━ギリギリまで辛抱したことについて、今振り返るといかがでしょう?

難しい所ですが、やっぱり、試合に使ってもらい続けるにはそれしかなかったんですよね。

結局、二年で契約満了という形にはなりましたが、一年目で試合に出られなかった可能性もあったので。

まぁ、本当に有望な選手であれば、怪我をしていても契約更新はしてくれるものなので、最終的には僕のレベルが信頼に足らなかったんだと思います。

━━その時の気持ちの整理はどのように?

これがきっかけとなり、「外国でプレーしたい」という気持ちが固まりました。

ただ、まだ怪我の影響でまだ本調子ではなかったので、まずは日本でということで(当時JFL)FC琉球に入団しました。Jリーグ経験者のベテランの方も多くて、自分のためにも良い環境かなと感じたんです。

後、実は「沖縄は暖かいので足首にもいいかな」という期待もしていたんですが、これは逆効果でした。足首をかばい過ぎたことでグロインペインも発症したりと、きついシーズンになっちゃいましたね(笑)

海外に出てからは怪我で休むようなことはなくなったので、当時を振り返ると、何であんなに怪我が多かったんだろうと不思議に思うんですが…。

━━そして、2013年から海外挑戦が始まります。初めての挑戦先はモンテネグロでしたね。

はい。サッカー選手を海外クラブに紹介する企業さんと繋がり、その協力の下で行くことができました。

━━しかし、あまり情報のないモンテネグロに行くことに不安はなかったのでしょうか?

いや、僕は誰も行ったことのないような国でやりたかったんですよ(笑)もちろん、「どこやねん」とはなりましたが、楽しみのほうが強かったですね。

当時はトライアルに日本人選手が何人か参加して、そこから選定されるような流れでしたが、僕としてはそういうのではなく「最初から一人で行ってみたかった」というのが本音です(笑)

━━実際に行ってみてからはどのような流れに?

最初、一部の強いクラブにサイドバックとして練習参加して、一定の評価は得られましたが、そこは入団には至らず。で、その次に行ったFKグルバリと契約しました。

でも、この契約が謎で…契約したもののシーズンが始まる前の段階で何故か監督から干されたんです(笑)

ずっとスタメンで使われて契約の話まで行ったのに、途中から練習試合にすら呼ばれなくなるという展開(笑)

で、「これはまずいな…」と感じて、サインする直前にレンタル移籍の話を進めてもらって、二部のFKボケリにレンタルで加入することになりました。

━━モンテネグロはA代表のトップクラスは技術的に高い選手も揃っていますが、やはり、国内の二部リーグとなると、フィジカル重視のサッカースタイルでしたか?

仰る通り、ガツガツなサッカーでしたね(笑)

何人か上手い選手はいるんですが、190cmオーバーの選手がゴロゴロいて、至る所でフィジカルバトル。気付いたら、デカい選手を見ることにも慣れてました(笑)

ただ、レンタル先のチームでは急に「トップ下をやれ」と言われたので、空中戦でミスマッチが起こる回数は少なかったですね。

保有元では左サイドハーフという扱いだったものの、「トップ下でのプレー」は頭になかったので、その起用法自体には「おぉー!?」となりましたが(笑)

━━トップ下でのプレーはどうでした?

実は大分でもプロ初先発はトップ下だったんです。

いきなり、ファンボ(・カン)監督が3バックにシステムチェンジして、「2トップの分まで守備をしろ」的な役割での起用でした。すぐに先制されて4バックに戻したので、そこからは左サイドハーフでしたけどね。

なので、トップ下のイメージはなんとなくあり、そこまで苦にはなりませんでした。

後、僕の立場的に細かいことは言ってられない。試合に出続けるためには、どんな形であれ、結果を残すしかなかったので、「トップ下でも頑張る」という思いでやってましたね。

━━「東欧のクラブあるある」ですが、給料の遅延は経験されましたか?

もちろん、ありました。給料の遅延はずっとで、最後の一か月は未払いでした(笑)

僕らは一部との入れ替え戦まで進み、最初の試合に勝利したんですが、二戦目を落として昇格を果たせなかったんです。そうしたら、「昇格できなかったから、おまえらの給与はない」とクラブから言われました(笑)

今思えばあり得ない話なので、もっとクラブに反論するべきだったと思うんですが、当時の僕は無知だったので「まぁ、上がれなかったし、しょうがないか…」という心境でした(笑)

選手の皆と練習をボイコットしたりはしましたけどね(笑)

━━そこからオーストリアに身を移しました。

この移籍でも色々な経験を積みました(笑)

また、前述の企業さんから「オーストリアに紹介できそうなチームがあるよ」とお話を頂いたので、モンテネグロから一緒にいるタケ(伊藤健史)と行くことにしたんですが、まず行くまでが困難でした。

モンテネグロからオーストリアに行くには、クロアチアを通る必要があったんですが、行く時に連絡が取れなくなってしまったんですよね。

そして、クロアチアのザグレブに到着したところでようやく連絡が入り、「オーストリアの国境に案内する人間がいる」と言われたんですが、国境に到着しても誰もいないんです。

「国境は歩いて通過してもいいの?」とかいう知識レベルの僕らにしては、ただ不安でしたね(笑)

で、そこで4時間ぐらい待っていたら、ようやく案内してくれそうな人がやって来て、とりあえず、言われるがまま車に乗り込みました。

「この人は誰なんだ…」っていう感じでしたが、実はこの人が、後に僕らが加入するオーストリア四部のドイチュランツベルガーSCの監督をしている人でした(笑)

━━予想外の人に救われたんですね(笑)

ただ、まさか自分が四部リーグでプレーすることになるとは思ってませんでした。というのも、その監督のクラブで練習させてもらい、そこから二部のクラブのテストに行くような話を聞いていたんです。

でも、いざ蓋を開けてみると、「いや、移籍マーケットは既に閉まっているよ」との話(笑)

「え、うそやん!」って感じでしたが、まぁ、今振り返ってみると、自分たちが無知過ぎましたね…。調べればわかることですから。

という流れで、オーストリアの四部で拾ってもらってプレーすることになりました。

元々は半年間プレーするつもりだったんですが、家庭の問題もあって、急遽日本に帰国することになり、結局、オーストリアは三か月だけのプレーでした。

━━それで、経歴を見ると、次の所属が京都紫光サッカークラブとなっているわけですね。その後、すぐに日本を離れてアジアが主戦場となりますが。

そうですね。帰国したタイミングで、次の移籍先にアジアを考えるようにしました。

それまではお金のことを考えることなく海外でプレーしてきましたが、それなりに考えなくてはならない状況になったので、「どこの国がいいか」の情報収集から始めました。

ただ、当時の僕はどうやってパイプを作っていくのかもわからなかったので、様々な人の伝手を頼りにしましたね。日本でお世話になっていた方からベトナムのダナンを紹介して頂き、実際に現地にも行きました。

ところが行ってみたものの、クラブは僕のことを全然把握していなかったみたいで、「誰だ、こいつは?」みたいな扱いを受けたんですけどね(笑)

なので、一人だけ練習着を貸してもらえなかった状態だったんですが、なんとか紅白戦に出させてもらったらそのプレーを評価されて、クラブから「すぐに荷物をまとめて来い」と褒めてもらって、ホテルの手配までしてくれました。さらに夕食も案内してくれたりで、今までにない経験だったので「アジアでは外国人選手ってこんなに待遇いいんだ」と衝撃を受けましたね(笑)

でも、そんな「おもてなし」を受けたにもかかわらず、実はクラブは僕をプロ選手として獲る気がなかったんですよね…。現地でブラジル人選手を連れてきた方から聞いたんですが…。

本当のことはわかりませんが、今となっては、自分の中途半端な意思表示のせいで紹介してくれた人にも迷惑を掛けてしまったなと思っています。

━━それで結局、ベトナムへの移籍の可能性はなくなったと。

そうですね。それからはそのブラジル人を連れてきた方を頼りにして、タイへの移籍を目指しました。

結局、タイではあるクラブと良い所までは行ったんですが、結局、契約には至らずで、また振り出しに戻りました。

━━その後はブラジルにも行ったようですね。

「ブラジルのクラブを知っている」という日系ブラジル人の方を紹介してもらって、そこから話が進んだんです。

タイを中心に移籍先としてアジアを考えていましたが、「ブラジルでサッカーができるのであれば、お金が下がっても、ステップアップになるし、移籍候補としてはいいな」と考えました。

でも、これがまた上手くいかなかった…。現地で日系ブラジル人の方がパートナーのブラジル人に騙されていたんです。

自分でブラジル人のエージェントと話をして気付いたんですが、ちょくちょくその人がお金を要求してくるようになったんですよ。

実際にブラジルのクラブに行ってみても、クラブはその紹介してくれた人のことを全く知らないようで…。クラブの好意でユースチーム用の大部屋を使わせてもらったんですが、しばらくは「どこかブラジルのクラブに入れないかな」と色々と自力でも探しましたね。

でも、見つからないまま、三か月のビザ期限が近づいて…。

━━それからはどのように動いたんでしょうか?

まず、ここで考えが大きく変わりました。

自分の知識不足もそうですが、ベトナムしかり、ブラジルしかり、「やはり、誰かに頼っているだけではダメだな」と感じていましたが、「エージェントや周りの人に任せきりになるのではなく、成功、失敗含めて行動と選択の全ての責任を自分で持たないといけない」と強く思うようになったんです。

それで自分のプレゼン資料を世界中のクラブに直接送るというスタイルを始めました。

━━ここまでの経験が動き方を変えたんですね。

その次の移籍先となるラオスも、世界中でプレーされてきた伊藤壇さんがTwitterで「ラオスのチームがアジア人を探しているよ」とツイートしているのを見かけて、「じゃあ、連絡してみよう」と動いたことによるものでした。

Facebook上でそのラオスのチームとやり取りをしていったら興味を持ってもらえて、「テストに受かったらブラジルからの飛行機代もチームが出すよ」と言ってもらえたんです。そして、最終的に契約も掴みました。

━━これまでには考えられないほどのスピード感ですね。

そこで改めて「自分で動かないといけない」と感じましたね。

それまではサッカーの中のことだけ考えて、それこそ移籍の仕組みとかも全然わからなかったんですが、結果的に色々なトラブルを経験して、良かったと思います。

━━最近は自分で動く選手も増えてきましたよね。「誰かに頼るぐらいなら自分で調べて動こう」みたいな考えを持っている。

そういう動きが選手もしやすくなっていっていると思います。

僕がアジアへの移籍を考えていた頃は情報すらも手に入らなくて、ダンさんの「道場破り」ぐらいしか話題に出なかったですからね(笑)

その点、今は非常に選手も動きやすくなったと思います。Facebook上で人脈は広がっていきます。「最近、このエージェントと知り合ったけど、別のエージェントの知り合いだった」とかが起こるような意外と狭い世界なんですが(笑)

自分の場合は、ラオスに行くタイミングでなるべく代理人を介さずに自力で話を進めていく方法に挑戦しましたが、けっこう海外ではそういう選手も多く、自分でプレゼン動画を作ってクラブに送るような選手もいますよ。

結果的にこの方法を使ってラオスでチームを探すことができましたが、クラブとの契約交渉なんかも駆け引きを楽しみながらやれましたし、面白い経験ができました。

まぁ、当時あのクラブは僕が在籍している間だけで、5、60人の選手が入れ替わるぐらい特殊な状況だったので、もしかしたら、入り易かったのかもしれませんが(笑)

━━俗に言う、「オーナーの気分で方針が変わるクラブ」というやつですね(笑)

そうです、そうです(笑)

ただ、僕の場合は居心地は良かったですね。気に入ってもらえたのか、契約更新の話も頂き、結果的には一年半プレーしました。

━━東南アジアのクラブで複数シーズンに渡ってのプレーってすごいことなんじゃ?

たしかに言われてみると、そうかもしれません(笑)

「一部に上がった瞬間、全員クビ」みたいな謎のクラブが普通にいる地域ですからね(笑)