前線の4人のなかで最も出場時間が長かった堂安は、森保監督にとって使い勝っての良い選手だったのだろう。(C)AFC

写真拡大

 堂安律は力を示すことができなかった。日本代表がアジアカップで準優勝に終わり、彼は最も不甲斐ない思いをした選手のひとりだったのではないか。エースになれなかった。それは確かだ。
 
 だが、そもそも『エース』ではない、という気もする。
 
 今大会では、右サイドで堂安がボールを預けられ、相手と1対1で対峙するケースが多く見られた。これはアジアカップ以前、左サイドで中島翔哉がボールを受け取り、直面した状況に似ている。
 
 ところが、中島との違いは、そこで何も出来ず、ボールを失う場面が多かったこと。縦にドリブルで仕掛けても、抜き切れない。振り切れない。そんな場面が目立った。
 
 堂安は汎用性が高いプレーヤーだ。様々な状況に対応することができる。キープ力があり、ワンタッチコンビネーションが巧みで、逆サイドへの展開力もある。さらにドリブルで仕掛けたり、ミドルシュートを打ったり、守備も献身的に取り組む。
 

 狭いスペースでも、広いスペースでも、速攻でも、遅攻でも、あらゆる状況にフィットできる。プレーの幅が広い。そして言うまでもなく、左足ならではの独自性を右サイドで発揮できる利点もある。
 
 森保一監督にとっては、使い勝手の良い選手だったのではないか。実際に今回のアジアカップ、前線4人の中で最も長い時間、出場したのは堂安だった。サウジアラビア戦では76分に南野拓実を下げ、伊東純也が投入された際、堂安はトップ下に移っている。20才という若さだが、実はプレーの柔軟性は、先輩たちよりも高い。
 
 だが、そこで意地の悪い見方をするなら、どれも、それなり。だからこそ、仕掛けの場面では物足りなさが残ったとも言える。
 
 個人的には今大会、堂安の能力は、セーブされてしまったと感じる。彼が最も輝きを見せるのは、誰かの仕掛けに呼応してタイミング良く飛び出したり、意外性のあるスルーでコンビネーションを見せたり、相手の嫌がる場所へ強引に仕掛けたりすること。それはひと言で言えば、ひらめきであり、状況の隙間を突くセンスだ。
 
 たとえば、アタッキングサードにおける仕掛けを、1、2、3の段階に分けるなら、堂安が最も輝くのは、2か3。最初に仕掛ける選手ではない。味方や相手DFの変化を見ながら、味付け、仕上げを施すところに最も大きな個性がある。中島が左サイドでボールを持ち、相手の注意を引きつけたら、その隙に堂安が動き出す。そのタイミングとコース取りの絶妙さと言ったら。絶品だった。
 
 ところが、今回のアジアカップは、中島が負傷離脱。必然的に堂安がボールを預けられるようになった。特に大迫勇也を欠く試合では。しかし、堂安は中島のように、一本の槍で勝負するタイプではない。身体中に武器を仕込んで、状況に応じて使いこなすタイプ。本人は別の考えを持っているかもしれないが、私にはそう見える。そして中島という絶対的なボールの預けどころが無くなったために、堂安のプレーは幅が狭まり、それが状況の隙間を突くという、彼の持ち味を殺すことになったのではないか。
 

 もしかすると、中島の代わりに乾貴士を起用すれば、堂安の負担は減ったかもしれない。だが、森保監督は「融合」を掲げ、先を見据えた起用を優先してきた。そのしわ寄せが、いや、試練と言っておこう。堂安に伸し掛かった大会だった。
 
 この先も、同じような状況は山ほどあるはず。汎用性の高い堂安だけに、どれかひとつではなく、すべてをレベルアップさせたいところ。いつか『エース』としても、振る舞えるように。
 
 同時に、この大会で、現時点の堂安のすべてが評価できるとも思わない。組み合わせによっては、もっと真価を見せられたはずだ。私の堂安への評価と期待は、大会が始まる前も、終わった今も、変わっていない。引き続き、楽しみにしている。
 
文●清水英斗(サッカーライター)