これまで、多くの女優がヌードになっているが、40年代生まれの中でも鮮烈だったのは、『ウルトラセブン』(TBS系)のアンヌ隊員として、子供から大人にまで知られる女優となったひし美ゆり子(71)だろう。
 「外部に出さないことを約束し、個人的な記念のつもりで撮ったヌード写真が週刊誌に流出し、これをきっかけに全裸もいとわぬセクシー路線に走った。のちに成人映画や『新仁義なき戦い 組長の首』などでも美体を披露。キレイなお姉さんの“大人の裸”の見本のようなパンッと張り詰めたDカップ美乳こそ、生涯最高の裸体という60代男性も少なくないのではないでしょうか」(芸能記者)
 また、倍賞美津子(72)の’79年の出演作の映画『復讐するは我にあり』での爆乳ぶりもたまらなかった。
「混浴露天風呂で、三國連太郎に後ろから推定Gカップ乳を揉みまくられます。本気になった三国が、なんと賠償のアソコに指を突っ込んだという都市伝説もあるくらい、たまらんおっぱいでしたね。また、’87年には、『女衒ZEGEN』で、緒形拳と全裸で激しく絡んでいます」(同)
 由美かおるの出世作となった映画『同棲時代』の主題歌を歌った大信田礼子(70)は、同曲の作曲家・都倉俊一との離婚をきっかけに、日活ロマンポルノ『ジェラシー・ゲーム』に出演。かつて「ミス10代コンテスト世界大会優勝」を果たした美裸身を披露した。
「離婚の原因は、都倉のもとにレッスンを受けに来ていた山口百恵と都倉の行きすぎた歌唱指導の現場を目撃したことだという噂もありましたね」(同)
 現在、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)など、バラエティー番組で引っ張りだこのデヴィ夫人(78)は、’84年、『GORO』の創刊号でヌードを披露。さらに’93年、53歳にして突如としてお色気ハッスルの確変状態となり、ヌード写真集を発売した。
「さすがに肌の張りはなくなったものの、スカルノ大統領だけでなく、アラン・ドロンや津川雅彦も夢中になった日々を想像するに十分な美巨乳ぶりで、乳首は素肌に溶け込むような薄ピンクでした」(出版関係者)
 どんなヌードであっても、見せてくれたことが奇跡です。ヌードな美女たちに、改めて感謝と賞賛の拍手を送りたい。

 50年代生まれの美女たちが、まだ若手女優だった70〜80年代は、女優は脱いでこそ一人前といういい時代。主演級女優の多くが、その美しい体を世の中に晒してくれた。
 その中でも、70年代の若者たちの心と股間を強烈にジャストミートした1人が、’73年の映画『同棲時代』で鮮烈ヌードを見せた由美かおる(68)だろう。
「西野バレエ団で鍛えた美ボディーはツンと上向きの推定Dカップ。頂点で上品に佇むピンク色の乳首、プリンと引き締まったヒップも素晴らしかった。彼女は、同年の映画『しなの川』でもヌードを披露。お下げ髪の彼女の川での全裸シーンは、まるで妖精のようで、この世のものとは思えない美しさでしたね。また、翌年にSF映画『エスパイ』で見せたヌード&ダンスで70年代のセックスシンボルになりました。今もスタイルは変わっていないのが、すごい」(映画ライター)
 ’74年の映画『聖獣学園』でフルヌードになった多岐川裕美(67)も、妖しい眼差しと、むっちりボディーが放つただならぬ色気で、世の男性をエレクトさせた。
「修道院を舞台に、登場する修道女の多くがヌードになりますが、若い多岐川の白く輝くムチムチとした裸体は別格のエロさでした。トゲがあるバラのツルでグルグル巻きにされて拷問を受けるシーンでは、その間から推定Dカップの美乳がはみ出して、血に染まっていくのが興奮もの」(同)
 今や優しいお母さん役がピッタリの田中美佐子(59)も、’82年のデビュー作映画『ダイアモンドは傷つかない』では、出し惜しみ一切なしのヌードシーンが満載だった。