アジアカップの準々決勝から導入されるや、いきなりその威力を見せつけることになったVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)。2度にわたって発動された日本対ベトナム戦。そして、その翌日に観戦した韓国対カタールでも、韓国の同点ゴールが取り消しの憂き目に遭った。

 それはカタールが79分、MFアジス・ハティムのゴールで先制したその直後の出来事だった。韓国はイ・ヨンのクロスにファン・ウィジョが合わせ、カタールゴールを揺るがしたが、直ちに審議となった。

 現場で見たイメージでは、VARが入る前から何となく怪しかった。韓国の選手はウズベキスタン人の主審イルマトフさんに詰め寄るも、オフサイド臭さは当初から漂っていた。

 一方、日本戦で起きた2度のシーンには、最初から違和感を抱かなかった。吉田麻也のハンドは手に当たっていたとしてもゴールを認めたくなったし、反対に堂安律に対する相手のトリッピングは、相手のファウルを取らなくてもよかった気がした。

 しかし審議の間、記者席に備え付けのモニターに、いろんな角度から撮った映像が映し出され、詳細が明らかになると、判定が覆るのもやむを得ない気になった。

 この映像を見ることができれば、VARの判定に納得はいくだろう。お茶の間観戦者がそれに該当する。しかし、スタンド観戦者はどうだろう。VARは映像を通して試合を視聴するファンのための施策と言うべきだろう。

 判定の誤りに気付きやすいのはスタンドではなくお茶の間のファン。ネット社会なので、誤審はおのずと拡散される。

 ただ日本のテレビは、その辺りを曖昧にしてきた。「微妙ですね」の一言でお茶を濁そうとした。オフサイドか否かの微妙なシーンを外国のように、繰り返して流そうとしない。審判の判定に異常なほど従順な態度を示す。

 その反動だろう、ネットは元気だ。「微妙ですね」的な気質はない。悪く言えば陰湿。誤審は瞬く間に伝播する。審判は容赦なく叩かれる。

 VARは、Jリーグでも来季、ルヴァン杯などで導入されるとのことだが、世界はもっと先を進んでいる。スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イタリア、ブンデスリーガ等ですでに導入されているほか、より大きなエリアで開かれるチャンピオンズリーグでも、今季の決勝トーナメント以降、導入されることが決まっている。

 もはや、この波を止めることは不可能だ。

 これまでサッカーには、よい意味でなあなあな判定があった。あえて見逃す文化が、お約束として存在していた。たとえば、2-0でリードしている側が、ペナルティエリア内で反則を受けても、よほどあからさまな反則でない限り、流す傾向があった。PKを与えて3-0にしてはゲームが壊れてしまうからだ。

 片方にPKを取ったら、もう一方にもPKを取る。一方に赤紙を出したら、もう一方にも赤紙を出す。主審には90分の試合の中で、バランス感覚を働かせようとする傾向もあった。審判も人の子。一方に下した判定が微妙であればあるほどバランスを働かせようとした。まさに帳尻を合わせようとした。これも審判に与えられていた裁量になるが、VARが導入されればそうした演出家的な側面は剥奪される。

 PKか否かは時間やスコアに関係なく、その都度、判定されることになる。サッカー文化は変わることになる。大袈裟ではなくそう思う。

 ホーム&アウェー戦では、アウェーチームはPK1本分覚悟しろと言われたものだ。ホームタウンディシジョンというれっきとしたこのサッカー文化も失われようとしている。日本に浸透していないまさに異文化だった。

 クラブW杯の前身の大会として日本で長年開催されてきたトヨタカップは、インターコンチネンタルカップの後身の大会にあたる。そのホーム&アウェー戦が、主審のコントロールが不能なほど荒れた試合になったため、中立地帯である日本で行われることになったという経緯がある。

 インターコンチネンタルカップに出場した経験がある人物に話を聞けば、PK1本分は覚悟しろどころの話ではなかったらしい。主審が地元ファンの威圧に耐えかねて、正確なジャッジができなかったとのことだが、VARはそうした中にもどんどん入り込んでいく。

 映像を最大の拠り所にしてファンを黙らせる。地元ファンの圧力によって生まれるホームタウンディシジョンは、VARの広がりともに消え去る運命にあると考えられる。

 本来もっと議論があってしかるべき題材だと思うが、世界のサッカーはあっさり導入を認めた。ロシアW杯が終了と同時に、導入にどっと傾くことになった。ホームタウンディシジョンの文化がほとんどない日本が、本格的な導入までに時間を要す姿は、どこか皮肉的だ。

 大詰めを迎えているアジアカップ。その準決勝、決勝でVARが活躍する試合を見たいような見たくないような微妙な問題だが、世界の流れは明確だ。止めることはできない。世界中が一致して、VARやーめたという日が訪れるとは考えにくいのである。