これは難しい!バルセロナにいたアフリカ生まれの選手、12名全員わかる?
先日バルセロナに加入することが決定した元ガーナ代表MFケヴィン=プリンス・ボアテング。半年間のローンではあるが、買い取りオプションが付随している。
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— FC Barcelona (@FCBarcelona) 2019年1月22日
ボアテングはドイツ出身だが、バルセロナにはこれまでアフリカ出身の選手が12名所属していたそう。『footballghana』によるリストを見ていこう。
ウィルフリード・カプトゥム(カメルーン)
バルセロナ所属:2014〜2018年
サミュエル・エトー基金の支援を受け、12歳でバルセロナのユースに加入した俊英。2014年に18歳でBチームデビューを果たし、プロとしての活動をスタートさせたMFだ。
トップチームでは2015年12月のチャンピオンズリーグ、レヴァークーゼン戦で初出場。コパ・デル・レイではゴールも決めた。昨年バルセロナとの契約を解除し、ベティスのBチームに加入している。
ジャン=マリー・ドング(カメルーン)
バルセロナ所属:2011〜2016年
サミュエル・エトー基金の支援を受けた選手の一人で、2008年に13歳でバルセロナに加入したFWだ。Bチームでは長く主力として活躍を見せ、132試合に出場、29ゴールを決めている。
トップチームでは2013年末にコパ・デル・レイとチャンピオンズリーグでデビュー。その後リーグでも1試合に出場したが、2016年にサラゴサへ完全移籍した。現在は2部のルーゴに所属。
エドガル・イエ(ギニアビサウ)
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バルセロナ所属:2012〜2015年
2012年にスポルティング・リスボンの下部組織からバルセロナのBチームに加入したディフェンダー。ギニアビサウ生まれであるが、ポルトガルの各年代で選抜されてきた選手だ。
バルセロナでは2014年の12月にコパ・デル・レイで出場したが、リーガ・エスパニョーラでは1試合もプレーしていない。2015年に退団し、その後はビジャレアル、ベレネンセスを経て現在はリールに所属。
アレックス・ソング(カメルーン)
バルセロナ所属:2012〜2014年
アーセナルでヴェンゲル監督の下活躍したボランチ。カメルーン伝説のDFリゴベール・ソングの甥であることでも知られる。
バルセロナには2012年に加入したが、中盤ではなかなかレギュラーとは行かず、センターバックとしてもプレーした。39試合に出場したものの、あまりインパクトはないまま退団。現在はスイスのシオンに所属している。
セイドゥ・ケイタ(マリ)
バルセロナ所属:2008〜2012年
バルセロナでもっとも活躍したアフリカ人選手の一人と言える。しかもクラブの哲学を体現する中盤でプレーしたという点でも非常に大きな存在だ。
セビージャで1年プレーした後バルセロナに買い取られ、主にサブではあったものの119試合に出場、16ゴールを決めた。退団後は中国に渡ったが1年で欧州に戻り、バレンシアとローマに所属。最後にカタールでプレーし引退している。
ヤヤ・トゥレ(コートジボワール)
バルセロナ所属:2007〜2010年
コロ・トゥレの弟で、バルセロナに所属した初めてのコートジボワール人選手。グアルディオラ監督の下ではベンチが定位置になり、センターバックにも配置された。この確執は今でも続いている(代理人が毎回燃料を投下するからだが)。
とはいえバルセロナではそこそこのプレーを見せ、2010年にはマンチェスター・シティへ移籍し、プレミアリーグでも大活躍。ただ後にグアルディオラ監督と再会するという不運にも。
サミュエル・エトー(カメルーン)
バルセロナ所属:2004〜2009年
もちろんバルセロナのアフリカ人選手といえばエトー。レアル・マドリーでチャンスを得られずローン生活を過ごしたが、マジョルカで開花しバルセロナへやってきた。
ロナウジーニョらとともにフランク・ライカールト体制のバルセロナ黄金時代を支え、3年連続のアフリカ年間最優秀選手賞に輝いた。38歳になった現在はカタールSCに所属。
サミュエル・オクノウォ(ナイジェリア)
Era un jove talent al #PcFutbol però la realitat va superar a Samuel Okunowo @FCB #Barça pic.twitter.com/lYHGfQXqLm
— Kodro.cat (@KodroCat) 2018年10月25日
バルセロナ所属:1998〜2000年
ナイジェリアのシューティング・スターズというチームからバルセロナへやってきたサイドバック。14試合に出場したが、ベンフィカやバダホスへのローン移籍を経て退団した。
その後はイオニコス、ディナモ・ブカレスト、メタルルグ・ドネツクなど東欧でプレーしたがあまり活躍はできず。数年間の浪人期間を経て2012-13シーズンに母国で現役復帰したが、その1年を最後に引退している。
エマニュエル・アムニケ(ナイジェリア)
Finally, Tanzania Football Federation (TFF) has named former FC Barcelona and Nigeria national soccer player Emmanuel Amunike @OfficialAmunike to be head coach of the national soccer team Taifa Stars... https://t.co/T45EnR8Foc pic.twitter.com/nYet16Hhcd
— The Citizen Tanzania (@TheCitizenTZ) 2018年8月6日
バルセロナ所属:1996〜2000年
オールドファンにはおなじみのアムニケ。ナイジェリア代表が1994年W杯で旋風を巻き起こした際のメンバーで、スピード豊かなウイングとして知られた。
1996年にスポルティング・リスボンからバルセロナに加入し4シーズンプレーしたものの、深刻な膝の怪我に苦しめられ19試合の出場に留まった。現在はタンザニア代表監督。
ジェラルド・ミランダ(モーリタニア)
Born #OnThisDay in 1956, Gerardo Miranda. Made 145 league appearances for Barcelona from 1981-1988. pic.twitter.com/mhsW7KSe
— Barça OTD (@barcaotd) 2012年11月16日
バルセロナ所属:1981〜1988年
当時はフランス領だったモーリタニアで生まれ、カナリア諸島のラス・パルマスで育ったというスペイン代表DF。1981年にバルセロナと契約し、7シーズンに渡って右サイドバックを務めた。
1988年にクラブを震撼させたエスペリアの暴動によって退団した後は古巣ラス・パルマスに戻り、1990年に引退。カナリア諸島で今はセールスマンやツアーガイドをしているそう。
ペピート・ラモス(モロッコ)
'Pepito' Ramos. pic.twitter.com/GbgPDz8EDN
— Historia en azulgrana (@hist_azulgrana) 2018年12月26日
バルセロナ所属:1976〜1983年
モロッコのテトゥアン出身だが、少年時代にスペインへ渡ったサイドバック。エスパニョールで活躍を見せたあと、1976年にバルセロナへ。7シーズンで119試合に出場した。
1983年に退団した後はカルタヘナで一年プレーしたあと31歳で引退し、指導者に転身。現在はバルセロナのOB会などで仕事をしているようだ。
ホルヘ・アルベルト・メンドンサ(アンゴラ)
🎂 Hoy es el cumpleaños del exjugador del Barça, Jorge Alberto Mendonça. ¡Felicidades! pic.twitter.com/yv9RJLhReK
— FCB Jugadors (@FCBjugadors) 2016年9月19日
バルセロナ所属:1966〜1969年
アンゴラのルアンダで生まれたストライカー。ポルトガルで育ち、1958年から所属したアトレティコ・マドリーで大きな活躍を見せた選手だった。
その後バルセロナへと移籍し、2シーズンで33試合に出場、9ゴールを決めた。引退後はアフリカ人元スポーツ選手組合を設立し、国際的なスポーツイベントを管理する仕事をしてきた。