日本初、シワ改善美容液の開発に携わったポーラ化成工業の末延則子さんに話を聞いた(撮影:尾形文繁)

2017年1月1日。その年の化粧品市場を揺り動かすことになる1本の美容液がポーラから発売された。その名も「リンクルショット メディカル セラム」(以下、リンクルショット)。

日本初のシワを改善する美容液だ。シワ関連の化粧品については、従来「乾燥による小ジワを目立たなくする」といったように表現の範囲が限定されていた。だがリンクルショットは厚生労働省から医薬部外品(薬機法によって定められた化粧品と医薬品の間の製品)として承認を受けたことで「シワを改善する」と言い切ることができるようになった。

ポーラからリンクルショットが発売されると、資生堂も後を追うようにシワ改善クリームを発売。さらに2018年に入ってからはコーセーもシワ改善クリームを発売するなど、リンクルショットは化粧品業界の起爆剤となった。リンクルショットの売り上げは、発売からわずか1年の2017年12月までの累計で約130億円。シワ改善美容液を発売していない某大手化粧品メーカーの社員は「1つの商品で、短期間でここまで売上を出すのは難しい」と舌を巻く。

医薬品と化粧品の境目をなくす

リンクルショットの開発の中心人物となったのが、ポーラ化成工業の末延則子・取締役執行役員だ(以下、敬称略)。ポーラ化成工業は、ポーラ・オルビスホールディングスが販売する化粧品の研究開発と製造を担っている。末延が入社した当時、ポーラ化成工業では化粧品だけでなく、医薬品の研究開発も行っていた。

大学院で薬学研究科を修了した末延は、入社以来医薬品の開発に長く携わっていた。だが「2、3年に1回は研究テーマが変わる。これでは何も残らないのではないか」。当時の部長とやりあうことさえあった。

2002年、そんな末延に部長からあるミッションが言い渡された。それは「化粧品と医薬品を越える新しい何かを作る」というもの。早速医薬品と化粧品の開発者が呼び集められた。

だが、そもそも化粧品と医薬品の考え方は水と油。医薬品の開発期間は10〜15年、副作用と効果のバランスが求められる。一方で化粧品は長くて2〜3年。化粧品は毎日安心して使ってもらえることが第一だ。議論がかみ合わないこともあったが、言いたいことは何でも言い合える雰囲気だった、と末延は振り返る。

何回か話合いを重ねるうち、あるメンバーがこんなことを話し始めた。「アンチエイジングについてずっと研究していたけれど、いざ満足のいく商品を世の中に出そうとすると『シワが改善する』とは言えない。すごくもどかしい」。

実際にシワに関するマーケットを調べてみると、30代以上の人の70%がシワで悩んでいることに気がついた。末延たちはそこに勝機を見いだし、開発をスタートさせた。

末延たちがまず始めたのが、なぜシワができるのか、という原因を究明することだ。スライドガラスにシワのある皮膚とシワのない皮膚の一部を載せ、さまざまな抗体をかけて比較を行った。

地道に作業を重ねるうちに、スライドガラスの数は1000枚以上にも及んだ。当時シワに関する論文はたくさん出ていたが、「膨大にあるので何を信じていいかわからなかった。何が起こっているのか自分たちで調べないと確信が持てなかった」という。

批判の声も聞こえてきた

末延たちは1年半から2年近くスライドガラスとにらめっこし、ついに好中球(白血球の一種)が「エラスターゼ」と呼ばれる成分を過剰に放出することでシワが発生しているという原因を突きとめることができた。

だが今度は、その動きを抑制する成分を探し出さないといけない。植物エキスや食品添加物など約5400種類にも及ぶ成分を、ひたすら試していった。そこからようやく4つのアミノ酸誘導体から成る「ニールワン」と呼ばれる成分に行きついた。


末延さんは、ママさん研究者でもある。リンクルショット開発中に娘が誕生した(撮影:尾形文繁)

だが「ニールワン」は非常に不安定。通常医薬部外品の有効成分は3年間規定の量に保つ必要があるが、ニールワンにはそれが出来なかった。

リンクルショット開発に携わったメンバーは当初は5人だったが、この時20人くらいまでに膨れ上がっていた。

「世の中に出るかわからないのに、なぜ医薬部外品のシワ改善にこだわるのか。もっと短期的にできる化粧品開発のほうがよいのではないか」。メンバーの中から批判の声も聞こえてきた。

さらに開発期間が長期化することで、投資額もかさんでいった。末延は研究に関する投資がどれだけ回収できるのか、数字で説明できるよう財務諸表を勉強した。また共同開発するためにさまざまな会社と契約書を交わすこともあるため、契約書の読み方までも勉強した。なかなか進まない研究に、膨らむ投資――。

「苦しかったけれど、新しいことを身に付けるのはすごく楽しい。小学校で給食当番になって少しお姉さんやお兄さんになったような気分。自分ってすごいのではないか、そう思うと楽しかった」と末延は口にする。

「白斑事件」が起きてしまった

そんな中、ついに末延たちは「ニールワン」を溶かさない方法を発見した。糸口になったのは、研究企画部長の檜谷季宏がたまたまお昼のデザートに食べたチョコミントアイスだった。

「アイスクリームに入っているチョコチップのように溶けない形状にすればいい」。このひらめきが突破口へつながり、「リンクルショット」は完成へのゴールテープを切ろうとしていた。

だが、実はここから末延たちに最大の難関が立ちはだかることとなる。医薬部外品はPMDA(医薬品医療機器総合機構)の審査を経て厚生労働省の承認を得なければいけない。ところが「リンクルショット」は国内でも事例がなかったため、なかなか審査が進まなかった。

さらに2013年には追い打ちをかける事件が勃発。カネボウ化粧品の美白化粧品を使うと皮膚に白いまだら状のもようができる、「白斑事件」が起きたのだ。これでPMDAとの交渉もゼロベースに。末延はPMDAと会議があると聞けば、少しでも話しを聞いてもらおうと会議にかけつけた。

やりとりを粘り強く続けた結果、ついに2016年にリンクルショットはPMDAの審査を合格し厚生労働省の承認を得ることになる。ここに至るまで実に14年の月日が過ぎていた。


「リンクルショット」は宇宙をイメージしたデザイン。金色のふたは「まだ見ぬ星」を見つけたことをイメージ。箱はオレンジ色で、宇宙飛行士が地球から宇宙へ飛び立つときに着るオレンジスーツからヒントを得た(撮影:梅谷秀司)

「リンクルショットを開発していたとき、鈴木弘樹上席顧問が『こんな商品が世の中に出たら絶対販売員も喜ぶよ』と話してくれた。

いざ商品を発売したときに、鈴木上席顧問は真っ赤なネクタイをつけてすごく嬉しそうな顔をしていた。それを見て、あぁトップに支えられていたんだなぁと思った」

実はこの15年間、末延が携わっていたのは「リンクルショット」だけではない。2009年に「リンクルショット」の申請をしに行った帰り道、末延は真っ白な表紙の手帳を買った。「これからは美白だ!」末延たちは新規の美白有効成分の開発をスタートさせた。

ところが、美白の新規有効成分にも白斑事件の影が押し寄せる。末延は安全性を検証するために、開発途中の製品に関する研究会を行った。開発途中の医薬部外品で研究会を行うのは珍しいことだという。

末延たちは132人に1年間の連用試験を行い、皮膚科の先生たちにも1枚1枚写真もみてもらった。絶対に何かが起きてはいけない。安全性が確証できるエビデンスを得て、化粧品市場においては10年ぶりに新規の美白の有効成分として認められた。

次は宇宙向けの化粧品を開発

さらにポーラ・オルビスHD傘下のオルビスからは日本で初めて、肌への機能がある特定保健用食品(トクホ)を今年1月から発売している。この肌トクホも、リンクルショットや新規の美白有効成分と同時に開発されたものだ。末延は、「3冠を取ることができてすごくほっとしている。本当にメンバーに感謝している」と口にする。


末延則子(すえのぶ のりこ)/ポーラ化成工業取締役執行役員、ポーラ・オルビスホールディングス グループ研究・薬事センター担当執行役員。1966年兵庫県生まれ。1991年にポーラ化成工業に入社後、肌科学研究部長などを経て現職(撮影:尾形文繁)

そんな末延が次に目指しているのは宇宙だ。現在ポーラ・オルビスHDでは宇宙ビジネスアイディアコンテスト「S-Booster2018(エスブースター2018)」に参加している。

200件の応募の中から、ポーラ・オルビスからは肌データと衛生データを組み合わせた「美肌衛生予報」と、宇宙の中で快適にすごすための肌環境の研究の2つが最終候補に残った。

末延はポーラ・オルビスHDの研究統括組織であるマルチプルインテリジェンスリサーチセンターの所長としてこのプロジェクトにも参加している。

「宇宙って一見化粧品と関係なさそうだけれど、つないでみたらどんな新しいことができるのか。遠いところから接点を見つけてみたいと思った」

さまざまな化粧品を生み出す中で、末延が一貫して大切にしているのが消費者のインサイトの発見だ。「あぁこういう商品ほしかったのよね、って言ってもらえる化粧品を生み出していきたい。そういう商品を生み出すことで、人と人のつながりも生まれてくる。リンクルショットはそういうことも教えてくれた」。

日本初から宇宙の化粧品へ――。末延の挑戦はまだまだ続く。