普通のサラリーマンだった田村さんは、今や億を稼ぐ凄腕ビジネスマンに。結果が出やすい副業をいかにしてみつければいいのだろうか(筆者撮影)

会社の同僚と飲みにいくと「金欠だー、金がねぇー」が口癖になっていませんか。「上司の給料はこれくらい」などと、このまま会社にいたときの「自分の将来の給料」はおおよそ検討がつきます。その意味で「今年こそ現状を変えたい」と思っている人も少なくないと思います。

そこで、今回インタビューさせていただいたのは、元大手電機メーカー勤務の田村浩さんです。田村さんは「いい大学を出ていい会社に入れば生涯安泰」という神話を信じ、実践しましたが、現実はそう甘くはありませんでした。それでもさまざまな副業にチャレンジ。紆余曲折を経て、今では年間約2億円を稼ぎ「脱サラ」に成功しています。

サラリーマン時代の田村さんは「同僚と居酒屋でくだを巻き、疲弊した生活を送っていた、どこにでもいる普通のサラリーマンだった」と言いますが、なぜ2億円も稼ぐ人になれたのか。一方で田村さんは「無理に脱サラせずにサラリーマンのまま、一定程度副収入を得るやりかたもある」と言います。皆さんなら、どちらが「より近い」ですか? 早速お話を聞いてみましょう。

「田舎出身サラリーマン」の東京生活あるあるとは

鈴木:どうやったら、普通のサラリーマンでも経済的に余裕を持てるのでしょうか。

田村:私自身は会社に入るまで、いい大学に入って、いい会社に入れば、死ぬまで何不自由なく暮らせると信じていたのです。だから、頑張って勉強して福岡のある国立大学に入り、東京の有名大手電機メーカーに就職しました。ここまでは、親世代の価値観からしたら、「よくやった!」と拍手をもらえると思うんです。

ところが、東京暮らしが始まってから、現実を思い知らされました。東京で働く「田舎出身サラリーマンあるある」だと思いますが、東京はとにかく物価が高い。ラーメンは博多の2倍はするし、家賃は3倍くらいします(笑)。でも、大手企業に勤めていても、20代だと月の手取りは20万円ちょっとしかもらえません。福岡の田舎だったら20万ちょっとあれば余裕で暮らせるけど、東京ではギリギリの生活です。

田村:だから、同僚と飲みに行くと自然と愚痴っぽくなっていました。

鈴木:そこから抜け出したくて、副業を始めたんですね?

田村:それが、違うんです。当時、会社の同僚だった妻と付き合って3年目くらいで結婚しました。それで結婚式費用が300万円ほど必要になったのです。貯金がなかったので親が出してくれると言ってくれましたが、カッコ悪いので人生で初めて借金をしました。

その後、2人暮らしで賃貸マンションに住み始めましたが、ローンを組んだほうが安いし広くなるので、マンションを買いました。ここまでは、どこにでもある話だと思います。共働きだったので、生活はなんとかやっていけました。

そんなある日、妻の妊娠がわかりました。とてもうれしかったのと同時に、お金の心配が心をよぎりました。妻が仕事を辞めたことで、世帯年収が半分になりましたから。不安が現実になったことで、必死で副業を探しましたんです。

アフィリエイトでの副業収入を狙ったが結果はゼロ

鈴木:初めてやった副業は何ですか。

田村:とりあえず本屋さんのビジネス書コーナーに行って、見つけたのがアフィリエイトについて書かれた本です。アフィリエイトはブログに商品紹介の記事を書いて、読んだ人がクリックして商品を買ってくれたら手数料をもえる成果報酬型のビジネスです。そこで、徹夜までして、腱鞘炎になるまで記事を書きまくりました。ところが、いくら頑張ってみても、1日に数アクセスしか集まらなかったのです。つまり、1円にもなりませんでした。数カ月で力尽きてしまいました。

次に手を出したのは、FXです。「上がるか、下がるか」を当てるだけだから、「なんとなく簡単そうだ」ということで始めました。今はもう思い出したくもありませんが、たった2秒で200万円も損してしまったのです。

鈴木:2秒で200万円! でも、よくそんなお金がありましたね。

田村:実は、お金は消費者金融から借りました。いい大学入って、いい会社に就職できたおかげで、いくらでも借金はできたんです。もちろん妻には秘密です。

今だから笑って話せますが、当時は本当に精神状態がおかしくなりそうでした。ふとしたときに「死にたい……」と思っていましたから。このつらさはFXなどで大損した人にしか、わからないと思います。

妻に内緒で「出産費用」をつぎ込んだ…

鈴木:そこからどうやって復活したんですか。

田村:2015年1月、あと3カ月で子どもが生まれるというときに、妻から「出産費用を40万円ほど準備しておいてね」と言われたんです。あのときは12月にもらったボーナスが45万円入っていたので、口座には一応お金はありました。ところが、本来なら子どもの出産費用に充てるはずのボーナスのお金を、副業につぎ込んだのです。

鈴木:そんなことしたら、うちなら殺されそうになるかも。

田村:バレたら、うちもそうですよ。でも、もう背水の陣でした。子どもが生まれたら、支出が増えるから、なんとかしなきゃいけない状況だったんです。だから、そのとき、副業にもう一度挑戦しようと、初めて先生に習いました。

鈴木:なるほど、独学で実践するのをやめたんですね。

田村:そうです。普通なら、会社でもバイトでも習い事でも、すでに実績のある上司や先生から習いますよね。だから、出産費用をスクール代に充てたのです。そのスクールで教えていたのは、アマゾンにお店を作って、ほかのネットショップから安く仕入れた商品を販売する「せどり」と言われるビジネスです。

初めは本当にできるのか不安でしたが、先生に教えてもらった「あるツール」を使えば、「売れる」「売れない」の判断が事前にできるので、売れる商品を安く仕入れてアマゾンで高く売ることができます。つまり、失敗しにくい方法でした。これで初月は5万円稼げました。

そもそも、副業で稼いだことなんてなかったので、かなりうれしかったのを覚えています。それからは本気で取り組みました。出社前に「スタバ」で、退社後は21時から夜中の2時ころまで作業する日々を送っていました。子どもの出産費用を稼がないといけないので、とにかく必死でした。その結果、出産費用は余裕で支払うことができ、4カ月目には月間の利益で100万円を達成しました。

鈴木:同僚の間では「ヒーロー」になったんじゃないですか。

田村:必死だった数カ月は飲みの誘いも全部断っていましたが、ある程度コツをつかんで気持ちに余裕が出てきた半年後くらいからは、飲みにも行けるようになりました。そこで、いつもどおり「金がねー」という酔っ払いの呪文が聞こえてきましたが、副業の話をしたらピタッと呪文が止まり、負のオーラが消えました。みんな真剣に聞いてくるんです。

鈴木:会社の給料の何倍も副業で稼いでるんですから、みんな興味津々ですよね。

脱サラをせずに副業で余裕を持った生活を

田村:それからは、彼らもせどりを始めました。私だけ脱サラしましたが、実は、彼らは会社を辞めることなく、給料とは別に毎月30万円ほど稼ぎながら、余裕を持った生活を続けています。

鈴木:確かに脱サラって簡単にすると失敗も多いですからね。「個人で稼ぐこと」や「フリーランスになること」がよく推奨されますけど、それができる人って、ごく一部ですね。会社に不満がなければ、会社に属して真面目にやったほうが安全です。田村さんは今、どういう状況でビジネスをしているのですか。

田村:私は国内だけでなく海外のアマゾンにもお店を出したり、スクール事業を始めたりしています。おかげさまでせどりだけでだいぶ儲かっていますので、今では自分がやりたいことにもチャレンジしていて、今はファブレスメーカーとして家電も作り始めました。第1号の商品は電動歯ブラシです。フィリップスやブラウンといった有名メーカーよりも安くていいものを提供できていると自負をしています。よかったらぜひ「スマートトラッキング電動歯ブラシ」と検索してみてください。

鈴木:いろんなジャンルにビジネスを広げていて凄いですね。確かに、ある程度稼げるようになれば、次はどんなことにもチャレンジできるので、人生がますます楽しくなりますね。