テック系が隆盛を誇っていたころ、スタートアップはインハウス要員として、マーケターに魅力的な労働条件を提示していた。長く疲れる業務が多い広告エージェンシーとは異なり、スタートアップの職場はマーケターにとって、楽なだけでなく、公平性も約束される環境だった。

だが、スタートアップが勢いをなくし、資本も枯渇していくなかで、テック系企業はマーケターにとって、かつてほど魅力的な働き先ではなくなっている。それに伴い、マーケターのキャリアの観点からすれば、広告エージェンシーで働くのが最善といえるケースも出てきた。

米DIGIDAYは、テック系企業でインハウスのマーケティング業務にたずさわったあと、広告エージェンシーへと転職したばかりのマーケター3人に話を聞いた。この3人に共通しているのが、業務に新たな目的意識、コミュニティ、および多様性を求めていることだ。それと同時に、広告エージェンシーも彼らのような引く手あまたのスキルを持つ人材を必要としており、テック系企業と同等の給与を支払っている。

多様性とコミュニティを求める



「エージェンシーの世界に戻ってくるマーケターが多いのは、率直にいえば多様で創造的な業務を求めているからだ」と語るのが、ロバート・ハーフ(Robert Half)の子会社である人材会社のクリエイティブグループ(The Creative Group)で戦略アカウント部門のナショナルバイスプレジデントを務めるサラ・パク氏だ。クリエイティブ・グループは、オムニコム(Omnicom)やハバス(Havas)、JPモルガン・チェース(JP Morgan Chase)、ウェルズ・ファーゴ(Wells Fargo)、バンク・オブ・アメリカ(The Bank of America)など、エージェンシーとクライアントの双方に向けて雇用を行っている。パク氏はテック系企業から広告エージェンシーへの出戻りや、はじめて広告エージェンシーへ転職する人材の増加を裏付ける数値は正確には求めにくく、またそのような調査を行っている企業も存在しないと前置きしつつも、過去12から18カ月のあいだに、明らかにそうした傾向が見てとれるようになったと指摘する。

アブドゥル・オバイス氏もそうしたマーケターのひとりだ。オバイス氏は昨年6月から、サンフランシスコに本社を置く広告エージェンシーのベーシック(Basic)でクリエイティブディレクターを務めている。テック系スタートアップのクライアント側ではない立場として働くのは、同氏にとってはじめてのことだ。オバイス氏はこれまで、Uber(ウーバー)のクリエイティブディレクターや、スクウェア(Square)のアソシエイトクリエイティブディレクター、Appleのアートディレクターなどを歴任してきた。そんな同氏が広告エージェンシーにひかれた最大の理由が、大規模なチームの一員として働けることだった。

過去のインハウス業務は「孤独」だったと、同氏は振り返る。「エージェンシーで働くことの魅力は、インハウスには存在しなかったコミュニティの存在だ」と、オバイス氏は語る。

昨年8月、アダム・シンガー氏はGoogleを辞めた。アナリティクスを担当していた同氏だが、雇用時に求められた業務と実際の業務との乖離を感じたことが理由だという。シンガー氏の最初の会社はPRエージェンシーだった。そこから給与に魅力を感じてGoogleに転職したものの、失望する結果に終わった。退職して最初に同氏の頭に浮かんだのが広告エージェンシーに応募することだった。

シンガー氏は次のように明かした。「Googleのインハウスで働くことになったが、いざ働きはじめてみると、Googleは管理者が欲しかっただけだと気づいた。実際の業務をこなすのはエージェンシー各社であって、Googleの大半のマーケターは基本的に上がってきたものを承認しているだけだった。私は仕事をするのが好きだ。だから、そういう状況にはストレスを感じていたのだ」。

スタートアップの夢の終わり



スタートアップの将来性も不透明だ。2000年代の前半、テック系がブームだった時代からスタートアップを取り巻く景色が様変わりしたことを伝える記事をたくさん目にするようになった。「シリコンバレーのユニコーン企業」の勢いは、2014年頃を境に衰えはじめたと捉える専門家は多い。この主張を裏付けるデータも存在する。米労働統計局によると、1985年の時点でアメリカの全企業のうち13%が創設から2年以内の企業であったのに対し、それが2014年には同8%にとどまっている。

「成功にたどりつけないスタートアップが多く、次のFacebookとなりうるスタートアップの登場への期待感は、少しトーンダウンしている」と、パク氏は指摘する。

現在、クリエイティブおよびアナリティクスの広告エージェンシーであるR2Cグループでテクノロジー部門のシニアバイスプレジデントを務めるライアン・シュミット氏も、広告エージェンシーに復帰した人物のひとりだ。同氏はマーケティングのキャリアをスタートさせた広告エージェンシー企業に25年以上勤め上げた経歴を持つ。そんなシュミット氏だが、テック系業界のブームがはじまった頃にテック系のスタートアップに転職した。同氏はAmazonが保有するザッポス(Zappos)の研究所長を務めたあと、動画スタートアップのバディオ(Vadio)でCTO兼エンジニアリング部門のバイスプレジデントを務めた。同社は報道によると、4年間で1180万ドル(約12.7億円)の赤字を出し倒産している。

会社が倒産すれば、株式も紙切れになる。シュミット氏は現在、自宅の地下にある金庫に6社ほどのスタートアップの持分証券を保管している。エンボス加工で封がされたままのものもあり「処分する気はない」と同氏は語る。

たとえ大手のテック系であっても、社員はいつまでも証券をもらえるわけではない。シンガー氏は「FacebookやGoogle、Twitterに移り、証券の受領が終わってから辞めるマーケターは多い。大手テック系を辞めるマーケターがいるのは、4年たつと証券が配布されなくなるためだ」と語る。

シュミット氏自身も、広告エージェンシーでの仕事にひかれた理由のひとつにこの点があるという。広告エージェンシーでは証券が配布されることはないが、減給されることもない。詳細についての回答は得られなかったが、「テック系でもエージェンシーでも作れるものは同じだ」と同氏は語る。

テック系の優秀な人材の需要増加



いまの雇用状況を見ると、シュミット氏がテック系のときと同程度の給与を得ている可能性は高い。そうなればテック系スタートアップに勤める大きな理由が無くなることになる。

パク氏は、その原因のひとつに失業率の低下を挙げている。いまのアメリカの雇用は売り手市場であり、契約交渉においても求職者側が有利となっている。求人数が求職者数を8カ月連続で上回っているのがいまのアメリカだ。米労働省の10月の発表によると失業率は3.7%で、これは1969年以来最低の水準となっている。

とりわけ技術的なバックグラウンドのあるマーケターは大きな力を持っていると、パク氏は指摘する。広告エージェンシーはデータを欲するクライアントの需要に応えて分析と考察を行うようにビジネスモデルを変化させており、これまでの広告エージェンシー業界にいなかったような人材を探し求めている。

クリエイティブ・グループが2018年末に発表した、2019年上半期クリエイティブ雇用状況報告書によると、調査に回答した広告エージェンシー幹部200人のうち63%、および回答した企業のマーケター200人のうち57%が、新たな雇用が即座に必要な分野としてウェブやモバイルコンテンツの制作開発、サイバーセキュリティのユーザー体験、クラウドセキュリティ、クラウドコンピューティングといった分野を挙げている。そして回答者の87%がスキルのあるIT専門家を探すのは困難だとしている。

広告エージェンシーの給与も競争力を高めるために引き上げられており、福利厚生も手厚くなる傾向にある。パク氏は「エージェンシーの給与はここ5年から10年のあいだで数%上昇している。供給が需要に追いついていないため、クリエイティブのプロがエージェンシーに戻る際に給与を有利な条件で決められる状況となっている」と語る。

また、クリエイティブのプロは、テック系企業での給与を自分で決められる場合もあるという。クリエイティブ・グループが発表した2019年給与ガイドによると、経験や企業ごとのリソースによって幅はあるものの、データサイエンティストであれば経験に応じて10万ドル(約1080万円)から17万5000ドル(約1890万円)、UXデザイナーであれば7万5000ドル(約810万円)から14万8000ドル(約1600万円)の給与水準となっている。

テクノロジーと広告の融合



広告エージェンシーがデータ機能を強化したことで、ベンチャーキャピタルの資金に頼らない企業でも、同じ給与で同じような仕事ができるマーケターが増えつつある。

23アンドミー(23andMe)やペロトン(Peloton)等のクライアントを抱えるR2Cグループで働くシュミット氏の業務に、同エージェンシーが立ち上げたクライアントのインハウスでのメディアや測定支援を行う部門の管理がある。同氏の分析とクリエイティブのスキルの双方を活用できる仕事だ。

シュミット氏は次のように語る。「ほかの事についてもいえることだが、ここ数年でテック系企業と広告エージェンシーの差異はなくなりつつある。R2Cグループが開発しているソフトでは、アナリティクスのためにデータを使用しているが、これは私がテック系で行っていた業務と同じものだ。そして、いまではエージェンシーの素晴らしい環境下で、楽しみながら働くことができている」。

Ilyse Liffreing(原文 / 訳:SI Japan)