引退決断の小笠原満男に日本代表の関塚隆技術委員長も惜別の言葉「最初は寡黙で表現が下手なプレーヤーだったが…」
小笠原満男の引退を受け、日本代表の関塚隆技術委員長も惜別の言葉を送った。関塚氏は1996年から2003年まで鹿島でコーチを務めたが、「チームを離れてからも彼とは年に2、3度は電話などで話していた」という。
今回の引退の決断も電話で直接、伝えられ「まだ1、2年はやれるんじゃないか」と率直な想いを伝えたと話す。それでも「選手が引退するとなると、まだできるんじゃないかというところは絶対にあるはずなので、なかなか決断ができないところだと思います。そういうなかでの決断なので」と、その選択を尊重したいと語った。
続けて小笠原というプレーヤーの素晴らしさも強調する。
「最初は寡黙で表現が下手なプレーヤーでしたが、イタリアかな1年行って帰って来たところから人間としても成長したプレーヤーだなと。それは僕が川崎にいて、彼が鹿島に帰って来た時に厄介だなと感じましたから。自分のプレーとフォアザチームのプレー、両方でバランスの取れたプレーヤーに成長したなと思いました。
最初は俺が俺がというのがあって当然です。でも尖っていたものが丸くなって全体を考えられるようになって素晴らしい人間性を持ったプレーヤーに成長しました。柴崎岳らが成長できたのは彼が横にいたのが非常に大きかったと思います」
そして最後に目を細めながら「クラブなり、サッカー界なり貢献してほしい人材です」とエールを送った。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
今回の引退の決断も電話で直接、伝えられ「まだ1、2年はやれるんじゃないか」と率直な想いを伝えたと話す。それでも「選手が引退するとなると、まだできるんじゃないかというところは絶対にあるはずなので、なかなか決断ができないところだと思います。そういうなかでの決断なので」と、その選択を尊重したいと語った。
続けて小笠原というプレーヤーの素晴らしさも強調する。
「最初は寡黙で表現が下手なプレーヤーでしたが、イタリアかな1年行って帰って来たところから人間としても成長したプレーヤーだなと。それは僕が川崎にいて、彼が鹿島に帰って来た時に厄介だなと感じましたから。自分のプレーとフォアザチームのプレー、両方でバランスの取れたプレーヤーに成長したなと思いました。
最初は俺が俺がというのがあって当然です。でも尖っていたものが丸くなって全体を考えられるようになって素晴らしい人間性を持ったプレーヤーに成長しました。柴崎岳らが成長できたのは彼が横にいたのが非常に大きかったと思います」
そして最後に目を細めながら「クラブなり、サッカー界なり貢献してほしい人材です」とエールを送った。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)