夏の福島競馬場での武豊騎手とオジュウチョウサン。12月23日の有馬記念への障害王者の挑戦にも注目が集まる(写真:筆者提供)

激動の時代「平成」が終わろうとしている。2019年5月から新しい年号となる。

中央競馬にとっても平成は激動の時代だった。オグリキャップの出現から空前の競馬ブームの中で平成の時代を迎えた。昭和最後となった昭和63年(1988年)の有馬記念を制したのはオグリキャップ。

平成2年(1990年)12月23日はそのオグリキャップの引退レースで入場者17万7779人は今も有馬記念の入場者レコードとなっている。この年の秋は不振だったオグリキャップが武豊騎手とのコンビで劇的に復活して2回目の制覇で引退の花道を飾り、大観衆から「オグリコール」が巻き起こった。

この年に史上初めて売り上げが400億円の大台を超えて480億3126万2100円を記録したが、ここからさらに売り上げを伸ばし、サクラローレルが勝った平成8年(1996年)には875億104万2400円のJRAの1レースの売り上げレコードを記録している。


今年は平成に行われる最後の有馬記念という特別な意味を持つ。

有馬記念は暮れの風物詩として競馬の枠を超えた日本の年末を代表する国民的イベントとなった。

そして、昭和末期に騎手となり平成の競馬界をけん引してきたスーパージョッキー武豊騎手が障害最強馬オジュウチョウサンで有馬記念に挑む。

どんなドラマが待っているのだろうか。今回は平成の有馬記念を振り返りながら、平成最後の有馬記念の見どころを紹介したい。

平成初頭の主役はオグリキャップ

平成最初の有馬記念は平成元年(1989年)12月24日。マイルCSを制した後、連闘で臨んだジャパンカップで世界レコードの2着となったオグリキャップが人気を集めたが力尽きて5着に敗れた。直線抜け出す20歳の武豊騎手のスーパークリークを破ったのは、41歳の柴田政人騎手が騎乗した南関東出身の野武士イナリワンだった。


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翌平成2年は前述通り武豊騎手騎乗のオグリキャップが花道を飾った。

武豊騎手は21歳9カ月9日での史上最年少制覇だった。亡き大川慶次郎さんがテレビの実況席で2着メジロライアンに向かって「ライアン!」と叫んだのは語り草になった。

平成3年(1991年)は武豊騎手のメジロマックイーンが2着に敗れ、この年の京都金杯の勝ち馬だった15頭中14番人気のダイユウサクが勝つ大波乱の決着。1万3790円は今も有馬記念の単勝最高配当だ。平成4年(1992年)もジャパンカップを勝ったトウカイテイオーが1番人気で11着に惨敗。16頭中15番人気のメジロパーマーの逃げ切り勝ちに終わった。メジロパーマーは障害を経験したただ1頭の有馬記念勝ち馬だ。

平成5年(1993年)は前年惨敗したトウカイテイオーが1年ぶりの出走で主役となる。菊花賞を圧勝して1番人気となったビワハヤヒデをねじ伏せて奇跡の復活を遂げた。父シンボリルドルフに続く初の有馬記念親子制覇。

波乱の連鎖がドラマを生んだ。その波乱の中で平成3年から平成5年までナイスネイチャは3年連続3着。愛された名脇役だった。

平成6年(1994年)は強い馬が強い競馬を見せた。この年の三冠馬ナリタブライアンがヒシアマゾン、ライスシャワー相手に圧勝した。これほど「強い」という印象を与え続けた馬はいないだろう。ところが、これだけ強かったナリタブライアンが翌平成7年(1995年)には股関節の不安に苦しみ4着に敗れる。1番人気ヒシアマゾンも5着に敗れ、同年の菊花賞馬マヤノトップガンで鮮やかに逃げ切るのだから競馬は分からない。

平成8年(1996年)はサクラローレル、平成9年(1997年)はシルクジャスティスが制し、武豊騎手はマーベラスサンデーで2年続けて2着に敗れた。平成8年をピークに翌年から有馬記念は売り上げが下降線をたどる。

忘れられないグラスワンダーの連覇

平成10年(1998年)と平成11年(1999年)は筆者にとって忘れられないレースだ。


1998年の有馬記念を勝った手前のグラスワンダー(写真:共同通信社)

福島市の半沢有限会社の所有馬グラスワンダーが史上3頭目の連覇を達成した。筆者の地元の馬主さんでデビュー当時から追い続けた馬だ。平成9年の朝日杯3歳S(現朝日杯FS)を驚異のレコードで圧勝したが平成10年に骨折が判明。秋は毎日王冠でサイレンススズカ、エルコンドルパサーとの対決に5着に敗れ、アルゼンチン共和国杯も6着。

「グラスワンダーは終わった」という声も聞かれ始めた。しかし、陣営は立て直しに成功。あきらめずに本命を打った有馬記念で輝きを取り戻してくれた。

平成11年の宝塚記念はスペシャルウィークとのマッチレースで圧勝。有馬記念では武豊騎手のスペシャルウィークが執拗にマークしてきた。直線でのたたき合いは明らかにスペシャルウィークが態勢有利。勝利を信じた武豊騎手は場内をウイニングランしたが、写真判定では首の上げ下げで4センチ差でグラスワンダーが勝っていた。

3連単時代の今では考えられない馬連1点での的中は今も筆者の会心の予想でもある。グラスワンダーは骨折の影響で左手前の走りの方が得意になっていた。だから右手前でコーナーを回り、直線左手前で走る右回りの中山では爆発的な末脚で抜群の強さを見せたのだ。

平成12年(2000年)はテイエムオペラオーの年だった。年間8戦8勝、G5勝で締めくくった。翌平成13年(2001年)、テイエムオペラオーは引退レースで5着。アメリカの同時多発テロの年で「マンハッタン」カフェと「アメリカン」ボスの決着は究極の語呂合わせ馬券と言われた。馬連4万8650円は今も有馬記念の馬連最高配当となっている。

平成14年(2002年)から平成16年(2004年)までの3年間はオリビエ・ペリエ騎手と藤沢和雄調教師が主役だった。平成14年と平成15年(2003年)はシンボリクリスエスが連覇。ペリエ騎手は有馬記念の外国人騎手初制覇だった。翌年は9馬身差の圧勝。

平成16年はゼンノロブロイがレースレコードとして残る2分29秒5のタイムで制した。ペリエ騎手、藤沢和師の3連覇は今も破られない大記録だ。この年から3連単が発売された。

平成17年(2005年)と平成18年(2006年)の主役はディープインパクト。しかし、平成17年は無敗の三冠馬として臨んだがよもやの2着に敗れた。勝ったのはクリストフ・ルメール騎手騎乗のハーツクライ。追い込み馬のこの馬が早め追走から抜け出す見事なモデルチェンジでディープインパクトに国内唯一の黒星を付けた。

ハーツクライを管理する橋口弘次郎調教師は勝てるとは思わずにレース直後の午後3時半に帰りのタクシーを予約していた。陣営ですら考えていなかった大金星はまさに「ルメールマジック」だった。

圧巻の引退レースを飾ったディープインパクト

しかし、平成18年のディープインパクトは現役最後のレースを圧巻のパフォーマンスで制した。4コーナーを飛ぶように回ってきた時の衝撃の強さは忘れられない。史上最多タイのJRAG7勝目を挙げて引退の花道を飾った。


2006年の有馬記念。引退レースでのディープインパクトと武豊騎手(写真:アフロ)

武豊騎手はあの平成2年のオグリキャップ以降、2着は6回あったものの実に15年ぶりとなる有馬記念2勝目だった。

凱旋門賞制覇はならなかったが、武豊騎手は最後の騎乗を終えて「今でもディープインパクトが世界で一番強いと思っている」と語った。

平成19年(2007年)はマツリダゴッホが勝って波乱の決着。2着が妹ダイワスカーレット、3着が兄ダイワメジャーできょうだいでの好走だった。

翌平成20年(2008年)は1番人気ダイワスカーレットが圧勝で昭和46年(1971年)トウメイ以来37年ぶり4頭目の牝馬制覇。

平成になっての牝馬制覇は初めてだった。2着に最低14番人気アドマイヤモナーク、3着に10番人気エアシェイディが入り3連単98万5580円は有馬記念最高配当となった。

平成21年(2009年)はドリームジャーニーが強烈な切れ味で差し切り勝ち。平成22年(2010年)はヴィクトワールピサがミルコ・デムーロ騎手の向正面でまくる好騎乗で制した。ヴィクトワールピサは翌年、東日本大震災直後のドバイワールドカップを日本馬として初制覇する偉業を達成し日本に勇気と元気を与えた。

牝馬ブエナビスタは平成21年がドリームジャーニーの強襲に屈し、平成22年は猛然と追い込んだがハナ差届かず2年連続で2着に泣いた。

平成23年(2011年)は東日本大震災の年に三冠馬となったオルフェーヴルが古馬相手に完璧な強さを見せた。兄ドリームジャーニーに続く有馬記念初の兄弟制覇も飾った。オルフェーヴルは平成24年(2012年)と平成25年(2013年)に凱旋門賞で2年連続2着。日本競馬界の悲願にあと一歩と迫った。

平成25年の有馬記念はオルフェーヴルの引退レース。平成24年の阪神大賞典で外に逸走したり、凱旋門賞では直線で大きく内にもたれて快挙を逃したやんちゃな馬が最後に競走馬としての完成形を見せて8馬身差の圧勝で花道を飾った。

平成24年に有馬記念を勝ったゴールドシップも個性派だった。強い時にはめっぽう強いがポカもあった。有馬記念は勝った翌年から連続3着。芦毛の馬体が年々白さを増して、毎年ファンを沸かせる存在だった。ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップの父はステイゴールド。平成10年の有馬記念で3着となり現役時代は名脇役だったが、種牡馬としては有馬記念を4勝し大輪を咲かせた。

平成26年(2014年)は平成24年の三冠牝馬ジェンティルドンナが花道を飾り史上最多タイのJRAG7勝目。ディープインパクト産駒は有馬記念初制覇となった。平成27年(2015年)は伏兵ゴールドアクターがG欺蘋覇で3歳キタサンブラックが3着。

平成28年(2016年)は直線先頭のキタサンブラックがゴールドアクターを振り切ったところで外からサトノダイヤモンドが強襲して差し切り菊花賞に続くG2勝目を挙げ、池江泰寿調教師は有馬記念最多の4勝目を挙げた。

昨年は「キタサンまつり」だった有馬記念

平成29年(2017年)12月24日は中山競馬場に北島三郎さんの「まつり」と「ありがとうキタサンブラック」の熱唱が響いた。3着、2着と来ていたキタサンブラックは鮮やかに逃げ切り、悲願の有馬記念初制覇でラストランを飾った。エリートとは言えなかったキタサンブラックは実績を積み重ねて最後にJRA最多タイのG7勝目を挙げて歴代の賞金王になった。


2017年の有馬記念を制したキタサンブラックと武豊騎手(写真:アフロ)

武豊騎手はディープインパクト以来11年ぶりに有馬記念最多タイの3勝目を挙げた。「歌いませんよ」と言い続けていた武豊騎手が最後はマイクを持って「まつり」を歌った。キタサンブラックは引退の花道を飾り、2年連続で年度代表馬にも選ばれた。この日の中山競馬場の入場者は10万720人。有馬記念の全国の馬券の売り上げは441億9957万5700円だった。これが今の有馬記念の妥当な数字だろう。

有馬記念は中央競馬の締めくくりの大一番だったが、昨年から有馬記念の後の12月28日に2歳G気離曄璽廛侫Sが行われるようになった。年末の競馬はこれからも少しずつ形を変えるのかもしれない。

今年の有馬記念は何と言っても障害最強馬オジュウチョウサン(牡7、美浦・和田正一郎厩舎)が参戦することが最大の話題だろう。7月7日に福島競馬場で行われた開成山特別に武豊騎手とともに参戦し平地競走で初勝利を挙げた。11月3日に東京競馬場で行われた南武特別も武豊騎手を背に連勝。

陣営は有馬記念参戦を目標にしていたが、ファンも後押しして10万票以上を集めてファン投票3位で出走権を獲得した。本番も武豊騎手との夢のタッグで出走する予定だ。今夏、開設100周年を迎えた福島競馬場を熱狂に包んだコンビが有馬記念でも主役を務める。

武豊騎手は「厳しいことは確かだが何とか結果を出したい」と静かに闘志を燃やす。「オジュウチョウサンのドラマは福島から始まった。あの時、見た人たちは今回の挑戦にそれぞれ感じることがあると思う。盛り上げたいし、声援を送ってほしい」とメッセージを寄せた。

ここまで平成の有馬記念で29戦中26戦で騎乗し3勝2着8回3着1回。平成で3勝はペリエ騎手と並んで最多タイで、11回の連対は文句なく最多だ。今年はJRA通算4000勝を達成。競馬の黄金期と言ってもいい平成の競馬を支えてきたのは武豊騎手だったのだとつくづく思う。

普段は馬券を買わない人も有馬記念だけは参加するという人が多い中、武豊騎手ほど馬券でも頼りになる騎手はいなかった。そして、武豊騎手にとって今回は40代で最後の有馬記念でもある。「この馬には夢がある」というオジュウチョウサンとのコンビは歴史的挑戦になる。

平成最後の有馬記念を制するのはどの馬か

ファン投票1位はレイデオロ(牡4、美浦・藤沢和雄厩舎)。昨年のダービー馬で今年の天皇賞・秋を制して完全復活した。今年JRAG気鮠,舛泙るルメール騎手が有終の美を飾るか。

昨年の菊花賞馬キセキ(牡4、栗東・中竹和也厩舎)はジャパンカップで逃げて2着。この馬のつくった緩みのない流れがアーモンドアイの世界レコードを演出した。中山の小回りを武器に今度こそ押し切りたい。昨年のジャパンカップ勝ち馬シュヴァルグラン(牡6、栗東・友道康夫厩舎)、一昨年の有馬記念勝ち馬サトノダイヤモンド(牡5、栗東・池江泰寿厩舎)、一昨年のダービー馬マカヒキ(牡5、栗東・友道康夫厩舎)も復活を懸ける。

ハイレベルと言われる3歳勢からはダービー5着、菊花賞4着のブラストワンピース(牡3、美浦・大竹正博厩舎)がスタンバイ。アーモンドアイこそ不在だが役者はそろった。平成最後の有馬記念もファンを沸かせてくれるだろう。どんなドラマを見せてくれるか。歴史的瞬間を見届けよう。