「腹」と「原」を勘違い?10人目の総理大臣・原敬の暗殺事件は犯人の勘違いで起きた?

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日本に内閣制度ができてから、ちょうど10人目の内閣総理大臣になったのが原敬。それまでの総理大臣には爵位を持つ華族がなるのが通常でしたが、原には爵位がなく、「平民宰相」といわれ、国民からは絶大な人気がありました。

第19代 内閣総理大臣 原 敬 (wikipediaより)

ところが、人気のある人物ほど、華やかな歴史の舞台から消え去るのは早いもの。

1921年11月4日、原は、自分の所属する政党の会合にいくために東京駅の改札口に向かう最中に突然男から体当たりされ、短刀で刺されました。すぐに駅長室に運ばれましたが、そのまま絶命しました。

殺害した人物の名前は中岡艮一(なかおかこんいち)。当時の中岡は大塚駅の転轍手(てんてつしゅ・レールの分岐器を操作する仕事)で、原が東京から列車に乗る予定を把握したうえでの犯行でした。

ときの内閣総理大臣暗殺という、世間を大騒ぎさせたこの事件ですが、実は犯人の勘違いから引き起こされたという説があります。

事件の1ヶ月前、中岡が仕事の後に上司と酒を飲みながら政治談義をしていた最中、「今や武士道精神は失われた。政治家は”腹”を切ると言うが、切ったためしがない」と上司が激高したそうです。

それを聞いた中岡は、日頃から原政権に不満を持っていたことも手伝い、「それなら私が”原”を斬る!」と言い放ち、とうとう実行したそうです。

中岡艮一

このエピソードの真相は今となってはわかりませんが、原がもし暗殺されていなければ、歴史はまた違った方向に流れていたかもしれませんね。

ちなみに原を殺害した中岡は、その後、無期懲役の判決を受けますが、3回の恩赦により1934年出獄。終戦まで満州の陸軍司令部など中国大陸で勤務をします。その際に出会ったソ連からの難民のタタール人に興味を持ち、神戸モスクを通じてイスラムに改宗し、現地でムスリムの女性と結婚しました。