『さよなら鹿ハウス』丸尾 丸一郎 ポプラ社

写真拡大

 気心が知れた仲間同士で共同生活する物語が気になる(『赤毛のアン』シリーズでは、アンが大学の友だちと家を借りて住む『アンの愛情』がいちばん好き)。自分が結婚するまで実家にいて、家族と一緒に暮らした経験しかないからかもしれない。もちろんひとり暮らしの話もおもしろいと思うが、複数人で生活するとなるとよりさまざまなドラマが生まれやすいのではないか。しかし、『さよなら鹿ハウス』に描かれているのは楽しいだけの共同生活ではなかった。もっと身を切られるような、ひりひりした青春の爪痕だった。

 著者の丸尾丸一郎さんは、大学在学中に「劇団鹿殺し」を旗揚げした演出家・俳優。作家としては、本書が初の小説となるそうだ。作中の劇団名は「劇団鹿」となっていて、主人公・角田角一郎が「なんてふざけた名前を付けてしまったんだ!」と後悔するくだりがあるが、現実はさらにグレードが上である(なぜ殺す?)。おそらく角田のモデルはご本人、本書は実際の体験を元に書かれたのであろう。読んでいるこちらが赤面してしまいそうなほどに彼らの過ごした日々は、青臭く、痛々しく、まばゆくきらめいている。

 兵庫県西宮で結成された「劇団鹿」のメンバーである男女7人(男6人と女座長である鹿の子チョビン)は、2005年4月1日未明、一路東京へと向かった。このときの角田の気持ちは以下のような感じ。「西宮での五年間、観客の数は一向に増えなかった」「旗揚げ早々に名前で躓き、同世代の連中に先を越され、後輩に追い抜かれ、辛酸を舐めてきたが、僕ももう二十六歳。あの尾崎豊が死んだ年齢である。自由への叫びも放熱への証もしていない。尾崎年表で言うならば、もはや僕の人生は一度終わっている。このまま惰性で劇団を続けるくらいなら、今こそ一世一代の大博打! と、実に短絡的な考えでの上京であった」。なんというか、絵に描いたような若き日の悩みではある(特に、尾崎豊を自分の身に引きつけるあたり)。

 とはいえ、いかに多くの若者たちが似通った思考回路を持とうとも、ひとりひとりは真剣に悩んでいるし、ひとつとして同じ悩みはない。"夢を追いかけて東京へ行く話"そのものはこれまでに何十何百と生み出されたものであっても、それぞれの作品にはそれぞれの登場人物たちの熱い思いが迸っている。「劇団鹿」の7人も、星の数ほど存在してきた夢を追う若者たちでありながら、他の誰とも同じではない存在だ。彼らは10万km走った中古のハイエース「鹿カー」に乗って上京し、東京都東久留米市にある古い一軒家「鹿ハウス」を借りて住み始めた。自分の将来に不安を持たない人間などほとんどいないだろう。まして、演劇などという明確な評価基準のない芸能分野のことならなおさらだ。それでも、人の心を動かすような仕事をしたいと夢見て動き始めたら、おいそれとはその未来予想図を手放すことはできないのだろうなと思う。

 上京に際して彼らが決めたことは、「二年間はバイト禁止、劇団の公演以外は路上パフォーマンスで生活費を稼ぐこと」と「お客さんや関係者の女性に手を出さないこと」のふたつ。特に劇団にまつわるフィクションにおいては、恋愛関係のごたごたに焦点が当たりがちな気がするが、本書ではストイックなまでに演劇とパフォーマンスに打ち込む彼らの二年間が描かれている。もし自分の子どもが劇団員だったら...と思うとここまで手放しに応援できるかどうかわからないが、「劇団鹿」の団員たちの姿には胸を熱くせずにいられない。『さよなら鹿ハウス』というタイトルが暗示するように、どんな共同生活にも何らかの形で終わりは訪れる。彼らが駆け抜けた二年間の最後に選んだ未来はどんなものだったのか、ぜひお読みになって確かめていただきたい。

(松井ゆかり)