他人と比べない、頑張りすぎない、子どもを潰さないのが中学受験で果たす親の役割です(写真:Greyscale / PIXTA)

わが子に中学受験をさせようというような親は、例外なく教育熱心です。わが子のためなら何でもする。そんな覚悟が感じられます。しかし皮肉にも、教育熱心すぎる親が、子どもを過度に追い詰めてしまうことがある。それを近年「教育虐待」と呼びます。いわば「中学受験のダークサイド」です。

理性の皮を被った感情による暴力

「虐待」などというとひどい親を思い浮かべるでしょうが、拙著『中学受験「必笑法」』でも詳しく解説しているように、教育虐待をしてしまう親のほとんどは、わが子に対して「あなたのため」だと本気で思っているのです。中学受験生の親であれば、誰でも加害者になる可能性を秘めています。

「これくらいのことができないなら死んでしまえ!」とか、「あなたはクズ」などとむやみに怒鳴ったりたたいたりする親は、実は少数派ではないかと思います。多くの親は、子どもをしかるのに十分な理由を見つけてから、その正論を振りかざします。「この子が約束を破ったから、そのことをしかっている」などと、親には親なりの理屈があるのです。そうやって「自分は感情的に怒っているのではない」と自分に言い訳しながら、しつけや教育的指導と称して罵声を浴びせたり、罰を与えたりするのです。

結局のところわが子に対して言外に伝えているメッセージは、「あなたは自分で言ったことも遂行できないダメ人間だ。だから成績が悪いのだ」です。子どもに反論の余地はありません。子どもには逃げ場もありません。完全に追い詰められる。

いわば、理性の皮を被った感情による暴力です。

自律を学ばせるために、親子でルールを話し合い、それを守らせること自体は立派な教育です。ところが、やりすぎれば約束を盾にした容赦ない攻撃になってしまいます。どこからが「教育虐待」なのか、明確な線引きはきっとありませんが、親であれば誰でも一度や二度、「もしかして、必要以上に傷つけてしまったかも……」と思い当たるフシがあるのではないでしょうか。

成功体験と屈辱体験の融合、歪んだ期待

子どもを追い詰めてまで勉強させる親には、大きく分けて2つのタイプがあります。

1つは学歴に対するコンプレックスがあること。

自分には学歴がなくて苦労したという親は、子どもになんとしても高学歴を授けようとします。若い頃に自分が勉強しなかったこと、あるいはいい学校に入れなかったことを強烈な失敗体験として自分の人生に刻んでおり、同じ失敗を子どもに味わわせたくないと強く願ってしまうのです。

しかし、親の失敗を回避すること自体が目的化してしまっては、子どもは自分の人生を歩めません。人生に主体性もなければ自信ももてません。だから何かうまくいかないことがあるとすぐに他人のせいにする、社会のせいにする。いつまで経っても精神的な自立ができない。

もう1つは、自らの受験人生において“負け知らず”の親。

大抵の場合、人は、人生のどこかで回り道を余儀なくされ、その道程で思わぬ出会いに恵まれ、最短ルートを行くだけが人生じゃないと悟るものです。一方、幸か不幸かつねに最短ルートを進むことができてしまった人は、最短ルートから外れることを過度に恐れます。

自分の知らない道を歩ませるのは怖いので、わが子にも自分と同じ道を歩かせたいと望んでしまう。そうやって自分の恐怖をわが子に引き継いで、自分だけ安心しようとする。そんな親の恐怖を引き継いだ子どももまた、恐怖を感じながら人生を歩まなければならなくなります。それが本当に子どものためだといえるでしょうか。

さらにやっかいなのは、2つのタイプのハイブリッドです。一見高学歴であっても、実は東大に不合格になり仕方なく別の難関大学に行ったなどというパターン。成功体験と屈辱体験の融合が、わが子への歪んだ期待をもたらします。

自分の成功体験に基づいてわが子を激しく鼓舞する一方で、わが子の努力や成長を素直に認めてやることができず、「お前はまだまだダメだ」というメッセージを発し続けてしまいます。それは実は、過去の自分へのダメ出しなのです。

学歴コンプレックスがあるにせよ、高学歴ルートから外れるのが怖いにせよ、人生の成功を学歴にとらわれているという意味で同じです。コインの裏表でしかありません。

子どもの偏差値が「できる親」の証し!?

そもそも教育によって得られる成果は人によって違います。ある人は勉強して身に付けた知識と技能を利用して、画期的な発明を成し遂げ、大金持ちになるかもしれません。ある人は勉強して身に付けた教養とコミュニケーション能力で、たくさんの仲間をつくり社会を変革するかもしれません。またある人は数学の世界にのめり込み、食べることも忘れて数式の美しさに没頭するかもしれません。

さらにその成果は、教育を受けたその瞬間に表れる場合もありますし、数十年後に表れることもある。それこそ、人の数だけ、勉強の意味があるといえます。

つまり、その子どもが勉強して何を得るのかを、予言することはできません。要するに、勉強の価値は、やってみなければわからない。教育とは本来、「こうすればこうなる!」と効果をうたえないたぐいの営みなのです。

にもかかわらず、実際は「こうしたらこうなる!」と効果をうたう教育系コンテンツや、「これからのグローバル社会を生き抜くために」という脅しの文脈で不安をあおり、お金に換える怪しい教育類似商法が氾濫しています。教育にわかりやすい成果を求める風潮を利用したビジネスです。

ビジネス同様に教育の価値が数値化されると、子どもの価値も同じ数値で測られるようになります。

「あの子は○○学校の子、あの子は△△学校の子。○○学校の子のほうが格が上」とか「あの子は偏差値60、この子は偏差値40。偏差値60の子のほうが出来がいい」とか。

果ては、それがそのまま親の能力までを物語るようにもなります。「あの子の親は、息子を○○学校に入れたからすごい。この子の親は、娘を△△学校にしか入れられなかったから大したことない」など。

「できる親」の証しとして、子どもを有名中学に合格させたいと思う欲求が強まるのも無理はありません。もはや子どものためでなく、自分の見栄のために、子どもに勉強を強いるのです。

こういった状況が教育虐待に拍車をかけているとも考えられます。

ダークサイドに堕ちていないかセルフチェック!

第一志望校の入試本番前日に、入試問題をこっそり見せてもらえると言われたら、それを見るでしょうか。子どもに見せるでしょうか。ちょっと真剣に考えてみてください。

答えがYESなら、その人はすでに「中学受験のダークサイド」に堕ちてしまっている可能性が高い。

本来の学力では入れなかった学校に仮にズルをして合格しても、入学後に苦しむのは子どもです。またもし、合格するに十分な高い学力をすでに持っているのにズルをしたのなら、「合格」が自分の実力なのかズルのせいなのかわからなくしてしまう意味で罪が重い。子どもはずっと後ろめたさを感じながらその学校に通わなければなりません。そんなのは、不幸以外の何物でもありません。


SNSに「○○塾の月例テストの予想問題をこっそり教えます」というような内容の広告が表示されることがあります。予想問題が当たってそのときの月例テストでいい点数がとれたからといって何の意味があるのでしょうか。そのような広告は中学受験のダークサイドへの誘いにほかなりません。一切無視することをおすすめします。

中学受験勉強の目的は、どんな手段を使ってでも第一志望に合格することではなく、定めた目標に対して努力を続ける経験を積むプロセス自体のなかにあります。さらに、どんな結果であれそれを最終的には前向きに受け入れ、人生の新たな一歩を踏み出す姿勢を学ぶことにあります。

つまり、自分の努力で自分の人生を切り開き、仮に結果が100%の思いどおりでなくても 、腐ることなく歩み続けることのできる人になるための経験なのです。12歳にして「生き方」を学ぶ機会なのです。