統合失調症の母とのふたりきりの生活とは…(筆者撮影)

「中学卒業までは、統合失調症の母とふたり暮らしをしていました。症状が悪化し、妄想にとりつかれて暴れたりする母に『おかしい』と言うこともできず、こらえきれず学校の先生に話しても、『せっかく生んでくれた母親にひどいことを言うなんて』と責められたこともあります」


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取材応募フォームから届いた、ある女性のメッセージです。親が精神疾患を持つとき、子どもはどんな生活をして、どんな困難を抱えているのでしょうか。

女性と待ち合わせたのは、山手線の駅近くにあるレトロな喫茶店でした。素朴な雰囲気の人で、話しやすく初めて会った気があまりしませんでした。

“生活”というものをもったことがない

石崎祐実さん(仮名)、32歳。5年ほど前にある資格を取り、専門職に就いています。

母親は、祐実さんのものごころがついた頃から統合失調症でした。統合失調症というのは、脳の働きのバランスが崩れ、妄想や幻聴などの症状が出る病気です。珍しいものではなく、100人に1人弱がかかるといわれ、日本にはいま約77万人の患者がいると推計されています(平成26年厚生労働省・患者調査)。

症状の度合いは人によって異なりますが、祐実さんの母親は重いほうでした。しかも、家族は母親と祐実さんのみ。父親は医者ですが、祐実さんが生まれてすぐ母親と別居し、小学校のときに離婚しています。祐実さんはずっと、病気の母親とふたりきりで暮らしてきました。

父親は養育費だけはたっぷりと払ってくれたものの、その後再婚したこともあってか、祐実さんの生活にはほとんどかかわろうとしませんでした。母方の祖父母や親せきもあまり近くにはおらず、かつ「母を疎ましがっていた」ため、祐実さんは大変孤立した状況にあったのです。

「母はずっと薬の副作用で寝ているんですが、隣の(母の)部屋からうめき声がしたり、何か訳のわからないことを言い出したり。聞かないように、私はずっと本や漫画を読んだり、音楽を聴いたりしていました。

食事を作ってもらったことは、ほとんどないです。小学校中学年の頃からずっと、毎日千円を渡されて『これでどうにかしなさい』と。近所のスーパーやコンビニでお弁当を買ったり、ファミレスで一人で食べたりしていました。だから私は、ちゃんと朝起きてご飯を食べて、学校に行って帰ってきて、みんなと遊んで、勉強して寝る、みたいな“生活”というものを一度も送ったことがなくて。

症状がひどいときは、母は『自分のお金を盗まれている』という被害妄想を抱いて、口座があった近くの郵便局に怒鳴り込んだり、警察に行ってワーッと喚いたり。近所の人は『あの家の子どもだ』という目で私を見ます。悪化したときは、妄想にとりつかれて暴れることもありました。だから、いつも緊張していました。子どもではいられないんですよね」

簡単に「大変だったね」などとは言えない、想像を超える状況です。子どもにとってはネグレクトに近いでしょうが、母親も好きで病気になったわけではなく、責められないのが辛いところです。

周囲の大人は、祐実さんの状況を、理解してはくれませんでした。

「『母がおかしいんだ』ということを、私は人に言えないわけです。母は、いつも目に見えておかしいわけじゃなく、学校の先生と接するときだけはわりと普通だったりする。そういうときは本当に、ただの穏やかなお母さんなので、私が母のことを言うと『あんなにいいお母さんなのに、なんてひどいことを言うんだ』と言われてしまいます」

母親が入院した際は、一時保護所に入ったことや、養護学校(現・特別支援学校)に行ったこともあります。一度は児童養護施設に入る話も出ましたが、これは祐実さんが拒否したそう。

小学校は、ほぼ不登校でした。「学校にはたまに行く」という程度で、たくさんしていた習い事も「行ったり行かなかったりだった」といいます。

「高学年の頃からリストカットが始まりました。当時のことは断片的にしか覚えていないんですけれど、その頃に考えていたのは、『自分が死ぬか、お母さんを殺すか』。とにかく母親と離れたかった。

何もかもが、嫌だったんです。母親が近所に行って問題を起こすのも、そのわりに学校の先生と会うときだけ調子がよかったりするのも、家でずっと寝ているのも、嫌だった。母といっしょに外を歩くと、みんなに見られる視線も嫌でした」

母さんは病気なんだから、そんなことを言わないであげて――。祐実さんが、さんざん言われてきたことです。もちろんお母さんも病気になって辛かったことでしょう。しかし、いくらお母さんが辛かったとしても、祐実さんの損なわれた日々が、帳消しになるものでもありません。

母の主治医が最大の理解者だった

祐実さんの子ども時代に支えとなったのは、母親が通う精神科の主治医でした。主治医はクリニックの一部を開放し、患者やその家族が「用もなく集まれる場所」にしており、祐実さんもそこで話すことができたのです。

「母の主治医の先生には、いろんなことを教えてもらいました。当時私も不眠症の傾向があったので、弱いお薬を出してもらったこともあります。私のことも心配してくれていたんでしょうね。

小学校高学年からは、その先生がつくった劇団が、私にとって『自分の居場所』になりました。母とふたりだけの家以外に居場所をもてたことは、私の人生において救いでした。もし家だけだったら、私は壊れていたかもしれない。この先生には非常に感謝していて、『育ての父』と呼んでいたこともあるくらいです」

患者だけでなく、その家族、とりわけ子どもの立場にもしっかりと目を配ってくれる医者に出会えたことは、祐実さんにとって不幸中の幸いといえるでしょう。フラットな立ち位置で患者や家族とかかわってくれる医者は、一般的にまだ、決して多くはなさそうです。

「中学を出て一人暮らしを始めたのですが、たまたまこの先生と再会したことがあって。ニヤリと笑って『孤独だろう?』と言われたことを、よく覚えています。私をあまり子ども扱いしなかったんですね。そのことが、ボロボロだった私の自己肯定感をすごく支えてくれていました。

小学校のとき、私が間違った期待をしないように、母の状況をちゃんと説明してくれたことにも感謝しています。すごくいい理解者でした」

大人たちはしばしば「子どもには残酷だ」として、重要な情報を子どもから遠ざけがちですが、情報を知らずに悲しい思いをするのは結局、子ども自身だったりします。母の担当医は、相手が子どもでもひとりの人間として対等に扱うことを、当然と考えていたのでしょう。

ひとりで暮らそうとするも、多くの障害が

小学校を出た後、祐実さんは母親のもとを離れたい一心で、寮がある中高一貫校に入学します。しかし人間関係をうまく築けず、寮を出ることに。中学卒業時にようやく部屋を借りて家を出たのですが、残念ながら学校が一人暮らしを認めていなかったため、高校への進学はあきらめました。

中学を卒業し、その年のうちに予備校に通って大検に合格。以降はバイトをしながら舞台にかかわる日々を送ります。高校3年にあたる年には、再び予備校に通って大学に合格し、東京へ。しかし、父親の言いつけに従い「苦手な理系」に進んだため単位が取れず、大学は中退することに。

精神状態が悪くなったのは、20代に入ってからでした。きっかけは腕の神経損傷でしたが、幼少期からたった一人で生きてきた疲れが出たのでしょう。「エネルギーが尽きた」状態だったといいます。

その後、数年の辛い時期を経て、とあるボランティア活動を機に浮上。難しい資格試験に独学で合格し、現在の生活に至ります。

「父親の経済的な援助のおかげで、お金に困ったことはなく、それは確かにありがたいと思っています。でも私はやっぱり、父に身近にいてほしかった。お金だけ払って“親”という顔をするんじゃなくて、いちばん辛いときにちゃんと“親として”いてほしかった。

精神状態が悪かったときは、父に電話すると疎ましがられてすぐ切られたし、数年前に私が手術を受けたときは、家族の同意が必要で父に住所を尋ねたんですが、教えてもらえなくてショックでした。

やっぱり、許せないですよね。父は母と離婚してしまえば、あとはほかの人に安らぎを求めることができたわけです。実際、再婚もしている。でも私はそうじゃない。父親は私に、『あなたのお母さんなんだから、優しくしなさい』と言うけれど、『あなたは自分で選べたけれど、私は自分で選んでいないのよ』と思います」

感謝はある。でも、許せない。私が聞いても、それは当たり前だと感じます。実の父親に対する祐実さんの思いは、いまも複雑です。

いま、祐実さんのいちばんの悩みは、パートナーとの結婚や、子どもを持つことについてです。年齢的なリミットを考えると、早めに子どもをもちたい気持ちはありつつ、心配になることも。相手の親の反応も、気になるところです。

どうしようもない「普通」へのあこがれ

祐実さんは最近、みんなもう少し、想像力をもってほしいと感じることが多いそう。

「厳しい状況にある人に対して『自己責任だ』と言う人がよくいますよね。あれを見ると、『ああ、いいおうちでお育ちになったんですね』と思います。『あなたも、ものごころがついたときから15年間、統合失調症の親とふたり暮らしをしてごらんなさいよ』って。

あとは、テレビで一時保護所の子どもの様子を見て『かわいそうよね。まともな大人にならないのでは?』といった感想を、私の前で言う人もいますけれど、『あなたの目の前にいるのが、その施設にいた人ですよ』と(苦笑)。

『おまえ、統合失調症なんじゃないの?』とか『アスペルガーじゃない?』とか、簡単に言う人にも腹が立ちます。私自身、精神状態が悪かったこともあるし、集団生活になじめなかったりして生きづらさを感じていて、つねに『自分も何かの病気ではないか』という不安と闘っているので。

ちゃんと理解してほしいとは思わない。ただ、せめて『該当する人がいる可能性』を、もうちょっと知っておいてほしいです」

言っているほうは、悪気はないのでしょう。しかし聞かされるほうは、いたたまれないことがあります。知識や情報を持たない発言が誰かを傷つけてしまう可能性を、私たちは忘れずにいたいものです。

「大概のことにあきらめがついたいまでさえ、どうしようもなく、『普通』というものにあこがれるときがあるんです。たとえば、同世代の人が結婚して、子どもを産んで家庭をつくって、という姿をみると、そっちのほうが『普通』で、偉いように感じてしまう。どうしてでしょうね」

「普通」への、どうしようもないあこがれ――。ほかの人に対してだったら、「別に、普通じゃなくてもいいじゃない」と軽く言ってしまうところですが、これだけ過酷な状況を生き抜いてきた祐実さんに、それを言うことはできませんでした。