田崎健太氏

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■一世を風靡したヒーローの本当の姿

世の中には自分のことを積極的に語りたがる人と、わかる人だけにわかってもらえばいいと黙する人がいる。伝説のプロレスラー、佐山サトルは後者のタイプだ。

佐山の半生は謎に満ちている。新日本プロレスに入団して、タイガーマスクとして一世を風靡。当時の小学生はこぞってローリングソバットの練習をしたものだ。人気絶頂期に突然の引退。その後、第一次UWFへの電撃参戦と離脱、新格闘技「修斗」創設、そして自らがつくった団体からの追放劇。いずれもプロレス・格闘技史上に残る“事件”だが、本人は何も語らないため、いまだ真相が明らかになっていない部分も多い。

「佐山さんは人に誤解されても気にしない。そのせいで損をしている。誰かがちゃんと伝えなくちゃいけないなと」

本書の取材を進めるうちに、その思いを強くしたという。

本書にリング上の描写はほとんど出てこない。名勝負との呼び声高いダイナマイト・キッド戦や、“虎ハンター”小林邦明戦は、さらっと触れてある程度。描かれているのは、フロントとの関係といった舞台裏だ。

「太陽と月なら、月の部分を書きたい。太陽は映像に残っているし、僕自身、闇に興味がある」

■藪の中を藪の中として書くやり方があってもいいはず

ただ、本人に語らせさえすれば闇に光が当たるというものでもない。著者曰く、「プロレスラーは嘘つき」だからだ。ビジネスでも当てはまるが、そもそも人は自分の都合のいいように記憶を変えるものだし、業界のしがらみで語れないこともある。そこで著者は本人だけでなく、大勢の関係者に取材を敢行。高校の同級生、イギリス修業時代のプロモーター、修斗の愛弟子たち……。多くの人から話を聞くことで、人間・佐山サトルを浮かび上がらせていく。

多角的な取材が功を奏した場面がある。佐山の修斗追放を決めた会議の描写だ。出席した選手一人ひとりに取材をするものの、日付や参加者、発言内容まで、証言がことごとく食い違う。著者は食い違いをそのまま読者に提供。追放劇の混乱ぶりがリアルに伝わってくる。

「自分の中で、これが正しいだろうというものはありましたよ。でも、すべてをわかったように神の視点から描くニュージャーナリズム的な手法は、透明性の高い今の時代に通用しない。ノンフィクションの手法として、藪の中を藪の中として書くやり方があってもいいはずです」

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田崎健太
ノンフィクション作家
1968年京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。99年末に退社。著書に『ドライチ』など。

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(ジャーナリスト 村上 敬 撮影=小野田陽一)